私の世界

第七話

 翌日の昼休みに、私は学校近くの図書館に向かった。友達には部活の見学があると適当な理由をつけて、一人で出かけた。
 サヤカさんの本性を見てしまった以上、もう誰にも頼ることはできない。ミツキさんを助けるためには、自分一人で方法を見つけるしかなかった。

 図書館は平日の昼間ということもあって、利用者はまばらだった。図書室の奥の方に進むと、古い本が並ぶエリアがある。ここなら誰にも邪魔されずに調べ物ができるだろう。

 私は人気のない書棚の前に座り込んで、スマホを取り出した。

 まずは『きさらぎ駅』で検索してみる。

 最初に出てきたのは、いくつかの怪談サイトだった。どのサイトも似たような体験談が投稿されている。電車に乗っていたら知らない駅に着いてしまった、周りの景色が現実とは思えない色をしていた、帰り方が分からなくなった。ミツキさんの状況とよく似ている。やはりこれは共通する現象なのかもしれない。

 次に、オカルト系の掲示板を見てみた。そこには体験者の詳細な投稿がいくつもあった。中でも気になったのは、数年前に投稿された長文の体験談だった。

『午前二時四十四分に踏切で、異界の電車を見た』

 具体的な時刻が書かれていることに、私は注目した。他の投稿も確認してみると、午前二時四十四分という時刻を挙げている人が複数いる。もしかして、これが重要な手がかりなのかもしれない。

 私はさらに検索を続けた。そして、興味深い感じの文章を見つけた。

『きさらぎ駅は、対象者の自己認識を大きく変化させ、時に現実とは乖離したアイデンティティを形成させる』

 まさにミツキさんの状況だった。サヤカさんがSNSで話題にしたことで、あの世界にいるミツキさんの自己認識が変わってしまったのかもしれない。

 私は画面をスクロールしながら、これまでのことを整理した。ミツキさんは最初、本当に助けを求めていた。でも多くの人に注目されるようになって、その状況を楽しむようになった。そして今では、異世界に留まることを選んでいる。

 でも、まだ完全に諦めたわけではないはずだ。昨日のメッセージで『考えてみます』と言ってくれたのだから。きっと彼女の心の奥には、まだ現実に戻りたいという気持ちが残っているに違いない。

 午前二時四十四分という時刻についても、もう少し詳しく調べてみよう。検索結果を見ていると、その時刻に関する興味深い情報が見つかった。

『異界との境界が最も薄くなる時刻』『現実と非現実の壁が崩れる瞬間』

 どれも科学的根拠はないものの、複数の体験談で共通して言及されている。もしかして、その時刻に何かをすれば、ミツキさんを現実に呼び戻すことができるかもしれない。

 私はさらに検索を続けた。帰還方法について書かれた記事はないだろうか。しばらく探していると、ある個人ブログで興味深い記述を見つけた。

『迷い込んだ者を現実に戻すには、最も近しい人からの強い呼びかけが必要。特に、その人が最も求めているものの名前を呼ぶことが効果的』

 ミツキさんが最も求めているもの。それは何だろう。注目?承認?

 いや、違う。彼女が本当に欲しがっているのは、きっと友達だ。心から理解してくれる人。一緒にいてくれる人。それが彼女の一番の願いなのではないだろうか。

 考えてみれば、私も同じような気持ちを抱えていた。友達はいるけれど、本当の意味で理解し合える関係ではない。表面的な付き合いに満足できずに、いつも心の奥に寂しさを感じていた。

 ミツキさんと私は、実は似た者同士なのかもしれない。だからこそ、彼女を助けたいと思うのかもしれない。

 私は検索結果をメモ帳アプリに保存した。午前二時四十四分、学校近くの踏切、強い呼びかけ、友達という言葉。これらを組み合わせれば、きっとミツキさんを救うことができるはずだ。

