私の世界

第一話

 放課後のファミリーレストラン。私は友達三人とボックス席に座って、ドリンクバーのコーラをストローでかき回していた。
 氷がカランカランと音を立てて、薄くなった茶色の液体が底に残っている。

「やっぱりさ、あの子の髪色変だよね?」
「分かる!全然似合ってない」
「でも本人は可愛いと思ってるんじゃない?」

 友達の声が店内のBGMと重なって耳に入ってくる。
 私は「そうだね」とか「うん」とか適当に答えながら、頭の中は全然違うことを考えていた。
 明日の数学の小テスト、忘れそうになってる宿題、土曜日の部活の予定。別に面白くもないけど、今の話よりはよっぽどマシかな。

 友達の会話は止まることがない。誰かの服装について、最近見たドラマの話、クラスの男子の噂話。いつものパターンだった。でも私は、どうしてもその話題に心から関心を持てないでいる。なんでだろう。みんな楽しそうにしてるのに、私だけが取り残されてる気分になる。

 まるで透明な壁で世界と隔てられてるみたいだ。友達の笑い声も、店内の賑やかな雰囲気も、全部が遠い出来事みたいに感じられる。
 確かに私はここにいるのに、どこか別の場所にいるような、妙な疎外感があった。

「ねえ、どう思う?」

 急に名前を呼ばれて、私は慌ててスマホから視線を上げた。

「え?何の話?」
「だから、あの子の髪色!おかしいと思わない?」

 私は苦笑いを浮かべた。正直、誰の髪色の話をしていたのかも聞いてなかった。

「うーん、そうかもね」

 いつものように曖昧な答えを選ぶ。友達の一人が「そうよね」と言って、またすぐに別の話題に移っていく。
 彼女たちにとって、私の意見なんて別にどうでもいいのかもしれない。ただ、みんなで同じことを思ってるという確認が取れればそれでいいんだろう。

 窓の外を見ると、夕方の空が広がっている。オレンジ色に染まった雲がゆっくりと流れていく。
 平和な日常の風景だった。でも私の中には、小さなモヤモヤがくすぶっている。
 この感覚は小学校の時からずっと続いてるような気がした。

 そういえば、私が小学六年生の頃、同じクラスに一人でいることが多い子がいた。
 別にいじめられてるわけじゃないけど、なんとなく輪に入れずにいる子だった。私はその子が心配だったけど、結局声をかけることができなかった。
 そのまま、私は小学校を卒業して、その子と会う機会はもうない。
 あの時、もう少しだけ勇気があったら?もう少しだけ…

 でも、今更そのことを言っても何も変わらない。
 そんな感じのモヤモヤが私の心の奥底にはいつもあった。

 家に帰って夕食を済ませた後、私は自分の部屋でベッドに横になっていた。
 宿題は一応終わらせたし、明日の準備も済んでる。特にやることもなくて、時間だけがゆっくりと過ぎていく。

 部屋は静かだった。
 外から聞こえるのは、たまに通り過ぎる車の音だけ。同じ家にいる両親の気配すらも感じられない。この静けさの中にいると、昼間感じていた疎外感がもっと強くなった。
 まるで世界から取り残されてるような、寂しい気持ち。

 スマホを手に取って、いつものSNSアプリを開いた。友達の投稿がずらりと並んでる。さっきのファミレスでの画像、可愛いお弁当、新しく買ったアクセサリー。見慣れた光景だった。みんな楽しそうに見えるけど、私にはどこか表面的なもののように感じられた。

 きっと私も、他の人から見れば同じように見えるんだろうか?
 楽しそうに友達と過ごして、何の悩みもない中学生として。でも実際は、心の奥に常に薄いガラスみたいな隔たりがある。
 なんとなく下にスクロールしていると、見たことのないアカウントが目に入った。
 プロフィール画像は女の子の後ろ姿。名前はひらがなで『みつき』と書いてある。なんとなく見覚えがあるような気がした。

 もしかして、如月ミツキさんのアカウントかな?

