『脆い絆』
15 ◇今までの全てよ、さなうなら


離婚する方法が2通りある。
裁判離婚と協議離婚である。

何も協議してないけれど、ここで判子をつけばまぁ、協議離婚になるのだろう。

それにしても、私たちのことに妹がしゃしゃり出て来て、肝心の本人である
夫の哲司はどういう心持ちでいるのだろう。

……って、大体想像はつくけれど。

本人の意思をちゃんと向き合い確認してから普通は離婚するのだろうけれど、
自分の預貯金は持ち出しており財産分けする家もなし。


大体、話し合いをする気持ちがあるのなら、一度くらい私の顔を
見に来るだろう。

職場は分かっているのだから。
だから、そういうことなのだ。


           ********


私は翌日の昼の時間に役場までひとっ走りして離婚届を出した。

『さよなら、哲司さん。あなたの裏の顔知らずにいたかったなぁ~』

そう帰る道々思ったけれど、遺恨を残してこの先の人生を生きてゆくのは
辛過ぎるから、考え方を改めてみることにした。

哲司さんがいたから、結婚ができた。
彼がいたから、娘も産めた。
幸せな時間ももらえた。

そして、生涯味わいたくもなかった苦しみも味わわせてもらった。
いいことも嫌なこともまるっと含めて、私は経験させてもらった。

『哲司さん、ありがとう、ありがとう、ありがとう』

私は新しい人生を歩むわ。

『今までの全てよ、さなうなら』



この日の午後から私は、看護婦としての仕事の合間に看護部屋の部屋を徹底的に
整理整頓し、拭き掃除に精を出して過ごした。

部屋もすっきり、自分の気持ちもすっきり、そんな一日になった。


           ********

小桜家がすったもんだして温子が家を追い出され離婚届けを出したその日は……
1912年7月26日で、大きな戦争・第一次世界大戦が(2年後に)始まる直前の、
いわば嵐の前の静けさ……の時期であった。

国内においては、4日後の7月30日に明治天皇がご崩御あそばし、皇太子・
嘉仁親王がご即位して大正天皇となられ「大正時代」が幕開けするという、
そんな時節柄のことだった。


◉第一次世界大戦は、1914年7月28日~
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