その色に触れたくて…
【第7章】さわれない距離が、今日も隣にある
【柱:芸術大学・翌日のアトリエ】
【ト書き】
窓からの光が、ゆるやかに揺れる午前のアトリエ。
教室の隅、新菜は一人、真っ白なキャンバスの前で立ち尽くしていた。
【新菜(内心)】
(……描けない。筆が、動かない)
【ト書き】
絵を描くのが好きだった。
ただそれだけでここに来た。
でも今は、何を描いても、何の色を混ぜても、胸の奥が痛い。
【ト書き】
後ろの席に、成海の気配がある。
昨日と変わらない、静かな存在感。
だけど——それに気づいてる自分が、悔しかった。
【成海(不意に声をかけて)】
「なあ」
【新菜(びくっとして振り返る)】
「……なに?」
【成海(筆を見て)】
「ずっと手止まってるけど、何か詰まってんの?」
【新菜(視線をそらして)】
「……別に、詰まってないよ」
【ト書き】
嘘だった。
詰まってるのは、絵じゃない。
成海への気持ちと、言えない真実と、どうしようもない嫉妬だった。
【成海(少し近づいて、声を落として)】
「……昨日から変だよな」
【新菜(ピクリと反応しながらも、笑って)】
「変じゃないって。いつも通りだよ」
【成海(じっと見て)】
「嘘」
【新菜(動揺を隠して)】
「……な、なにが」
【成海(真顔で)】
「お前、俺の目見てない」
【ト書き】
言われて、思わず顔を背けた。
図星だった。
目を合わせたら、何かが崩れてしまいそうで、怖かった。
【新菜(うつむいて、ぎゅっと筆を握りしめ)】
「……ごめん。
ちょっと今、描くことに集中したいだけだから」
【ト書き】
成海はしばらく黙っていた。
けれどそのあと、そっと一歩だけ距離を縮めてきた。
【成海(静かに)】
「……俺、なにかしたか」
【新菜(答えられず、俯いたまま)】
「……ううん。なにもしてない」
【成海(少しだけ声を落として)】
「なら、なんでそんな顔すんだよ」
【新菜(目を見開いて、ぐっとこらえたあと)】
「……成海くんに言われたくない」
【ト書き】
思わず出た言葉だった。
言ったあと、自分で驚いた。
でも、それは嘘じゃなかった。
【成海(静かに)】
「……なんだよ、それ」
【新菜(目を合わせず、声を震わせて)】
「……なんでもない。
ごめん。ほんとに、なんでもないから」
【ト書き】
それ以上、成海は何も言わなかった。
静かに息を吐いて、元の席に戻っていった。
【新菜(内心)】
(ごめん……ほんとは、全部言いたい。
でも、彼女がいるって知ってしまった以上、
この想いを伝えたら……何もかも壊れる気がして)
【ト書き】
キャンバスを見つめる瞳が、静かに滲んでいた。
誰にも見えないように、そっと。
【柱:芸術大学・廊下、昼休み】
【ト書き】
新菜は一人、教室から少し離れた廊下に出ていた。
誰にも会いたくなくて、誰にも見られたくなくて。
空き教室の前に座り込んで、ゆっくりと息を吐いた。
【新菜(内心)】
(どうしてこんなに苦しいんだろ……
言ってしまえば、少しは楽になるのかな)
【ト書き】
でも、言ったらきっと、もう戻れなくなる。
“彼女がいる”という、絶対に越えられない現実を前に、
自分の気持ちなんて、きっとただのわがままになる。
【新菜(心の中で呟く)】
(好きって……言わなきゃよかったのに。
気持ちなんて知られないままのほうが、よかったのに)
【ト書き】
そのとき、廊下の奥から足音が近づいてきた。
聞き慣れたリズム。
振り返るより早く、名前が呼ばれた。
【成海】
「……ここにいたのか」
【新菜(ぎくっとして)】
「……成海くん……」
【ト書き】
思わず立ち上がろうとする新菜の腕を、成海がそっと掴む。
強くはない。けれど、逃げられないくらいのやさしさで。
【成海(じっと目を見て)】
「……お前さ、俺のこと避けてるだろ」
