ヤワラカセカイ
ヤワラカセカイ〜君との夏のエトセトラ〜3
・
…とは言うものの、やっぱり青木さんは忙しくて。
朝は早いし、夜は結構遅くに帰ってくる。
昼間、私は一人で家に居るわけで。
お掃除と洗濯、夜ご飯の準備を念入りにしてもお昼には終わってしまうから。
マンガでも持って来れば良かったな…。
手持ち無沙汰にスマホをいじりつつ、ぼーっと昼間のワイドショーを見つめる。
『買いたいものがあったら、俺に行って!買って帰るから。
9月に入ったけど、まだ昼間暑いしさっ!』
『でも…青木さんが大変なんじゃ…』
『ううん。それより、沙香ちゃんが家に居てくれた方が安心するから。
ごめん、ワガママだけど、その…外出しないで欲しいかも。あんまり。』
…青木さんが仕事に打ち込めなくなったら困るから。外出して欲しく無いならそうするけど。
青木さんにしてみたら、私は結構やらかしてきてるんだな…やっぱり。
ふうとため息をついたここに来て3日目の昼間。
ピンポーン…
インターホンが不意に鳴った。
誰だろう?
モニターには、心配そうな顔をした…山ちゃん?!
どうしてここが!
思い切りドアを開けたら、驚いて目を見開く山ちゃん。
「…珍しいこともあるもんだね。まーくんの言いつけちゃんと守ってんだ。」
そして、少し小首を傾げる瀬名さんの姿。
い、一緒に居る…って…。
「山ちゃんどうしたの?!大丈夫?!」
「や、お前さ…本当に失礼だな、俺に対して。」
憮然とする瀬名さんの横で、山ちゃんはハハッと自嘲気味に笑う。
でも、その後すぐに、私を心配そうに見た。
「私が『さーちゃんに会いたい』って言ったら水野さんが連れてきてくれたの。」
瀬名さんが…。
「…私がここに居るってよく分かりましたね。」
「涼くんの所に行ったらお前をまーくんに託したっつってたんだよ。」
「え?!託した?!瀬名さん『連れ去った』って言ってませんでした?!」
「あれー?そうだっけ?」
…つまり、私をダシに山ちゃんを呼び出したって事だ。
「じゃあ…さーちゃん、困って無いの?」
「う、うん…まあ…」
困ってはいないけど…
…ここ3日間くらい、人と会ってなかったし、退屈だったのは確か。
ちょっとそこまでお茶をしに出たい所だけど…
『あんまり外出しないで』
青木さんを心配させたくないしな…。
「…あんまり外に出ないでと青木さんから言われてまして。」
「うん、知ってる。」
ですよね。
だから、最初「珍しく良い子にしてる」と言ったんだろうし。
「でも、すぐそこのファミレスは?俺と山Pと一緒ならヘーキじゃない?」
「帰りは私ここまで送るよ?」
山ちゃんが、優しく「行こう?」と小首を傾げる。
「まあ、多少遅くなっても、山Pはうちに来れば良いし。」
「い、行きません!」
「ふーん…んじゃ、俺が作ったあのゲームはお預けだ。」
「ぱ、パソコン大学に持ってきてくれるって…」
「やだ。面倒くさい。あなたが俺んちに来れば済むことでしょーが。」
ムーっと口を尖らせる山ちゃんの頭をポンポンと撫でると、一足先に「行くよ」と歩き出す瀬名さん。
その背中に山ちゃんはムッとしたまま少しため息をつく。
「…行こ、さーちゃん。」
「う、うん…」
そういえば…山ちゃん、結局水着は着たのかな。
瀬名さんの希望まんまでは無かったけど、かなりそれに近いものを購入してたけど…。
なんて、そんな事、瀬名さんが居る前ではとてもじゃないけど聞けなくて。
「夏の合宿はどうだったの?」
近くのファミレスでお茶をしながら、遠回しにそう聞いてみた。
だけど…。
山ちゃんは、一度目を見開いて泳がせてから「うん、ゲーム三昧で楽しかったよ」と何となく作り笑い。
瀬名さんに至っては、「我関せず」と何も言わずにスマホゲームをやり続けてる。
これは…聞いちゃいけない事を聞いたのではなかろうか。
「あっ!私パフェ食べよっかな!」
「うちでずっとゴロゴロしてんのに、んな高カロリー摂取して、まーくんを幻滅させんなよ。」
「うっ…」
「さ、さーちゃん、半分こしよ!ね?私、いちごパフェかな〜」
「何、あなたパフェもいちごなの?いちご大福みたいなほっぺたなのに?」
「ちょ、ちょっと…」
瀬名さんにほっぺたスリスリされて、山ちゃんは顔を赤くする。
でも…水着を買った時と比べると拒否反応が薄れている様な…。
それに、いちごパフェを山ちゃんがぱくんと食べて「幸せ!」って顔でほころんだ瞬間、瀬名さんはスマホに相変わらず目を落としているけれど、含み笑いがこの上なく柔らかく見えた。
もしかして…二人は…付き合い始めた、とか?