 そういえば、ミツキさんって最近学校で見かけてない気がする。確か昨日も一昨日も席が空いてた。今日も来てなかったっけ。風邪でもひいてるのかな。でも三日も続けて休むなんて珍しい。

 投稿を見てみると、夕焼けの画像とか、電車の窓から撮った景色とかが並んでる。どれもちょっと寂しそうで、人が全然写ってない場所ばかりだ。公園のベンチに誰も座ってない画像、誰も歩いてない歩道橋、放課後の教室を外から撮った画像。どれも孤独感に満ちていた。

 コメントもいいねも、ほとんどついてない。まるで誰も見てないかのような状態だった。でも画像一つ一つには独特の美しさがあった。寂しさの中にも、何か心に訴えかけるものがある。

 画像を一つずつ見ていくと、確かにミツキさんらしい感性が感じられる。控えめで、でもどこか美しい瞬間を切り取ってる。投稿に添えられた短い文章も、彼女の内面を表してるような気がした。

『今日も一人だった』
『誰とも話さなかった』
『みんな楽しそう』

 どの文章も、深い孤独感に満ちてる。私は胸の奥がキュッとなるような感覚を覚えた。ミツキさんは、こんな気持ちで毎日を過ごしてたのかな。
 もしかしたら、私が感じてる疎外感なんて、彼女の孤独に比べたら些細なものかもしれない。

 その時、メッセージアプリの通知音が鳴った。画面を見ると、さっき見つけたばかりの『みつき』からの通話着信だった。

 私は画面を見つめて迷った。ミツキさんから電話?
 でも私たちは友達じゃないし、話したこともほとんどない。なんで私に電話をかけてきたんだろう。何を話せばいいか分からない。
 電話に出るべきかどうか、数秒間迷った。
 でもなんとなく怖くなって、結局出られなかった。見知らぬ番号からの電話みたいな、得体の知れない不安が胸の中に広がっていく。

 着信が終わると、ボイスメッセージが届いた。
 私は慎重にボイスメッセージを再生してみた。最初はザリザリした雑音だけが聞こえる。電車が走ってるような、ガタンゴトンという音が遠くで響いてる。でもこの時間に電車が走ってるはずはない。

 そして、小さな声が聞こえてきた。

「助けて……」

 女の子の声だった。すごく弱々しくて、消えてしまいそうな声。でも確かにミツキさんの声だった。教室で時々聞いたことのある、あの控えめな声だ。

「きさらぎ駅にいるの……助けて……」

 そこで切れた。

 私はスマホを見つめたまま固まってしまった。きさらぎ駅?そんな駅、聞いたことがなかった。
 それにミツキさんの声がすごく変だった。まるで泣いてるみたいに聞こえた。本当に困ってるような、切羽詰まった様子だった。

 もう一回ボイスメッセージを聞いてみた。
 雑音と電車の音、そして確かに「助けて」「きさらぎ駅にいるの」という言葉が聞こえる。
 間違いなく、ミツキさんの声だった。

 でも、きさらぎ駅なんて駅は知らない。この辺りにそんな名前の駅があったかな?
 何かのいたずらかもしれない。でもミツキさんがそんなことをする人には見えない。それに声が本当に困ってるような感じだった。

 演技でこんな切実な声を出せるかな?
 私はアプリの彼女のアカウントをもう一度開いた。『みつき』という名前を確認する。如月ミツキさんで間違いないと思う。
 プロフィール画像も、彼女の雰囲気に似てる。

 本当に彼女からの電話だったんだ。でもどうして私に?
 私たちは特別親しいわけでもないのに。そして、きさらぎ駅なんて……。
 私は彼女の投稿をもう一度見てみた。どれも一人で撮ったような画像ばかり。寂しそうな場所、誰もいない公園、夕方の道。投稿時間を見ると、一番新しいのは今日の午後だった。

 その画像を見て、私は息が止まりそうになった。

 空が写ってた。でもその色がおかしい。紫色というか、青というか、見たことのない色だった。
 雲の形も変で、まるで絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたみたいになってる。現実の空とは思えないような、不自然で美しい色合いだった。
 まるで別の世界の空みたいだった。

 コメント欄を見ても、誰も何も書いてない。
 いいねもゼロ。まるで誰にも見られてないみたい。でもこの異様な空の画像は、確実に何かを伝えようとしてるような気がした。

 私はその画像をじっと見つめた。この空って、本物なんだろうか。アプリで加工したものじゃないんだろうか。
 でもなんかリアルな感じがする。光の当たり方や雲の質感が、加工画像とは思えないほど自然だった。

