その色に触れたくて…

【第9章】好きなだけじゃ、足りない

【柱:芸術大学・週末のアトリエ/雨音】

【ト書き】
雨の音が、静かにアトリエの窓を打っていた。
放課後の教室には、ぽつんと新菜だけが残っている。
白いキャンバスの前、筆を握る手は止まったままだ。

【新菜(内心)】
(もう、成海くんの顔が見れない)
(好きなのに、苦しくて、近づけない)

【ガラッ(扉の音)】

【ト書き】
ふいに開いた扉に、振り向いた瞬間。
目が合ってしまう。
雨に濡れた髪をかき上げながら、成海が真っ直ぐに歩いてくる。

【成海(少し荒い声で)】
「……やっぱり、ここにいた」

【新菜(驚きと戸惑いの混ざった声で)】
「なんで……」

【成海(歩みを止めず近づきながら)】
「もう限界。お前、なんでそんなに避けるんだよ」

【新菜(後ずさりしながら)】
「別に……避けてなんか……」

【成海(壁際に追い込むようにして)】
「嘘だ。ずっと目も合わせねぇし、話そうとしても逃げる」

【ト書き】
言葉を飲み込んだ新菜が、反射的に背を壁につけた瞬間。
ドンッ、と成海の手がそのすぐ横に添えられる。

【効果音:ドン(壁ドン)】

【新菜(目を見開いて)】
「……っ」

【ト書き】
距離は、ほんの数十センチ。
胸の奥で鳴っている鼓動が、耳の奥で響いてくる。

【成海(低く、でも揺れる声で)】
「……俺に何があったのか、知ってるのか」

【新菜(視線をそらして、小さく頷く)】
「……見ちゃった、あの人とのこと」

【ト書き】
一瞬だけ、成海の目が揺れる。
けれど次の瞬間、その目は真剣な色に染まった。

【成海(まっすぐに)】
「じゃあなんで、何も言わずに離れようとすんだよ」

【新菜(声を震わせて)】
「だって……私、ただの幼なじみで……」
「彼女がいる人に、“好き”なんて思っちゃいけないから……」

【ト書き】
その言葉に、成海の眉がわずかに寄る。
そして──

【成海(壁に置いていたもう一方の手も添えて)】
「……でも、俺は今、お前しか見えてない」

【新菜(驚いて顔を上げて)】
「……っ、え……?」

【成海(苦しげに)】
「沙耶が大事だって気持ちは、変わらない。
 でも、お前のこと避けられなくなってる。
 “好き”だって言葉、簡単に使えないけど……
 でも今、お前を放っとけないって思ってる俺がいる」

【ト書き】
新菜の目に、にじむ涙。
言葉にできない感情が、胸の奥であふれそうになる。


【新菜(かすかに笑って)】
「……ずるいよ、成海くん」

【成海(声を絞り出して、小さく目を細めて)】
「……わかってる」

【ト書き】
一歩でも動けば、触れてしまいそうな距離。
けれど成海はその場から微動だにせず、新菜を見下ろしていた。

【新菜(必死に言葉を繋ごうとして)】
「でも、私……そんなつもりじゃなくて……。
 成海くんに、迷惑かけるつもりなんて……ほんとは、ほんとは……」

【ト書き】
言い訳を繰り返すように、どうにか気持ちを落ち着けようとする新菜。
でも、その瞬間――

【成海(低く、途切れるように)】
「……うるさい」

【ト書き】
その言葉と同時に、
成海は一気に距離を詰め、新菜の唇をふさぐようにキスを落とした。

【効果音:ドクン…(心臓の鼓動)】

【新菜(目を見開いて、固まる)】
「……っ!」

【ト書き】
壁に押しつけられた背中。
額が触れそうなほどの近さ。
キスは、強くもなく、優しすぎることもなく――
ただ、真っ直ぐな想いがぶつかるような熱を帯びていた。

【ト書き】
新菜は息を止めたまま、成海の胸の音だけを聞いていた。
一秒が、まるで永遠のように長くて、短かった。

【ト書き】
そっと唇が離れる。

【成海(目を伏せて、かすかに囁くように)】
「……これ以上、逃げんな」

【新菜(顔を真っ赤にして、涙をこらえながら)】
「……ずるいよ、成海くん……ほんとに、ずるい」

【成海(困ったようにふっと笑って)】
「それ、さっきも言われた」

【ト書き】
その笑顔が、どうしようもなく切なくて、
でも、どこか幸せに見えて。

【ト書き】
新菜は胸にそっと手を当てた。
まだ名前のないこの感情に、静かに震える。

【新菜(内心)】
(このキスに、答えてはいけない。
 でも、忘れられない。
 だって私は……ずっと、ずっと……)

【ト書き】
窓の外、雨はまだ止まなかった。


【柱:大学の帰り道・夕暮れ/しとしと雨上がり】

【ト書き】
夕焼けと、濡れたアスファルト。
新菜は傘をささず、ひとりで歩いていた。
ポケットの奥、手がぎゅっと握られている。
あのキスの感触が、まだ、そこに残っていた。

【新菜(内心)】
(……夢じゃないよね)
(ほんとに……成海くんが、私に)

【ト書き】
胸の奥が、何度も何度も高鳴って、
でも、そのたびに、違う痛みが追いかけてくる。

【新菜(ゆっくり歩きながら)】
(わかってる。わかってるよ、私だって)
(彼には、彼女がいる。大切にしてる人が、ちゃんといる)
(なのに、あんなキス……)

【ト書き】
足が止まった。
気づけば、誰もいない公園の前。

【新菜(目を伏せて)】
「……ずるいよ、成海くん」

【ト書き】
ぽつり、つぶやいた声が風に流れる。
だけど、涙は出なかった。
泣いたら、すべてが壊れてしまいそうで。

──そのころ

【柱:成海の部屋/夜】

【ト書き】
暗い部屋の中、成海はベッドの上で天井を見つめていた。
スマホの通知は、誰からも来ない。
手を伸ばす気にもなれなかった。

【成海(内心)】
(……最低だ、俺)

【ト書き】
沙耶を裏切った。
一番してはいけない形で。
けれど、止められなかった。
あのとき、新菜が言い訳しようとして、
あの震えた声が、どうしても……。

【成海(眉を寄せて、かすかに吐息)】
「……可愛かったんだよ、泣きそうで、必死で……」

【ト書き】
ごまかすように呟いた自分に、嫌気がさす。
これは恋なのか、それとも逃げなのか――
答えが出せないまま、時間だけが過ぎていく。

──その夜

【柱:咲那の部屋】

【ト書き】
薬を並べた机の上に、手帳が一冊置かれている。
咲那は静かに、それを開いた。
そこには、走り書きのような文字が綴られていた。

【咲那(内心・ナレーション)】
「成海くん、元気かな」
「……最近、少しだけ変わったよね」
「気づかないふり、してあげた方がいいのかな……」

【ト書き】
薄く微笑んだその顔は、どこかさみしげで、
でも、どこまでも優しかった。

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