でも、山ちゃん、結構拒否的だったけど…。
「…瀬名さん、どうやって山ちゃんを丸め込んだんですか。」
「うっさいわ。」
「ま、丸め込まれてないよ?!」
瀬名さんが、山ちゃんを見たら、山ちゃんはその圧に気圧されてる。
「な、何ですか…?」
「や、別に?」
何だろう…このギクシャク感。
合宿で何かあったのは間違いなさそうだけど…
.
「へー…ギクシャクね…」
青木さんが帰ってきて、瀬名さんと山ちゃんが遊びに来た事を報告。
豚の生姜焼きを食べていた手が止まって、一瞬私を見た。
「沙香ちゃん、ファミレスからここまでは…」
「あ、二人が送ってくれました。」
「そっか、そっか。じゃあ、瀬名にもお礼のメッセージ送っとかないとね。」
パクッとご飯を口に入れると、今度は、コクっとビールを飲んだ。
「瀬名とあの子が今すぐどうにかなるって無さそうだけどな…」
「そう…なんですか?」
「うん。俺もすごい詳しく知ってるわけじゃないけどさ。」
そうなんだ…じゃあ、私の思い過ごしだったのかな。
山ちゃんがパフェを食べた時に垣間見た、瀬名さんの笑顔は…すごく柔らかい表情に見えたんだけどな。
うーん…と考え込んだら、ポンと頭に青木さんの大きな掌が乗っかった。
「大丈夫だって思うよ?あの子の事は瀬名は絶対無下にしない。それだけはね、俺が保証する!」
「それは…何となく。見てると山ちゃんにはとっても優しい感じがするし。」
「でしょ?瀬名はね、ちゃんと大事な人を大切に出来る人だから!
まあ、ちょっとひねくれてる時もあるけどさ、そこが可愛いとこだしね。」
…捻くれているところが可愛い。
青木さん、かなり毒されてますね、瀬名さんに。
と、思ったけれど。
振り返ると、確かにズシンと来ることも言われたけど、どれも全部結局は私の為だったと思うしな。
…いや、私が瀬名さんの中で大事な人に入っているかは疑問だけど。
『まーくん裏切ったら許さないよ』
どちらかと言うと、見張られてる感じなのかな…。
瀬名さんとの会話を思い出していたら、頭を引き寄せられて、ふわりと唇同士がくっついた。
「…沙香ちゃん、さっきから瀬名の話ばっか。」
「え?!そ、そんな事は…」
「今から、瀬名の話禁止。」
今度は少し強引にパクリと唇を塞がれる。
何度も、何度も…繰り返すキス。
ほのかにビールの香りがして、少しだけ体がアルコールを感じ、熱くなった。
「…沙香ちゃん、俺ね?明日仕事休みになったの。」
「え…ほ、本当ですか?!」
「うん。…嬉しい?」
「はい!」
嬉しいに決まってる。
青木さんと今からずーっと一緒に居られるんだもん。
思わず頰がゆるゆると緩んだら、青木さんは少し苦笑い。
「…ずっと一緒に居てもいいの?」
どうして…そんな事聞くの?
