その色に触れたくて…

【第1章】再会、キャンバスの向こう側


【柱】

春・昼過ぎ/芸術大学 正門前


【ト書き】

淡く色づいた桜の花びらが、風に乗って舞う。
その中で、沢渡 新菜(さわたり にいな)(18)は正門の前に立っていた。
黒のサラサラとしたロングヘアーが春風にゆれる。
白のスニーカーに、ライトブルーのデニムシャツ。どこかふわりとした柔らかさのある印象。


【新菜(モノローグ)】

「うわぁ……ついに来ちゃった……」


【ト書き】

眩しげに門を見上げると、小さく息を吐く。
けれど、その顔には笑み。どこか誇らしげな、晴れやかな表情。


【新菜(モノローグ)】

「成海くんに会うために、ここまで頑張ったんだもん。
……絶対、見つける。絶対、ちゃんと……話すんだから!」


【ト書き】

トートバッグの中に手を差し入れ、昨日入学式でもらった学生証を取り出す。
美術学部・絵画専攻の文字を確認し、胸元でぎゅっと握りしめる。


【柱】

午後・絵画棟3階/静かな廊下


【ト書き】

静まり返った絵画棟。
新菜は、ゆっくりと一歩一歩、奥へと進んでいく。
小さく響く足音。緊張で、少しだけ汗ばむ手のひら。


【新菜(心の声)】

「……ほんとにいるかな……成海くん……。
ちゃんと、私のこと覚えててくれてるかな……」


【ト書き】

廊下の奥、わずかに扉が開いているアトリエ。
その隙間から、筆の擦れる音が微かに漏れてくる。
新菜は、鼓動を抑えるように胸に手を当てながら、そっと近づく。


【ト書き】

中を覗き込んだその瞬間——
キャンバスの前に立つ、見覚えのある背中。
陽の光を浴びてキラキラと輝く茶髪に、黒のパーカー。
手にした筆が、滑らかに動いている。


【新菜(心の声)】

「……成海くん……」
「……髪、茶色くなってる……でも、やっぱり……かっこいい……」



【ト書き】

緊張と嬉しさ、そして少しの戸惑いが入り混じって、声が出ない。
胸の奥がくすぐったくて、でもどこか寂しさも混じる。
“あの頃”とは違う、成海の姿。



【ト書き】

そのとき——
成海が動きを止めた。
筆先から、ぽたりと落ちる絵の具。
そして、ゆっくりと振り返る。



【成海】

「……誰?」



【ト書き】

低く、淡々とした声。
茶色の瞳が新菜を真っ直ぐに見つめる。
その眼差しは冷たくも鋭くもなく、ただ静かに距離を測るようなものだった。



【新菜】

「あ……えっと……久しぶり、成海くん。
私、新菜……沢渡新菜。……覚えてる?」



【ト書き】

成海の目が、一瞬だけわずかに細められる。
それは、懐かしさよりも“確認”するような間。



【成海】

「……やっぱり、来たんだな」



【ト書き】

その言い方は、どこか含みがある。
優しさとも違う、やや突き放したような、でも引っかかるような声。



【新菜(モノローグ)】

「覚えててくれてた……!」



【新菜(小さく、笑って)】

「……うん。来たよ。成海くんに会いたくて…」



【ト書き】

静かなアトリエに、絵の具の匂いと新菜の声だけが漂う。
成海は何も言わず、再び視線をキャンバスへ戻す。
その仕草はまるで、「ここから先は、自分で入ってこい」とでも言っているようだった。

