愛しのマイガール
「さて、そろそろ行かないと。本社で会議があるから」
「そっか。今日も忙しいんだね」
「夕方には戻ると思う。俺に連絡がつかなかったら執事の石神を頼って」
「うん、わかった」
私が頷くと、ハルちゃんは真面目な顔をして一歩、こちらへ歩み寄ってきた。
「るり。お願いがあるんだけど」
「な、なに?」
「いってらっしゃいって、言ってくれないか?」
「え?」
「るりが笑顔で送り出してくれたら、今日一日もっと頑張れるかも」
「え……えっ、と……」
不意打ちみたいな言葉に、思わず戸惑った。頬が熱くなり、私は小さく息を吸う。……一呼吸おいて、それから、ゆっくりと伝えた。
「……いってらっしゃい。お仕事頑張ってね、ハルちゃん」
たったそれだけの言葉で、ハルちゃんの目元が和らぐ。ハルちゃんの大きな手が伸びてきて、私の頭に優しく触れた。
「……ありがとう。行ってくるよ」
ハルちゃんの手のぬくもりが離れる。去っていく彼の背中を見送りながら、私は胸の奥がぽうっとあたたかくなるのを感じていた。
家に来て欲しいと言われて、実はほんの少し、身構えていた。
世間に大きく知らされ、私達の肩書きは「婚約者」。一緒に住むとなると、距離感はどうなるのかなって。
だけどやっぱりハルちゃんはどこまでも紳士で、無理やり距離を詰めてくるようなことはしなかった。
ベッドどころか部屋も別。隣ではあるけれど、入る時にはきちんとノックをしてくれるし、ふれあいも最小限。
今頭をポンとされたのが、ここに来て初めてハルちゃんに触れられた瞬間だった。
「……やっぱり、ハルちゃんかっこいいなあ…」
ぽつりとつぶやきを落とし、ハルちゃんの背中が見えなくなるまでしばらくの間、ぼんやりと立ち尽くしていた。
さっきまで一緒にいたはずなのに、背中を見送っただけで小さな切なさを覚える。
ふと、ハルちゃんの手の感覚を思い出す。
感覚はもう残っていないのに、そこだけが、少しだけ火照っている気がして──胸の奥に小さな鼓動が灯った。