小首を傾げる私を抱き寄せて「もー…」と少し呟いた。
「…すっごい事言っていい?」
「は、はい…」
「俺ね、今、沙香ちゃんに手、出しまくる事で頭いっぱい。」
手を…出しまくる…
「明日ね?休みなんだし、沙香ちゃんずーっと家に閉じ込めてるし…デートに連れてってあげようって思ってるんだよ?ちゃんと。」
「でもさ」とその長い腕がより私を引き寄せる。
「沙香ちゃんにこうやって触れちゃうとさ…。色々…したくなっちゃって。」
そ、それは…つまり…
ぎゅっと思わず青木さんのシャツを握った。
「い、色々してください!」
それから少し体を離す。
青木さんの黒目がちな目が少し見開いて揺れる。
「私…こ、ここに明日1日居てもいいです。もちろん、どこかに出かけても。
私は…青木さんと一緒に居られればそれでオッケーです!」
「えー?大丈夫?」
白い歯を見せて笑う青木さんが愛おしくて、キューっと胸が締め付けられる。
吸い寄せられる様に、その胸元にくっついた。
そんな私を包み込んでくれる、青木さんの腕。
あったかくて…落ち着く。
「じゃあさ…沙香ちゃんが行きたいって行ってた水族館でも行く?ほら、ビルの最上階に入ってるって言うさ…」
「うん!行きたい!」
柔らかくて、優しくて…
くっつけたおでこの暖かさも、触れ合う鼻先も、嬉しくて緩む頰も。
全部全部…幸せだって
こんなに幸せにしてくれる青木さんに、たくさんありがとうって、思った。
……けれど。
次の瞬間、不意に私のスマホが揺れる。
同時に、ピンポンとインターホンが鳴った。
「…?誰だろ。」
私から離れて立ち上がる青木さんを見送りつつ、スマホを手にとる。
“沙香ちゃん、元気?”
あ……中嶋さんだ…。
返信をしなきゃと思って一度顔をあげて見えた青木さん越しの女性。
「こんばんは。」
「どうしました?加藤さん。」
「ごめんね?夜分に…明日がお休みだったからさ。」
あの人……この前一緒に居た会社の…美人な先輩の人だ。
「この前、私がここに来た時にピアス落としたと思うの。」
「ピアス…ですか?」
え…?と一瞬耳を疑った。
…あの人が、ここに上がった?
いやいや、ほら、近くまできてトイレ借りたとか。
暑いから涼んで行ったとか……
「………。」
…どれも、青木さんちに上がる為の決定打ではない気がする。
「俺、探しときますんで。」
「ごめん!明日必要なの!探させてくれる?」
「そう…です…か。じゃあ…」
「ごめんね!」と言いながら、ハイヒールを脱ぎ入ってくるその人。
屈んだ瞬間シャツの隙間から胸の谷間がくっきり見えて、体を起こすと少し揺れた。
巨乳の…美人。
思わず自分の胸を見て、何となく猫背になって膝を抱える。
「…すみません、夜分に。」
私を見て、ニコッと笑い、小首をかしげるその人の今度はふわりとした柔らかそうな髪が揺れた。
「こ、こんばんは…」
「ごめんなさい。青木くんから彼女が来ているのは聞いていたんだけれど…どうしても必要で。大切なものなの。」
「そう…ですか…」
た、大切なものとはいえ、彼女が居るって聞いていて…わざわざ来るって…
“あ〜今、宣戦布告されたかもね”
ふと、中嶋さんの言葉が脳裏を過ぎる。
いつもなら、「そうなんですね!探すの手伝いますよ!」って思うけど、なんかモヤモヤ。
だって、私が「何で家にあげたの?!」なんてここで迫ったら…
…いつぞや漫画で見た、“修羅場”ってやつまっしぐらな気がする。
『え〜…沙香ちゃん、そこ聞くの?』←面倒くさそう
『仕方ないよ。まだ大学生…しかもこの前まで高校生だったわけだし。大人な付き合いなんてわからないよ』
『やっぱ、大人の女性っていいですよね!』
『もー…青木くんたら。』
『やっぱり沙香ちゃん、帰って!加藤さんと過ごしたいから!』
…絶対やだ。
そんなのやだ。
「脱衣所の方かな…」
「見てみますか?」
二人で洗面所の方を見に行って探してるのを見ながら、また送られてきた中嶋さんからのメッセージに目を落とした。
"沙香ちゃんに会ったあと、あの映画観たよ"
「………。」
中嶋さん、“付き合って欲しい”って言ってくれた後もこうやって普通に接してくれる…私が気まずくならないように。
この前の中嶋さんの言葉を思い出した。
『俺は絶対に不安にさせるような事はしない』
今一度、洗面所の方に目を向けると、二人で談笑し始めている。
何か…全然探して無いけど。
むぅっと思わず口を尖らせた。
……私は、青木さんがここに居て欲しいって望んだからここに居てなるべく人に合わないようにしているし、青木さんの為に生きるんだって思った。
それなのに、青木さんは…私がここにくる前とはいえ家にあげたんだよね、あの人を。
何か事情があったのかもしれないけれど、私には疑う権利は十分にあると思う。
別に、これで青木さんとぶつかって仲違いしたから中嶋さんと付き合うとかそう言うことではないけれど、何だか気持ちが強い気がした。
“この前はありがとうございます。今度ゆっくり話をする機会をください。その時に映画の話も聞かせてくださいね!"
