兄の仇にキレ散らかしたら、惚れられたんですけど!?

第10話『あの日、俺が守れなかったもの』

放課後。
玲那はスマホを握りしめ、公園へと歩を進める。

約束の場所――
夕陽に照らされた、錆びたブランコと小さなすべり台。
そこに、ひとりの男が座っていた。

黒髪に赤メッシュ。制服の襟をゆるく開けて、空を仰ぐ横顔。

黒崎 蓮。

「……早いじゃん」

「落ち着かねぇんだよ。こういうの」

蓮は玲那を見上げると、ベンチの隣をポンと叩く。

「座れよ」

玲那は無言で隣に腰を下ろす。
少しの間だけ、風の音がふたりの間を通り過ぎた。

「……晴翔のこと、知りてぇんだろ?」

玲那は、こくんと頷いた。

蓮は、少し空を見上げたまま、ぽつりと話し始める。

「最初、あの人と会ったとき……いきなり殴られた」

「……は?」

「マジで。鼻折れたかと思った」

ふっと蓮が笑う。
その笑みに、玲那はちょっと呆れ顔になる。

「でもな、そのあと、晴翔……笑ったんだよ。“気が合いそう”って」

「……兄ちゃんらしい」

「喧嘩したあと、初めてメシ食いに行った。
 “お前は誰を守りたくて拳振ってんだ”って、いきなり聞いてきたんだ。
 ――そのとき初めて、自分のこと、ちゃんと考えた気がした」

「……あんたが喧嘩してた理由って、いつも誰かのためだったもんね」

「まあな。正当化すんのもアレだけど……あの人は、それを否定しなかった」

少し沈黙があって、蓮は視線を落とす。

「……あの日、晴翔はうちのメンバー庇って刺された。
 俺、駆けつけたけど……何もできなかった。
 止めることも、救うことも、全部――間に合わなかった」

「……っ」

「それでも、あの人は笑ってた。“お前が変わればいい”ってさ」

膝の上の拳が、わずかに震えていた。

「俺さ、それからずっと、自分を罰してた。
 “俺のせいで死んだ”って思ってたから。
 だからお前には、嫌われたかった。そうやって償ったつもりでいた」

玲那は静かに立ち上がると、蓮の前に回り込む。
そして――まっすぐに彼の目を見つめた。

「……バカじゃん」

「……は?」

「何ひとつ、あたしに確認しないで勝手に決めて、勝手に苦しんで……バカじゃん。
 自分だけで背負って、全部終わらせたつもりになんなよ」

蓮の目が、少しだけ揺れる。

「晴翔があんたに何を託したのか、今はまだわかんないけど……
 少なくとも、こんな後悔まみれの背中、兄ちゃんは望んでないと思う」

玲那の瞳には、涙が溜まっていた。

「私は、まだあんたのこと許したわけじゃない。
 でも――ちゃんと、知ってみたい。
 兄ちゃんが“認めた”あんたのことを、自分の目で見て、考えたい」

蓮はしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。

「……お前、やっぱ晴翔に似てるよな」

「は?」

「いや、思い出したんだよ――最初、お前に殴られたとき」

「……あんた、それ根に持ってんの?」

「逆。……笑いそうになった」

蓮は、ゆっくり顔を上げて、玲那の目をじっと見つめる。

「初対面で殴ってきたやつ、俺の人生で2人しかいねぇ」

「は?」

「晴翔と――お前」

玲那が一瞬、言葉を詰まらせる。

「殴られた瞬間さ。思ったんだよ。“あれ、なんか懐かしいな”って。
 そして――“惚れた”って」

「……はああ!?」

玲那が目を見開いて叫ぶ。

「お前ら、ほんと似てる。ぶん殴る前に名前聞けよ、マジで」

そう言って蓮は――
子どものような、無邪気な笑顔を見せた。

玲那は、何か言いかけて、でもやめて、むくれたようにそっぽを向いた。

「……知らない。変なやつ」

「お互い様だろ?」

ふたりの間に、ほんの少しだけ、やわらかな空気が流れた。

「……お前ら、ほんと似てるよな」

そう言って蓮は、無邪気な笑顔を向けた。

まるで少年みたいに、まっすぐで、裏がない笑い方だった。
玲那は一瞬、何も言えずに見つめてしまう。

「惚れたって……それ、マジで言ってんの?」

「マジだよ?」

「……バカじゃないの」

ぽつりと呟いて、玲那はベンチから立ち上がる。
だけど、その足取りはどこかふらついていて、後ろを向いたまま顔を赤くしていた。

「おい、玲那?」

「もう知らない。……調子狂うんだよ、あんた」

「何が?」

「いつもムカつくのに、たまにそうやって……優しい顔すんな」

玲那の声が、かすかに震えていた。

蓮は黙ってその背中を見つめ――
そっと立ち上がると、玲那の隣まで歩いて並んだ。

「……ありがとうな。話聞いてくれて」

「……別に、あんたのためじゃないし」

「わかってるよ。でも……ちょっと救われた」

玲那は一度だけ蓮の方をチラと見て、また前を向いた。

「あんたさ、罪とか罰とか、そういう言い方するけど――
 本当は、誰かに許してほしいだけなんじゃないの?」

「……そうかもな」

「でもさ、そんなの……自分で許せない限り、誰が何言ってもムダだよ」

蓮は、それを聞いて目を細める。

「……ほんと、晴翔とそっくりだな。
 そのまま成長したら、マジで脅威だわ」

「は? 何それ」

「怖いって意味」

「はあ!? あたしのどこが怖いってんの」

「そこが怖ぇんだよ、玲那」

蓮が笑うと、玲那はムッとした表情で背を向け――
でも、ふと立ち止まり、少しだけ声を落とした。

「……ねえ、蓮」

「ん?」

「晴翔のこと、もっと教えて。あたしの知らない兄ちゃんのこと、全部……」

「……ああ。俺が知ってる全部、話す」

そのやりとりの中に、わずかに変わり始めた“信頼”の芽があった。



その日の帰り道。

歩くペースも、距離感もまだぎこちない。
けれど――並んで歩くことが、自然になりつつある。

「なあ」

「なに」

「好きなもんとか、ねぇの?」

「いきなり何。……あるよ」

「例えば?」

「飴」

「……子どもかよ」

「うっさい、ほっといてよ」

ふと笑いがこぼれる。

何気ない会話の中で、少しずつ重たかった空気が、やわらいでいく。

玲那は空を見上げた。
すこし、心が軽くなった気がした。



その夜。
蓮のスマホに、一件の通知が届く。

《From:羽瀬 京馬》
『次の集会、例の奴ら動いてきそうだ。玲那、連れてくるなよ』

蓮はそのメッセージをしばらく見つめて――

「……悪ぃな、京馬。あいつはもう、勝手に離しておけねぇ」

画面をスリープにして、ぽつりと呟いた。
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