【柱】

夕方/芸術大学・絵画棟3階 アトリエ内



【ト書き】

陽が傾き、窓の外の空はオレンジがかってきている。
アトリエの中は静かで、かすかに絵の具と溶剤の匂いが漂っている。

成海はもう一度キャンバスに目を戻し、筆を動かし始める。
けれどその手は、さっきよりもわずかに遅い。



【ト書き】

新菜は、どうするべきか分からないまま、立ち尽くしている。
けれど、帰るにはあまりに物足りなさすぎる沈黙だった。



【新菜】

「あの……やっぱり、迷惑だった、かな……」



【ト書き】

ぽつりと出たその声に、成海の手が止まる。
彼は筆を置くと、少しだけ顔を上げた。



【成海】

「別に。迷惑とか……そういうのじゃない」



【新菜(そっと)】

「……でも、私……急に来ちゃって……」


【ト書き】

成海は少しだけ視線を横にずらす。
その横顔は、やっぱりあの頃よりも大人びて見えた。
綺麗な茶髪。形のいい唇。長いまつ毛。



【成海(静かに)】

「なんで、ここに来たのかくらい……わかってる」



【ト書き】

新菜の目が少しだけ見開かれる。



【新菜】

「……え?」



【成海】

「中学のときさ、おまえ、俺が美大目指してるって言ったとき、
“私も行く!”って、やけに大声で言ってただろ」



【ト書き】

ふっと、成海が口元をゆるめる。
それは、ごくごく微かな笑みだった。



【新菜】

「……えっ……覚えてたの?」



【成海】

「うるさいくらいだったからな」



【ト書き】

その言葉に、新菜は一瞬ぽかんとし、それからふわっと笑う。
肩の力が抜けて、ようやく自然な呼吸ができるようになる。



【新菜(笑って)】

「……うわ、なにそれ。恥ずかしいじゃん……」



【成海(目を絵に戻しながら)】

「おまえ、ほんと変わんねえな。声でかいし」



【新菜】

「成海くんは…変わったね。
髪、茶色くなったし……雰囲気も……ちょっと冷たくなった……」



【ト書き】

その言葉に、成海の手が止まる。
一瞬だけ、彼の横顔に影が差す。



【成海】

「……まぁ、色々あったからな」



【ト書き】

それは、何かを避けるような声だった。
新菜はそれ以上、踏み込まなかった。
けれど胸の奥が、きゅっと締めつけられる。



【新菜(心の声)】

「“色々”って……どんなことがあったんだろう……」
「私の知らない、成海くんの時間……」



【ト書き】

アトリエに、沈黙が戻る。
でもさっきまでの気まずさとは、どこか違っていた。
お互いに、何かを探るような静けさ。



【成海】

「……もう、行けよ。暗くなる」



【新菜(苦笑いして)】

「……うん。でもまた、来てもいい?」



【成海】

「勝手にしろよ」



【ト書き】

素っ気ないその言葉に、新菜は少し笑ってうなずく。
ドアを開け、振り返ってもう一度だけ成海を見る。
彼はまた筆を動かしていたけれど、先ほどより少しだけ、線が柔らかくなっていた。



【新菜(モノローグ)】

「……よかった。
声、かけてよかった。
ほんの少しだけど……確かに、また始まった気がする」



【柱】

外・キャンパス通路/夕暮れ



【ト書き】

絵画棟を出た新菜が、石畳の小道を歩く。
西の空は茜色に染まり、吹く風に桜の花びらが舞う。



【新菜(心の声)】

「——ねぇ、成海くん。
私はきっと、昔より強くなったよ。
だからまた、今のあなたを……ちゃんと知りたい」



【ト書き】

夕焼けに染まるその背中に、決意がひとつ灯る。
それは恋の再燃ではなく、
“今の彼と向き合いたい”という、確かな始まりだった。



【柱】

数日後・昼/芸術大学 美術学部 実技室



【ト書き】

大きな窓から光が差し込む実技室。
各自のイーゼルが整然と並ぶ中、新菜は前列寄りの席に座っている。
焦げ茶のロングヘアは後ろで軽く一つにまとめられており、
真新しいスモックの袖口を気にしながら、スケッチブックを開く。



【新菜(モノローグ)】

「大学に入って、もうすぐ一週間……。
成海くんには、まだあのとき以来ちゃんと話してないけど……
あれから、少しだけ……変わった気がする」



【ト書き】

彼女の目線の先。
一つ後ろの列に、成海の姿がある。
相変わらず無口で淡々としていて、周囲とも必要以上に話さない。
でも時折、筆先を止めて空を見つめる仕草が、どこか切なく見えた。



【教授】

「今日からは静物デッサンに入る。構図は自由。
モチーフは中央の花瓶だが、個性が出る構図を選べ」



【ト書き】

ざわっと軽い緊張が走る教室。
学生たちは思い思いの視点で構図を決め、鉛筆を手に取る。

新菜もスケッチブックに向かうが——



【新菜(心の声)】

「……あれ。教科書……入れてこなかった?」



【ト書き】

トートの中を探す手が止まる。
確認するも、教科書が入っていない。

周囲ではすでに数人が教科書を開き始めている。

新菜の指先が、少し焦りで強ばる。


【ト書き】

そんなとき——
横から、ふいに一冊の教科書がスッと差し出される。



【成海(視線を合わせず)】

「……使え」



【ト書き】

振り向くと、成海が無表情のまま新菜の机に教科書を置くところだった。
その手はすぐに自分の席に戻り、何事もなかったように鉛筆を持ち直す。



【新菜(驚きながら、小さな声で)】

「……ありがと」



【ト書き】

成海は反応しない。
けれど、新菜の胸の奥がじんわりと熱くなる。



【新菜(モノローグ)】

「優しいところ、変わってない……。
……私だから?
……なんて、期待しすぎかな(苦笑い)」



【柱】

放課後/大学中庭のベンチ



【ト書き】

柔らかくなり始めた夕陽の下、新菜は教科書を膝に置いてベンチに座っている。
そっとページをなぞる指。
隣のページの端には、うっすらと成海の筆跡——小さなデッサン(黒猫)の走り描きがあった。


【新菜(心の声)】

「……このタッチ、やっぱり成海くんだ……」
「相変わらず猫ちゃん、好きなんだ…(くすりと笑う)」



【ト書き】

胸が、くすぐったくなる。
再会は冷たかったけど、
その中に確かにあった、彼のぬくもり。



【新菜(モノローグ)】

「……私、もっと話せるようになりたいな。
隣にいても、自然でいられるくらいに……
“ただの幼なじみ”じゃなくて……ちゃんと、私として」



【柱】

その日の夜/沢渡家 自室


【ト書き】

ベッドに横たわりながら、スマホの画面を見つめる新菜。
SNSで“久瀬成海”を検索してみるも、出てこない。
非公開、あるいはアカウントすら持っていないようだった。



【新菜(心の声)】

「……あの頃は、あんなに話してたのに。
今の成海くんのこと、私は何も知らないんだな……」



【ト書き】

ロングヘアが枕に広がる。
ぼんやりと天井を見上げながら、小さくつぶやく。



【新菜(ささやくように)】

「……好きだったんだよ、ずっと。
昔も……今も」



【ト書き】

静かな部屋に、時計の秒針だけが響く。
ゆっくりと、まぶたが落ちる。

新菜の“今”が、成海に向かって静かに動き始めていた。
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