中嶋さんにそう返してからスマホをローテーブルにそっと置く。
そして、立ち上がった。
…よし。
まずはこっちの問題に向き合おう。
いまだに、洗面所で談笑している二人の所に行く。
「…ありましたか?ピアス。」
「え?ああ、ごめんなさい、まだ見つからなくて。」
「そうですか…他の所も探してみますね。」
そう言うと、二人を置いて、トイレの中と床を見て無いのを確認して、部屋やキッチン、ベッド周りを探す。
まあ…ベッド周りで見つかっても嫌だけど。
そもそも、私がこの3日間掃除機かけたり、シーツ洗ったりしてるんだから、無いと思う。
ふうとため息をついて、二人に向き直る。
「…ありませんね。もしかして、玄関の外に落とした可能性もありますかね。」
スマホを持って立ち上がるとそのタイミングでスマホが揺れる。
画面を見ると、また中嶋さんからのメッセージ
“りょーかい”
…頑張らなきゃ。
二人に背を向けて、ドアを開けた。
あたりは真っ暗で、スマホのライトを照らしながら、くまなく玄関の地面から外を探し始めた私に、「沙香ちゃん?!」と青木さんが戸惑っている声を出し、私のスマホを持っている腕を持ち上げた。
「沙香ちゃんがそんなことしなくても大丈夫だから…」
「ご、ごめんなさい…私が探しに来ちゃったから…」
二人で私が探すのを止めに入ったけれど、私の表情を見て怯んだ。
だよね…私、多分今、めちゃくちゃ冷めた目をしている。
「…来客があるとわかっていても探しに来なければならないほど、大事なものなんですよね、そのピアス。どうしても今日中に見つけなければならないもの、なんですよね。
だったら、見つけないと。」
青木さんの手を振り払うと立ち上がる。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなった。
立ち尽くしている二人にまた背を向けて探し始める。
「あ、あの…もう…大丈夫…ですよ?」
真顔のまま目を向けると、苦笑いの加藤さん。
「もしかしたら…違う所で落としてしまったのかも。青木くん、ごめんね?いきなり来てしまって。また会社でね。」
そのままハイヒールを鳴らして颯爽と帰っていく。
残された、私と青木さん。
「…ごめん、沙香ちゃん。一緒に探してくれてありがとうね。」
そう言った青木さんを笑顔がないまま一瞥して、部屋に入る。
ローテーブルの元の位置に腰を下ろすと後から戻ってきた青木さんも隣に座った。
「沙香…ちゃん?」
その黒目がちな瞳が揺れる。
青木さん…私が何で機嫌が悪いのかわかってない。
その事実に更に眉間に皺を寄せて、口を尖らせて見せた。
「…青木さん、あの人のこと、ウチに入れたんですね。」
「あ…うん。先週ね。俺の歓迎会みたいなのをしてくれて…帰り途中まで一緒に帰ってきたら、雨に降られちゃってさ。それで…ウチが一番近いからって、何人か…」
…何人か、か。
「…私が知ったら疑うって思わないんですね。」
「え?!だ、だって…会社の人数名だよ?!」
「そう言ってるだけかもって思うかもしれないじゃないですか。」
睨む私に、青木さんは驚いたように目を見開く。
そりゃそうか、青木さんに対して今までこんな態度とったことないもんね。
「信じて…くれないんだ。」
「信じる信じないではありません。青木さんのしたことが嫌だって言ってるの!」
「や…だってさ…会社の先輩達だよ?!断りづらいじゃん。皆んな、いきなりの土砂降りで困ってんのにさ。俺だけ、お先に失礼しまーすとか言えないって…」
「そこじゃない!」
私が大きな声を出すと、青木さんは怯む。
「…その時は、“皆で”来たのかもしれない。けれど、今日は加藤さん、一人で来たじゃないですか。彼女の私がいるって知っていてわざわざ。」
「それ…は…大事なピアスを探さなきゃいけないから…」
「そんなに大事な割に真剣に探していたように見えませんでしたよ?
