その色に触れたくて…

【第2章】キャンバスの上の距離




【柱】

週明け・昼/芸術大学 キャンパス内 カフェテリア



【ト書き】

ガラス張りのモダンな学生食堂。
昼休みの時間になり、学生たちでにぎわい始めている。
トレイを持った新菜は、少しだけきょろきょろと辺りを見回す。



【新菜(モノローグ)】

「ひとりで学食ってちょっと心細いけど……
でも、成海くんが来るかもしれないし……」



【ト書き】

ようやく空いている二人席を見つけ、座る。
パスタにスープ、サラダ。ふつうのメニューだけど、胸がそわそわして味が入ってこない。



【ト書き】

ふと視線を上げると、向こうの席。
そこにいたのは——成海。

けれど彼は、他の学生と一緒に話していた。
同じ学科の女子と、あと数人のグループ。



【新菜(心の声)】

「……え……成海くん、あんなふうに誰かと話すんだ……」



【ト書き】

淡々としながらも、相手の質問にはちゃんと返している。
それだけでなく、少しだけ笑っている顔さえ見える。



【新菜(モノローグ)】

「……私といるときと……全然違う……」



【ト書き】

胸がチクリとする。
別に付き合ってるわけじゃない。でも、
「自分だけが特別」だと、思いたかった。



【柱】

その日の午後/絵画棟 3階廊下


【ト書き】

実技授業の準備でアトリエに向かう途中。
新菜は廊下で、イーゼルを持ったまま成海と鉢合わせる。



【成海】

「……おまえ、なんか顔、暗いな。なんかあったろ」


【新菜(少し驚いて)】

「えっ……!? な、何もないよ??」



【成海(ジッと見て)】

「……嘘つけ。お前は、すぐ顔にでるから分かりやすい。」



【新菜(むっとして)】

「なにそれ……じゃあ、成海くんはどうなの?
にこにこして、すごく楽しそうだったじゃん…女子たちと」


【ト書き】

その言葉に、成海の足がぴたりと止まる。
ふと、片方の眉だけがわずかに上がる。



【成海(ニヤッと)】

「…へぇ、見てたのか。ストーカー?」



【新菜(真っ赤になって)】

「ち、違っ……! たまたま通りかかっただけだし!」



【成海(ゆるく笑って)】

「別に誰と話そうが俺の勝手だろ。……それとも気になるのか?」



【新菜(目をそらして)】

「……別に。気にしてないし……」



【成海(すぐ隣に立ち、低い声で)】

「ふーん……今はそうゆうことにしといてやるよ」



【ト書き】

ニヤリと意地悪そうに笑う成海。
近い距離。
新菜の頬が、耳まで熱くなる。



【新菜(小さく)】

「……意地悪」



【成海(少しだけ目を細めて)】

「おまえが勝手にわかりやすいだけ。……昔から、な」


【ト書き】

それだけ言い残して、成海はふっと視線を逸らし、アトリエへと先に歩いていく。
その背中は、どこか楽しんでいるようにすら見えた。



【新菜(モノローグ)】

「……ほんとに、変わったんだから……
でも、ちょっとだけ懐かしい……
あの感じ……ほんの少しだけ、戻ってきた気がした」



【柱】

夕方/絵画棟3階 アトリエ内



【ト書き】

授業が終わり、他の学生たちが帰っていったあと。
アトリエにはもう誰の姿もない。
窓から差し込む夕日が、少しオレンジがかった光で木製の床を照らしている。



【ト書き】

新菜は教室の扉をそっと開けて中へ入る。
忘れていたスケッチブックを取りに来たのだ。



【新菜(心の声)】

「……よかった、まだ鍵、閉まってなかった……」



【ト書き】

室内を見回すと、奥の方のイーゼルにひとりだけ人影がある。
ゆっくりと筆を走らせているその背中は——


【新菜】

「……成海くん?」



【ト書き】

呼びかけに、成海は筆を止めて振り返る。
窓から差す夕日が彼の茶髪をやわらかく照らし、
横顔に、少しだけ陰影が落ちている。



【成海】

「……忘れもん?」



【新菜(少し照れながら)】

「うん。……スケッチブック、置きっぱなしで」



【ト書き】

気まずい沈黙ではなく、ただ静かな空気が流れる。
新菜はそっと自分の席へ向かい、スケッチブックを手に取る。
けれどそのまま帰るのが惜しくて、しばらくその場に立ち尽くしてしまう。



