偽りの月妃は、皇帝陛下の寵愛を知りません。 ー月下の偽妃と秘密の蜜夜。ー
月鈴の背をかすめた冷気。
黒装束の密偵は、指先一本で紫遥を刺そうとした。
だが彼は、咄嗟に腕を引いて身を翻す。
「貴様……」
密偵は海鳴のような声で消え、砂原の夜に溶けた。
「大丈夫……でも、危ない。すぐ立ち去ろう」
心臓が早鐘を打った。
夜風の音も、砂の跳ね返りも、鼓動にかき消される。
だが月鈴は、震える手で彼の腕を抱いた。
「怖くても……ここに、いたいです」
それは甘い囁きだった。
その夜は急遽、仮の野営となった。
焚き火の前で、二人は灯を分けるように寄り添った。
紫遥は、怖がる月鈴を抱きしめながら、ぎこちなくもそっと手を取り――
「俺を信じてくれて、ありがとう」
「はい……」
髪に絡む砂を丁寧に払う紫遥。
月鈴はその指先に触れ、静かに息をついた。
胸の奥で、途端に甘く疼く響き。
月灯りに浮かぶ顔は、まるで頬を染めた少女のようだった。