 もう一回ボイスメッセージを聞いてみた。
 今度はイヤホンをつけて、音量を上げて。電車の音の中に、確かにミツキさんの声があった。震えてるような、弱い声で助けを求めてる。きさらぎ駅という、知らない駅の名前を言いながら。

 私はベッドに座って、スマホを両手でぎゅっと握った。これっていたずらなんだろうか。それとも本当に何かが起きてるんだろうか。現実的に考えれば、いたずらの可能性が高い。でもあの声の切実さは本物に聞こえた。
 ミツキさんが三日間学校を休んでること。彼女のアプリに投稿された変な色の空の画像。そして突然かかってきた助けを求める電話。全部つながってるような気がしたけど、でも現実離れしすぎてる気もした。

 私は画像をもう一度見た。紫色の空が、なんとなく私を見てるような気がした。
 それに気が付いたとき、私の部屋が急に寒くなったような気がした。肌に冷たい空気が触れて、背筋がゾクリとした。

 窓の外を見ると、普通の夜の空が広がっていた。
 星もちらほら見えるし、雲も普通の形をしてる。いつもの見慣れた景色だった。
 街灯の明かりが道路を照らし、遠くで車の音が聞こえる。平凡な日常の風景だ。

 でもスマホに映ってる空は、まるで違う世界のもののようだった。現実とは思えないほど美しく、そして不気味だった。

 私は大きく息を吸って、もう一度ミツキさんのプロフィールを見た。
 そして、投稿された画像を順番に見てみると、最近のものほど色がおかしくなってることに気が付いた。
 最初の頃は普通の画像だったのに、だんだん変になっていく。時間が経つにつれて、現実離れした要素が増えてる。

 そして今日投稿された紫色の空が、一番変だった。まるで別の世界の風景のようだ。

 私はもう一度メッセージ画面を開こうとして、手を止めた。
 これ以上関わらない方がいいのかもしれない。いたずらでも本当でも、私には関係ないことだ。ミツキさんと私は友達じゃないし、助ける義務もない。

 でも教室でのミツキさんのことを思い出した。
 いつも一人で、誰とも話さなくて、まるで存在しないもののようだった彼女。もし本当に助けを求めてるとしたら、私が無視していいはずがない。
 それに小学校の時の後悔もある。あの時、声をかけることができなかった友達のこと。

 今度こそ、見て見ぬふりはしたくない。

 私はスマホを握りしめたまま、しばらく考えた。
 明日、学校でミツキさんを確認してみよう。もし彼女が来てたら、この電話のことは忘れよう。
 単なるいたずらだったということにしよう。でももしまだ休んでたら……。

 画面に映る紫色の空が、何かを伝えようとしてるような気がしてならなかった。
 私に向かって、無言のメッセージを送ってるような気がする。
 助けてほしいという、静かな叫び声が聞こえてくるような気がした。

 でも私に何ができるっていうんだろう。中学生の私には、何の力もない。
 これはもしかしたら、大人に相談するべきことなのかもしれない。でもこの話を信じてくれる大人がいるかな。
 きっと、想像力が豊かすぎると言われて終わりだろう。

 私は深くため息をついて、スマホを充電台に置いた。
 今夜はもう考えるのをやめよう。
 明日になれば、きっと答えが見つかるはずだ。

 でも布団に入っても眠れなかった。ミツキさんの声が頭の中でリピートされる。

「助けて」「きさらぎ駅にいるの」

 その声は、夜の静寂の中でより一層切実に響いた。

 私は天井を見上げながら考えた。きさらぎ駅って、どこだろう?
 もしかして私が知らないだけで、どこかにそんな駅があるんだろうか。それともミツキさんの作り話なんだろうか。

 でもあの声は嘘をついてる声には聞こえなかった。本当に困ってる人の声だった。
 私は、その声を無視することができない。明日、必ずミツキさんのことを確認しよう。
 そう決心して、私はようやく眠りについた。でも夢の中でも、あの紫色の空が頭から離れなかった。
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