【新菜(視線をそらして)】
「……そんなこと、ないよ」
【成海(かぶせるように)】
「嘘つけ。今朝だって、目合わせてない」
【ト書き】
新菜の手が、ぎゅっと拳を握る。
声が震えないように、唇を噛んだ。
【新菜(しぼり出すように)】
「……ねぇ、成海くん。
私たち、距離置いたほうがいいと思う」
【成海(驚いたように)】
「……は?」
【新菜(必死に笑って)】
「今の私、たぶん……ちゃんと成海くんと向き合えない。
だから少し、離れてたほうがいいかなって」
【ト書き】
成海は言葉を失ったまま、新菜を見つめた。
その表情が、ただ“寂しそう”で、それが余計に胸を締めつけた。
【成海(低く、迷いのある声で)】
「……俺、お前に何かした?」
【新菜(小さく首を振って)】
「ううん、成海くんは……なにも悪くないよ」
【ト書き】
でも言えなかった。“彼女を見た”とも、“苦しい”とも、“好き”だとも。
【新菜(微笑んで)】
「だから、大丈夫。
ただちょっと……自分のこと見つめ直す時間がほしいだけ」
【成海(じっと黙ったまま、目を細めて)】
「……わかった」
【ト書き】
そう言った成海の声が、どこか押し殺されたように聞こえた。
やがて手を離して、ゆっくりと背を向ける。
【成海(去り際に)】
「……でも、お前が戻ってくるまで、俺はそこにいる」
【ト書き】
その言葉だけが、あとに残った。
新菜は動けずに、その場に立ち尽くすしかなかった。
【新菜(内心)】
(……だめだよ、そんな風に言われたら。
期待しちゃいそうになるじゃん……)
【柱:昔の記憶・小学生の頃/町の公園】
【ト書き】
春の終わり。
まだ肌寒さが残る風が吹く日、町の小さな公園。
すべり台の下で泣いている新菜の声が、風に混じって響いていた。
【新菜(小さな声で泣きながら)】
「……うう、まま……どこ……」
【ト書き】
手には、落としたままの赤いクレヨン。
新菜は、母親とはぐれてしまっていた。
目の前が歪んで、泣きながらぐずぐずと立てずにいた。
【成海(後ろからパタパタと駆け寄って)】
「おい、新菜! 何泣いてんだよ」
【新菜(顔をあげて)】
「な、なるみくん……っ」
【ト書き】
幼い成海は、ランドセルを放り出すようにして近づき、
新菜の前にしゃがみ込んだ。
【成海(真剣な顔で)】
「また迷子かよ、お前……ほんと泣き虫なんだから」
【新菜(泣きじゃくりながら)】
「だって……ままいないの……ひとりで、こわい……っ」
【成海(ぽん、と頭に手をのせて)】
「大丈夫。俺がいるだろ」
【ト書き】
その言葉に、新菜の涙がぴたっと止まる。
成海は、ニッと笑って、手を差し出した。
【成海(優しく)】
「なあ、帰ろう。ちゃんと送ってってやるから」
【新菜(小さくうなずいて、その手をぎゅっと握って)】
「……うん」
【ト書き】
その手は、小さくてあたたかくて。
何が怖かったのか忘れてしまうくらい、頼もしかった。
【新菜(内心・回想の中で)】
(あのときから、私はずっと成海くんが好きだったんだ)
【カット:現在・アトリエの机にうつ伏せる新菜】
【ト書き】
課題の合間、スケッチブックの横に顔を伏せたまま、
新菜は目を閉じていた。
ふと、あのときの記憶が浮かんできて、胸がきゅうっとなる。
【新菜(内心)】
(変わったのは、私たちじゃなくて……環境だけなのかも)
(でも……だからこそ、今はもう、あの頃みたいに甘えられない)
【ト書き】
ふと、視界の端に成海の姿が映る。
彼は別のグループの学生と課題の話をしていた。
けれど、時折こちらに視線を向けてくることに、新菜は気づいていた。
【新菜(内心)】
(こっち見ないでよ……。そんな顔しないでよ)
(今、優しくされたら……また、期待しちゃうじゃん)
【ト書き】
涙は出ない。
