はいはい、こちら中野通交番です。 ただいま熱愛中。

3.

 30年前、俺も麻理もまだまだ若かった。 選挙に行けば何かが変わるって思ってた。
でもあまりにも庶民離れした政治屋のバカバカしい姿を見せ付けられて投票に行かなくなったんだ。
 「無党派層の人たちは家でゆっくり寝ててくださいな。」なんて言い出す馬鹿も居たからね。 その結果はどうなった?
トラウマじゃ済まされないほどの逆風が吹きまくったよね。 それがやっとの思いで収まったかと思ったら今度は凄まじい逆風が吹き荒れた。
 当時、大帝と揶揄されていたあのお方はさんざんに惨敗したのに過去に囚われて総理総裁の椅子にしがみ付いた。 それがために始まった国会で不信任決議を全員賛成で可決されて追い込まれてしまった。
逃げるに逃げられなくなった大帝は解散総選挙に打って出たのだけど味方が大量離党してしまって自民党は空中分解したんだよな。
 自民党だって元は自由党と民主党の合併で生まれた政党だ。 そこに公明党が絡み付いて何とかここまでやってきた。
ところがその頼りの公明党も惨敗して味方が居なくなったものだから大帝さんは困り果てて辞職した。 ここに自民党の歴史は完全終了したわけだね。
 そしてその後はというと真実の日本を守る会と国民民主党が連立を組み、そこに閣外協力で立憲が加わって一応安定した形にはなった。
でもさあ、これまで論戦?らしい論戦を戦わせてこなかった人たちも居るわけで内紛は以前よりひどかったよな。 見ていられなかった。
 俺も麻理もそれからずっと投票には行かなかったよ。 ただでさえ問題が多かったんだから。
だって、だちの妹が「私、何回も投票所に行ったけど投票できたよ。」って言ってたくらいだから。
 ニュースにはならないくらいではやってたのかなあ? 今じゃあ全てが電子投票だからねえ。
入った瞬間にチェックされるんだ。 電子登録されてる情報と照合されるから違ってたらその場で逮捕だ。
おっかない時代だって言えばこれほどおっかない話も無いだろう。 でもそれくらいやらないと不正投票は防げなかったんだ。

