未完成の恋ですが。~俺様建築士と描く未来の設計図~

第1章・直線の上を歩く

 勤務先の穂坂(ほさか)市役所は、最寄駅から続く坂道を10分ほど上がった突き当たりにある。名前のとおり、のどかな田畑といくつもの緩やかな坂が印象深い穂坂市は、町のように小さな市だ。

 生まれ育ったこの町で、市役所勤めというのは安定の証だった。「市役所に勤めている」と言えばそれだけで一目置かれる。実際、母は市役所の採用通知に、これで親戚にも顔が立つと涙すら浮かべて喜んだ。

 少しだけ面倒なのは、人付き合いだ。人口およそ二万人そこそこの市では、職場の人間関係も町内会の延長みたいなもので、同僚は同級生、課長は三軒向こうのお父さん、ということもざらにある。
 そんな中で波風をたてずに仕事をしていくためには、息をひそめ、目立たず、印象が薄いくらいの存在でちょうどいい。

 宮本莉央(みやもとりお)は、坂の途中で足をとめた。
 海が望める高台には、市営のバス停がある。バスがやってくるのは日に三度。傾いたベンチと色褪せた時刻表はそこだけ時間に取り残されているように見える。バスの廃止はすでに決まっているらしい。
 莉央は、バス停の手前、木々の葉の隙間から眼下に目を凝らした。視線を左右に揺らすこと、数十秒。

 (……あった。あれだ)

 坂の下、遠目からでも巨木とわかる樹に囲まれて、その家は息をひそめていた。瓦屋根はところどころ剥がれて骨組みとおぼしき木がのぞき、軒まわりにはツタのような緑がまとわりついている。
 長く手入れがされていないことは、だれの目にも明らかだった。

 本当に、あの家が子どもたちの居場所になるのだろうか。本当に、自分にその手伝いができるのだろうか。
 湧き上がる不安を打ち消そうと、小さく首を横に振る。

 (いや、やらなくちゃ。自分で決めたことなんだから)


 スマホが震えてラインの着信を告げた。見れば、美咲(みさき)の名前が液晶に映る。
 彼女は、保育園から高校までを一緒に過ごした「同級生の同僚」のひとりだ。

 『おはよう! 地域再生プロジェクトの担当になったんだって?』
 『え! なんで知ってるの!? そう。古民家をこども図書館にするっていう計画で』
 『立候補したなんて、莉央にしては珍しいね』

 ウサギが驚いているスタンプが添えられている。さすが美咲だ、と思う。長年の付き合いで莉央の引っ込み思案の気質をよく見抜いている。

 『うん。絵本のセレクトも任せてくれるって聞いたから』
 『絵本作家になりたかった莉央にはぴったりってことか。でも、大丈夫?』

 なにが、と問う前に美咲のメッセージが続いた。

 『そのプロジェクト引っ張ってる建築士さん、くせ者なんでしょ。市側の担当やめさせて、莉央で3人目』

 (え……?)

 吸った息が戻ってこない。くせ者? やめさせた? 前任の担当がプロジェクトから外れた理由を考えたことはなかった。
 莉央はスマホを目の前10センチに近づけて文字列を凝視する。
 そこに、美咲からのメッセージが届いた。さっきと同じ、驚いたウサギがまた登場している。

 『もしかして知らなかった? 詳しいことはまたあとでね』

 半ば放心状態で、スマホをバッグに押し込んだ。

 腕時計を確認すると、始業時間まで間がない。急がなければ。
 大学を卒業して4年目、無遅刻・無欠勤記録は更新し続けている。

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