だって彼女が探したのって、洗面所だけですよね。ずっと二人で洗面所に居たじゃないですか。」
「そ、そんな長い時間じゃないよ?」
…どうあっても、青木さんは加藤さん側なんだなって悲しくなった。
私が…不快だと言うことを訴えても。
「青木さんが、加藤さんを擁護したいんだってよくわかりました。」
「え?!そ、そう言うことじゃないじゃん!」
今度は、青木さんが声を荒げる。
「この前だって、今日だって、困ってるんだし、会社でお世話になってる人なんだから、助けてあげたいって思っただけだって!」
「…加藤さんは多分、青木さんが好きですよ。そして、こうやって私達が仲違いすることを目的にここに来て、私に自分がこの部屋に入ったって知らせた。」
「何それ!何でそんなこと言うの?!沙香ちゃんらしくないよ?」
私…らしくない?
何それ。
嫌なこと、不快なことを向き合って話そうとしている私は、“私らしくない”ってこと?
青木さんが大好きで、青木さんの思い通りにしてる私が”私らいし”ってこと?
「そうですか。」と立ち上がると、徐にスマホを手に取り、リュックを背負う。
…ここで仲違いしたら、あの人の目論み通りなんだけど。
それで良い気がする。
青木さんがあの人のフィルターなしに話をしてくれない限り、多分…話し合いは無理だ。
「さ、沙香ちゃん…?」
「帰ります。」
「えっ?!待ってよ!絶対やだ!」
ギュッと私の手首を強く握る青木さんを怯むことなく、真っ直ぐと見た。
「…私がここに来る前、全く連絡をくれなかったですよね。私から送って返信はありましたが自らは連絡取る暇はなかった。けれど飲み会は行けてるし、柊や瀬名さんには連絡をとってたし、会ってたんですよね。」
「そ、それは…」
「私は、一言おやすみなさい、おはようだけでもいいから、青木さんとやりできる距離感を望んでるんです。
信じる信じないって、そう言う積み重ねじゃないんですか?」
青木さんの手が緩んだ。
…半分は期待してた。
『違うんだって!』と…私が留まりたくなる一発逆転の言葉を。
目頭が熱くなってキュッと唇を噛み締めた。
「…帰ります。」
そう言うと、青木さんの隣をすり抜けてドアを開けた。
扉を閉めて見上げた空は、どことなく曇り空。
湿り気の多い強め風が嵐を予感させる。
『明日、1日中一緒に居てくれる?』
…居たかった。お日様の笑顔100%の青木さんと一緒に。
目の前がぼやけて、ふうと息を吐くと歩をそのまま進めた。
◇
「や…うん。良いんだけどね?俺は今日、ここに来てやらなきゃいけないことがあったし。
やっぱり…落ち込む時はここに来るんだね?青木くん。」
「そりゃ、気持ちの良い温度設定で比較的でっかい彼が身を隠せるなんて、最高の場所、他にありませんから。」
「…そして、やっぱり瀬名もいるんだね。」
「そりゃそうでしょ。何でまーくんが来てるのに、俺が不在なのよ。」
「そういうもん?」
いつしか聞いたような、会話をぼんやり聞きながら、透くんの山積みの文献の間に体育座りになって膝を抱えてため息。
そんな俺を、二人同時に見た。
瀬名が俺の前に来て、「よいしょ」と言いながら腰を下ろしあぐらをかいて小首を傾げる。
「まーくん。やらかした?」
「……。」
膝を抱えている腕に顎を乗っけて口を尖らせた俺に、瀬名は眉を下げて苦笑い。
「あの人、閉じ込められ過ぎてストレス溜まってたんじゃない?まあ…まーくんに溺愛されてんだから我慢しろっつー話ではあるけどさ。」
「何、閉じ込めてたの?望月さんのこと。」
「や、本人も納得の上よ?まーくんのアパートに。そもそもさ、あの人が悪いのよ?まーくんが会社で頑張ってんのに心配かけるようなことすっから…」
「…それで、見張るために…って?」
今度は透くんがコーヒーを飲みながら眉を下げて苦笑い。
「やっぱ青木くんておもしれーな…」
「面白がっている場合ですか。普通にドン引き案件ですけど。社会人としてもっと注意されてはどうですか、美澄先生。」
透くんの真向かいの席で静かにパソコンを叩いていた松江さんがメガネを外して、んーっと伸びをした。