 その時、私の近くに人がいる気配がした。顔を上げると、サヤカさんが立っていた。私を見つけて、嫌そうな顔をしている。

「あら、こんなところで何してるの?」

 サヤカさんの声には、明らかな敵意が含まれていた。昨日のやり取りで、私が彼女の本性に気づいたことを、彼女も察しているのだろう。

「調べ物です」

 私は短く答えた。これ以上関わりたくない。でもサヤカさんは私の隣に座り込んできた。

「調べ物?ミツキさんのこと?」

 私は無視してスマホの画面を見続けた。サヤカさんは、私のことを見透かしたように話を続けてきた。

「もう、彼女は帰ってこないわよ」

 その言葉に、私は嫌な予感を感じた。スマホから顔を上げて、サヤカさんを見る。

「何のことですか?」
「見てないの?最新の投稿」

 サヤカさんは自分のスマホを私に見せた。画面にはミツキさんの新しい投稿が表示されていた。扉の画像だった。古い木製の扉で、周りは暗闇に包まれていた。

 そして投稿の文章を読んで、私は息が止まりそうになった。

『みんな、ありがとう。でももう疲れました。悪口を言う人もいるし、私のことを嘘つき呼ばわりする人もいます。もうどうでもよくなりました』

 ミツキさんが弱音を吐いている。こんなに落ち込んだ投稿は初めてだった。

「これ、いつの投稿ですか?」
「さっき。お昼休みになってすぐよ」

 私は慌ててミツキさんにメッセージを送ろうとした。でも、サヤカさんが私の手を押さえる。

「やめなさい」
「どうして?」
「もう手遅れよ。あの子は現実に戻りたくないのよ」

 サヤカさんの言葉に、私は怒りがこみ上げてきた。

「そんなことありません」
「あるわよ。だって、あの子の投稿を見ていて、気がつかなかった?最初は助けを求めてたけど、途中から変わったでしょ?」

 確かにミツキさんの投稿は変化していた。最初は純粋に助けを求めていたのに、だんだんと注目されることを楽しむようになっていた。でもそれは……。

「それはサヤカさんが話題にしたからです」
「私のせい?」

 サヤカさんが声を上げた。

「私は助けようとしただけよ。それなのに私を悪者扱いするの?」
「悪者なんて言ってません」
「言ってるじゃない。顔を見れば分かるわ」

 私は困った。確かに私はサヤカさんに不信感を抱いている。でも直接的に非難するつもりはなかった。

「サヤカさん、お願いです。ミツキさんを助けてください」
「助ける?もう無理よ」
「どうして?」
「だってあの子はもう選んだのよ。現実よりも、あの世界を」

 私は首を振った。そんなことはない。ミツキさんはまだ迷っているはずだ。昨日のメッセージがその証拠だ。

「諦めません」
「無駄よ」

 サヤカさんの言葉が胸に刺さった。でも諦めるわけにはいかない。小学校の時の後悔を、もう一度繰り返すなんて絶対に嫌だ。

「やってみます」
「そう。でも、本人が嫌がっていることをさせるのは、とても残酷なことよ」

 サヤカさんはそう言って立ち上がった。
 そして最後にもう一度、冷たい目で私を見下ろす。

「期待するだけ無駄よ。現実はそんなに甘くないの」

 サヤカさんは図書館を出て行った。
 私は一人、人気のない通路に残された。周りの静寂が、急に重く感じられた。

 でも諦めるわけにはいかない。私にはやるべきことがある。

 私は再びスマホを手に取り、検索を続けた。
 救出方法、呼びかけの方法、異界からの帰還。様々なキーワードで調べ続ける。

 そして一つの結論に達した。
 今夜、午前二時四十四分に学校近くの踏切に行く。そこでミツキさんの名前を呼び、友達になりたいという気持ちを伝える。

 彼女が最も求めているものを呼びかけることで、現実に引き戻すのだ。

 危険かもしれない。でもやらなければならない。これが最後のチャンスかもしれない。

 私はメモ帳アプリに今夜の計画を詳しく書き込んだ。
 午前二時四十四分、踏切、ミツキさんの名前、友達という言葉。

 調べた内容によると、純粋な善意による呼びかけが必要だということだった。

 私は家に帰ったら、早めに休んで体力を回復させよう。
 そして深夜に一人で踏切に向かう。誰にも邪魔されない環境で、ミツキさんに呼びかけるのだ。
 準備は整った。

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