【新菜(ためらいながら)】

「……ねぇ、少し見てもいい?」



【成海(ちらと視線を向けて)】

「…勝手にすれば」



【ト書き】

新菜は彼の背後から、そっとキャンバスをのぞく。
そこには、柔らかな光に包まれた静物と、
その奥にぼんやりと人物のような影が描かれている。



【新菜(息をのんで)】

「……綺麗。
……なんか、成海くんの絵って、前より……やさしくなった気がする」



【成海(小さく笑って)】

「やさしい? それ、皮肉?」



【新菜(すこし慌てて)】

「ち、違うよ! ちゃんと褒めてるの。
昔の成海くんの絵って、もっと線が尖ってたっていうか……」



【ト書き】

言いかけて、新菜は口をつぐむ。
“昔の”という言葉が、ほんの少し空気を冷たくしてしまったように思えて。

けれど成海は、そんな彼女の間を見透かしたように言う。



【成海】

「……まぁ。昔とはいろいろ変わったしな」


【新菜(そっと)】

「……やっぱり、何かあったの?」


【ト書き】

沈黙。
筆を握ったまま、成海の手が止まる。

やがて、小さくつぶやくような声で答える。



【成海】

「……期待されるの、疲れたんだよ。
“将来有望”だの、“才能あるね”だのって……勝手に言われて、勝手に幻滅されてさ」



【ト書き】

新菜は息をのむ。
目の前にいるのは、かつて“天才肌”と呼ばれていた、あの成海だった。

けれど今の彼は、そんな肩書きにどこか冷めたような目をしていた。



【新菜(ゆっくり)】

「……私は、幻滅なんてしないよ」


【成海(小さく)】

「……おまえはさ、昔からそうだったな。
何見ても“すごい”とか“キレイ”って言って。……単純で」



【新菜(むっとして)】

「……ちょっと、それ、バカにしてる?」



【成海】

「別に。……わかりやすくて、いいって話」



【ト書き】

視線が合う。
夕日が差し込む中、ほんの少しの笑みが、成海の表情に浮かぶ。
それは、新菜だけが知っている、昔のあの微笑みにどこか似ていた。



【新菜(心の声)】

「……やっぱり、私、成海くんのこういうとこ……好きなんだな」



【柱】

数分後/アトリエを出る前



【ト書き】

新菜が帰ろうとドアへ向かうと、背後からふいに成海の声がかかる。



【成海】

「——なぁ、新菜」



【ト書き】

その呼び方に、新菜の足が止まる。
幼い頃以来、あまり呼ばれたことのない“名前”。



【新菜(振り返りながら)】

「……なに?」



【成海(まっすぐ見て)】

「……おまえさ、また一緒に描いてくれよ。
昔みたいに、肩並べて」



【ト書き】

その言葉に、新菜の胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
でもそれは、苦しいんじゃなくて、うれしい痛みだった。


【新菜(微笑んで)】

「……うん。喜んで」




【柱】

芸術大学・静まり返った午後のアトリエ


【ト書き】

午後の柔らかな陽射しが、窓からアトリエに差し込んでいる。作業台に向かうふたり以外、生徒の姿はない。静かに鉛筆の音だけが響く中、新菜の頬はほんのりと赤く染まっていた。


【新菜(心の声) 】

(成海くんと二人きり。嬉しいけど……緊張して、手が全然言うこと聞いてくれないよ……!)