だけど、胸の奥にあった“想い出の色”が、じんわりと滲んで広がっていくようだった。
【ト書き】
窓からの光が、ゆるやかに揺れる午前のアトリエ。
教室の隅、新菜は一人、真っ白なキャンバスの前で立ち尽くしていた。
【新菜(内心)】
(……描けない。筆が、動かない)
【ト書き】
絵を描くのが好きだった。
ただそれだけでここに来た。
でも今は、何を描いても、何の色を混ぜても、胸の奥が痛い。
【ト書き】
後ろの席に、成海の気配がある。
昨日と変わらない、静かな存在感。
だけど——それに気づいてる自分が、悔しかった。
【成海(不意に声をかけて)】
「なあ」
【新菜(びくっとして振り返る)】
「……なに?」
【成海(筆を見て)】
「ずっと手止まってるけど、何か詰まってんの?」
【新菜(視線をそらして)】
「……別に、詰まってないよ」
【ト書き】
嘘だった。
詰まってるのは、絵じゃない。
成海への気持ちと、言えない真実と、どうしようもない嫉妬だった。
【成海(少し近づいて、声を落として)】
「……昨日から変だよな」
【新菜(ピクリと反応しながらも、笑って)】
「変じゃないって。いつも通りだよ」
【成海(じっと見て)】
「嘘」
【新菜(動揺を隠して)】
「……な、なにが」
【成海(真顔で)】
「お前、俺の目見てない」
【ト書き】
言われて、思わず顔を背けた。
図星だった。
目を合わせたら、何かが崩れてしまいそうで、怖かった。
【新菜(うつむいて、ぎゅっと筆を握りしめ)】
「……ごめん。
ちょっと今、描くことに集中したいだけだから」
【ト書き】
成海はしばらく黙っていた。
けれどそのあと、そっと一歩だけ距離を縮めてきた。
【成海(静かに)】
「……俺、なにかしたか」
【新菜(答えられず、俯いたまま)】
「……ううん。なにもしてない」
【成海(少しだけ声を落として)】
「なら、なんでそんな顔すんだよ」
【新菜(目を見開いて、ぐっとこらえたあと)】
「……成海くんに言われたくない」
【ト書き】
思わず出た言葉だった。
言ったあと、自分で驚いた。
でも、それは嘘じゃなかった。
【成海(静かに)】
「……なんだよ、それ」
【新菜(目を合わせず、声を震わせて)】
「……なんでもない。
ごめん。ほんとに、なんでもないから」
【ト書き】
それ以上、成海は何も言わなかった。
静かに息を吐いて、元の席に戻っていった。
【新菜(内心)】
(ごめん……ほんとは、全部言いたい。
でも、彼女がいるって知ってしまった以上、
この想いを伝えたら……何もかも壊れる気がして)
【ト書き】
キャンバスを見つめる瞳が、静かに滲んでいた。
誰にも見えないように、そっと。
【柱:芸術大学・廊下、昼休み】
【ト書き】
新菜は一人、教室から少し離れた廊下に出ていた。
誰にも会いたくなくて、誰にも見られたくなくて。
空き教室の前に座り込んで、ゆっくりと息を吐いた。
【新菜(内心)】
(どうしてこんなに苦しいんだろ……
言ってしまえば、少しは楽になるのかな)
【ト書き】
でも、言ったらきっと、もう戻れなくなる。
“彼女がいる”という、絶対に越えられない現実を前に、
自分の気持ちなんて、きっとただのわがままになる。
【新菜(心の中で呟く)】
(好きって……言わなきゃよかったのに。
気持ちなんて知られないままのほうが、よかったのに)
【ト書き】
そのとき、廊下の奥から足音が近づいてきた。
聞き慣れたリズム。
振り返るより早く、名前が呼ばれた。
【成海】
「……ここにいたのか」
【新菜(ぎくっとして)】
「……成海くん……」
【ト書き】
思わず立ち上がろうとする新菜の腕を、成海がそっと掴む。
強くはない。けれど、逃げられないくらいのやさしさで。
【成海(じっと目を見て)】
「……お前さ、俺のこと避けてるだろ」
【新菜(視線をそらして)】
「……そんなこと、ないよ」