 以来、日本を守る会と国民民主党の連立は長く続いた。 その間に公明党も新しく生まれ変わった。
なんせ創価学会の支援を一切受けなくなったんだからね。 「支持は受け入れるけれど支援は個人の意思に任せたい。」って代表が明言した。
じゃないとさあ、「あんたらどっちなのよ?」って声が大きくなるだろう。
幹部の中には「公明党は創価学会のためだけに存在してるんだ!」って言ってくる人も居たくらいだからね。 おかしいなって思ってた。
 そりゃさあ主義主張は自由だよ。 でもだからって政治と宗教は、、、。
思想を持った個人が活動するのは悪いことだとは思わない。 でもそれが組織になった時、一定の力を持つようになる。
それがコントロールされている時はいいさ。 コントロールが利かなくなったら暴走するしかなくなる。
 それが宗教の怖さなんだよ。 何ともないように思えても部外者には分からない。
専門用語で説得されても何のことやら珍紛漢紛では交渉もうまくいかない。 そこに危うさが有るんだ。
やってることは素晴らしいとは思うけどね。
 それにしてもこの頃はあっちでこっちでマナー違反が多いんだよなあ。 何でだよ?
マナー違反は温泉だけじゃなかったのね? 走り回る子供を注意したらその親に怒鳴られたって話も聞いたことが有る。
 映画館じゃあスマホでキラキラ、おまけに盗撮してネットでアップアップ。 観客の邪魔はするし騒ぎまくるし、、、。
そこで映画館は考えた。 投影されている画面だけを見てその音声だけを直で聞ける装置を開発した。
つまりはレンズホン。 これを客に貸し出して楽しんでもらおうと思ったわけだね。
 そしたら今度はレンズホンを動かしたり叩いてみたり客の足を蹴飛ばしたりして喧嘩が絶えなくなった。 中にはわざとぶつかって転倒させたりするやつも出てきてさ、、、。
 そこで映画館はまたまた考えた。 スマホが動作しないように妨害電波を出したり客にチップチェックをやってみたり。
もちろん好感度画像で行動の全てをチェックした。 出てきた所を空かさず警備員が取り押さえるようにしたんだね。
1回でもそれをやられたら無期限出禁になった。 当たり前だろう。
 でも何でそうなるんだろうねえ? モラルがおかしくなったのは90年代だよ。
氷河期世代が不気味に騒がれ始めたあの頃、、、。 何がどうなってそうなったんだろう?
 あの頃、「自分探しの時代」なんてかっこよく言ってた人たちが居た。 でもそれはただ単に自分の本性をさらけ出しただけだった。
 心理学者 ユングは書いている。 「社会で人々とうまく付き合っていくためにペルソナという心の仮面を付けているんだ。」と。
 教師なら教師らしく、サラリーマンならサラリーマンらしく、、、主婦なら主夫らしく、、、。 この「、、、らしく」っていうのがペルソナだよ。
それがさあ個人主義の導入によって「社会的仮面なんて悪だ。」っていう考え方が広まったんだね。 「俺は俺なんだ。 私は私なんだ。」って。
 その結果、どうなった? 日常生活のあちらこちらで{ドリフコント減少}が起きた。
いかりや長介が「そんなんじゃないんだよ。 子供は子供らしくしろ!」っていつも怒鳴って太郎? ああいうコントが日常になっちゃったんだ。
 教師に偉そうに楯突く子供。 店で横暴を振舞う男、、、世も末だって誰もが思ったよね。
そして出てきたドキュンな存在。 こいつらが社会的仮面を完全にぶち壊してしまった。
 時代の流れを見ていくと人々は個人主義と自己中を完全に履き違えたことがよく分かる。
「個人の自由だ!」って騒ぐやつらは今も居るけれど、それは単なる自己中アピールでしかないってことに誰も気付いてない。
悲しい世の中になっちまったもんだ。 強姦も虐待も殺人も全てが事故ちゅうの行き着いた先なんだよ。
 自分がそんなに大事だったらエベレストの山奥で隠遁生活をしてなさい。 葉っぱと木の皮を食べて仙人暮らしでもしてなさいよ。
そんなのは社会に出てこなくていい。 うざいしきもいし邪魔だから。
 かっこ良く言えば【アイゼンティティークライシス】なんて呼ばれたけれどそもそもアイゼンティティーの意味って何なんだろうねえ?
掴み処の無い言葉だよね。 じゃあさあ【個性の崩壊】だったらどう?
 でも個性ってそう簡単には崩壊しないよ。 独裁国家なら分からんでもないけど。
あちらさんでは個性を出すことは国を批判することに繋がるからね。
 だからって何処でも彼処でも個性丸出しでやっていけるとは思えない。 たとえばバスの中。
自分の遊び場みたいに思ってずーーーーーーーーっと騒いでいる子供たちが居る。 周りの人たちは何も言わない。
 温泉で走り回っている子供たちが居る。 客も職員も何も言わない。
そんな子供たちが大人になった時、どうなるか考えてみてよ。 ドキュンになるのは目に見えてるよね。
 小学校で担任に向かって「やあ先生 これさあ分かんないから何とかしてよ。」って子供が言ったらどう思う? まあ、今野先生じゃあ何も言い返せないな。
寺子屋だったら即刻追放だったね。 場を弁えてないんだもん。
場を弁えるってことはつまりはペルソナをかぶるってことだ。 それらしく振舞うってことだ。
それが完全に壊れちまった。 だから民度が下がったって言われたんだよ。
 それでね、その後はどうなったかって言うと、、、。 高校は廃止された。
小学校は礼儀作法 読み書き計算の基本を教えるように組み替えられた。 もちろん幼稚園も一緒にね。
 中学校はというと、ここから専門教育が始まるんだ。 しかもほとんどは技術系。
文学系は私塾でやることになって大学も文学部を廃止した。 その先生たちがこぞって私塾を開いたわけだ。
しかも入塾できるのは読み書き計算を一通り終わった人だけ。 掛け算割り算もまともにやれないなら資格は無かった。
 高校はどうなったかって言うと先生たちが余りに余ってしまってどうしようもないから塾の講師に充てることになったんだ。 普通科目は小学校で事足りたからさ。
そうやって教育界も変革されていった。 だから今では偏差値なんて使わない。
実質主義だ。 変わったもんだねえ。









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