【⠀ト書き⠀】

彼女の指先が持つ鉛筆は、ほんのわずかに震えている。スケッチブックの上には静物のラフが描かれているが、影のつけ方がどこかぎこちない。

【新菜 (勇気をだして) 】

「……あの、成海くん。ここ、ちょっと変かなって思ってて……。この陰の入れ方、なんかしっくりこなくて……」


【⠀ト書き⠀】

声をかけると、成海はスケッチブックから顔を上げる。彼の目線がすっと新菜の紙に向けられ、そのままペンを持って手元に寄る。

【成海】

「ここ、光源が左上だから。
 陰は、もう少し深く……こっち側に落とす。」


【ト書き】

成海の指先が新菜の手元に添えられ、そっと鉛筆を走らせる。触れているわけではないのに、その距離感に新菜の心臓がドクンと跳ねた。


【新菜(心の声)】

(……うそ、近い。…うわ、香りまでする……柔らかい香水?成海くんの匂い……)


【ト書き】

成海の横顔は真剣で、余計な言葉はない。けれど、教えてくれる動きはどこか優しくて、距離が近すぎて、息が詰まりそうだった。



【成海(手を止めて、ちらと新菜の手を見て) 】

「……震えてんじゃん。」


【新菜 (顔を赤くし焦りながら) 】

「へっ!?い、いや……っ、違くて、ただの、ちょっと寒いだけで……!」


【⠀成海(口元に笑みを浮かべながら)】


「…俺の隣ってそんなに緊張すんの?」


【⠀新菜 (成海から視線を外し)】


「っ…するに、決まってるでしょ……」



【⠀ト書き⠀】


小さくつぶやいたその声に、成海の目元が優しく細められる。彼はスケッチブックを閉じると、軽く肩をすくめて言った。


【⠀成海 ⠀】


「……休憩するか。煮詰まってんだろ?」



【⠀ト書き⠀】


すっと立ち上がる成海の背中を、新菜は一瞬だけ見つめてから、そっと立ち上がって隣に並ぶ。


【⠀柱 ⠀】


窓辺のベンチ。午後の光がふたりの肩を照らす。


【⠀新菜 】

「……成海くんって、教えるの上手だよね。
 言葉だけじゃわかんないとこ、ちゃんと見てくれてるっていうか……」


【⠀成海(無表情っぽく見えて、どこか嬉しそうに)⠀】

「……お前は、動きと目線でわかる。目が泳ぐとき、絶対わかってない。」



【⠀新菜(むくれて)⠀】

「わ、わかるよ!?ちゃんと努力してるし……!」


【⠀成海(ふっと笑って)⠀】

「そういうところも、前から変わんねぇな。泣きそうでも、頑張るとこ。」



【⠀新菜(小さく目を見開いて)⠀】

「え…なんで、わかるの……?」



【 成海⠀(新菜の目を見つめ返して)】

「ばーか。どんだけ一緒にいたと思ってんだよ」



【⠀ト書き⠀】

その言葉に、新菜の心がじわりとあたたかくなる。だけど、同時に胸の奥がきゅっと痛む。ずっと、片想いだった人が、こんな風に覚えててくれたなんて。



【⠀成海(いたずらっぽく微笑んで)⠀】


「……惚れた?」



【⠀新菜(びくっとして)⠀】


「なっ……なにそれっ…からかわないでよ…っ」


【⠀成海 ⠀】


「……ははっ。冗談だよ。まぁ、照れてるとこはかわいいけど。」


【⠀ト書き⠀】

そんなふうに軽く言う成海くんの横顔に、新菜の心臓はまた跳ねる。
だけど、彼の目はやっぱりどこか優しくて、まっすぐで。


【⠀新菜(内心)⠀】


(……ずるいよ、成海くん。
 こんなの、もっと好きになっちゃうじゃん……)


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