【成海(かぶせるように)】
「嘘つけ。今朝だって、目合わせてない」
【ト書き】
新菜の手が、ぎゅっと拳を握る。
声が震えないように、唇を噛んだ。
【新菜(しぼり出すように)】
「……ねぇ、成海くん。
私たち、距離置いたほうがいいと思う」
【成海(驚いたように)】
「……は?」
【新菜(必死に笑って)】
「今の私、たぶん……ちゃんと成海くんと向き合えない。
だから少し、離れてたほうがいいかなって」
【ト書き】
成海は言葉を失ったまま、新菜を見つめた。
その表情が、ただ“寂しそう”で、それが余計に胸を締めつけた。
【成海(低く、迷いのある声で)】
「……俺、お前に何かした?」
【新菜(小さく首を振って)】
「ううん、成海くんは……なにも悪くないよ」
【ト書き】
でも言えなかった。“彼女を見た”とも、“苦しい”とも、“好き”だとも。
【新菜(微笑んで)】
「だから、大丈夫。
ただちょっと……自分のこと見つめ直す時間がほしいだけ」
【成海(じっと黙ったまま、目を細めて)】
「……わかった」
【ト書き】
そう言った成海の声が、どこか押し殺されたように聞こえた。
やがて手を離して、ゆっくりと背を向ける。
【成海(去り際に)】
「……でも、お前が戻ってくるまで、俺はそこにいる」
【ト書き】
その言葉だけが、あとに残った。
新菜は動けずに、その場に立ち尽くすしかなかった。
【新菜(内心)】
(……だめだよ、そんな風に言われたら。
期待しちゃいそうになるじゃん……)
【柱:昔の記憶・小学生の頃/町の公園】
【ト書き】
春の終わり。
まだ肌寒さが残る風が吹く日、町の小さな公園。
すべり台の下で泣いている新菜の声が、風に混じって響いていた。
【新菜(小さな声で泣きながら)】
「……うう、まま……どこ……」
【ト書き】
手には、落としたままの赤いクレヨン。
新菜は、母親とはぐれてしまっていた。
目の前が歪んで、泣きながらぐずぐずと立てずにいた。
【成海(後ろからパタパタと駆け寄って)】
「おい、新菜! 何泣いてんだよ」
【新菜(顔をあげて)】
「な、なるみくん……っ」
【ト書き】
幼い成海は、ランドセルを放り出すようにして近づき、
新菜の前にしゃがみ込んだ。
【成海(真剣な顔で)】
「また迷子かよ、お前……ほんと泣き虫なんだから」
【新菜(泣きじゃくりながら)】
「だって……ままいないの……ひとりで、こわい……っ」
【成海(ぽん、と頭に手をのせて)】
「大丈夫。俺がいるだろ」
【ト書き】
その言葉に、新菜の涙がぴたっと止まる。
成海は、ニッと笑って、手を差し出した。
【成海(優しく)】
「なあ、帰ろう。ちゃんと送ってってやるから」
【新菜(小さくうなずいて、その手をぎゅっと握って)】
「……うん」
【ト書き】
その手は、小さくてあたたかくて。
何が怖かったのか忘れてしまうくらい、頼もしかった。
【新菜(内心・回想の中で)】
(あのときから、私はずっと成海くんが好きだったんだ)
【カット:現在・アトリエの机にうつ伏せる新菜】
【ト書き】
課題の合間、スケッチブックの横に顔を伏せたまま、
新菜は目を閉じていた。
ふと、あのときの記憶が浮かんできて、胸がきゅうっとなる。
【新菜(内心)】
(変わったのは、私たちじゃなくて……環境だけなのかも)
(でも……だからこそ、今はもう、あの頃みたいに甘えられない)
【ト書き】
ふと、視界の端に成海の姿が映る。
彼は別のグループの学生と課題の話をしていた。
けれど、時折こちらに視線を向けてくることに、新菜は気づいていた。
【新菜(内心)】
(こっち見ないでよ……。そんな顔しないでよ)
(今、優しくされたら……また、期待しちゃうじゃん)
【ト書き】
涙は出ない。
だけど、胸の奥にあった“想い出の色”が、じんわりと滲んで広がっていくようだった。