「…青木くん、私はちょこちょこしか話を聞いていないから、身勝手な意見になりますが、このままだと彼女…望月さんはあなたが嫌いになりますね。」
コーヒーを一口飲むと、少し背もたれにみを預けたあと、その少し大きめな目を細めて俺を見る。
「…望月さんを信用していない上に、自分の欲望と考えのみで動いている。人間は自分を無視する人を好きにはなりません。」
…ズシンと重たくのしかかるその言葉。
「や…お言葉ですけど。まーくんはあの人がやらかすから心配で…」
「瀬名。」
俺を庇おうとした瀬名を止めると、瀬名は俺を心配そうにみた。
「…松江さんの言うとおりです。俺が勝手に自分の考えを押し付けて…」
…今まであんなに不満と不快を露わにした沙香ちゃんを見たことなかった。
あんな風に…歪んだ考えを持ってるなんて思わなくて、すごくショックだった。
だからつい、俺が「沙香ちゃんらしくない」と言った時に見た沙香ちゃんの俺を見る目は完全に冷めてそして呆れ気味でさえあった。
明らかに、「コイツダメだ」って表情。
「…"勝手に"。それは何についてですか?」
松江さんにそう質問されて、思わず顔を上げる。
「えっと…だから、勝手に連絡を取らなくて、その上沙香ちゃんが他の男と居たからってアパートに連れてきて…」
「でもそれは、彼女は受け入れていたように感じましたが、お話を聞く限り。」
「そうね。かえってまーくんのそばにいられることが嬉しそうでもあったわ。昨日の昼間は。」
「他に原因がありますよね。」
松江さんに真っ直ぐ見つめられて、うっと少したじろぐ。
そして…昨日の夜の出来事を一部始終話したら
「ああ…そーゆーことね。」
瀬名は苦笑い。
「…最悪ですね。」
松江さんは俺を白い目で見た。
「…まあさ。望月さんにとってストレスが急激にかかったから、今まで見たことのない一面が出てきたって事でしょ?要は。」
そんな二人の反応とは裏腹に、顔色を特に変えずにコーヒーを飲む透くん。
「それで?違う一面を見て、青木くんはこれからどうしたいの?望月さんと。」
…そんなの決まってる。
沙香ちゃんと会えばあっただけ、触れれば触れただけ好きになって。今だって沙香ちゃんに会いたくてたまらない。離れるなんて絶対にヤダ。
俺の表情で、透くんは何かを悟ったみたいで。
相変わらず余裕の表情を浮かべて、唇の片端をあげて微笑む。
「…青木くん。前にね?望月さんに、『青木くんは、食べ物を欲するレベルで望月さんを欲している”的な事を話たことがあってさ。」
「はっ?!先生…」
驚いて何かを言おうとした松江さんをその厚めの手のひらが、待てと制する。
「同じじゃねーかなってね。」
「同じ…」
「そ、望月さんも、青木くんに対してそうなんじゃねーかなって」
「ああ、それはその通りかも」と瀬名が深くうなづく。
「あの人、まーくんの事ばっか考えてるからね。良いことも悪いことも。」
思わず瀬名を見たら、また苦笑い。
「…満腹にしてあげるしかないんじゃない?」
「ど、どうやって…」
「それは本人に聞くしかありませんよ。」
松江さんが、そう言って俺にはいとコーヒーを入れて差し出してくれる。
「…人間は落ち込む行為の後、プラスに転換できる生き物です。あなたが今、『落ち込んでいる』と言うのは素晴らしい事なんです。きっと、今ここでしている行為はあなたの役に立ちますから、頑張って。」
薄めの唇が綺麗に弧を描く。それがすごく優しく感じて思わずコーヒーに手を伸ばした。
「おっ!いい感じに俺に毒されてんな、“ぽち”」
「“ぽ”っ!人間行動学では言われていることを述べたまでです!」
「褒めてんのに。」
「褒めてない!」
「マジで、可愛いよね、松江さん」
「チャラい!」
「いや、チャラくねーし!」
「チャラくないなら、普通にセクハラ!」
「はあっ?!俺は…」
いつもの争いが始まって、瀬名が肩をすくめ、「行きましょ」と俺に立つように促した。
部屋から出ると、暑さがまとわりついてくる。
「まーくん、明日は?仕事?」
「うん…。」
「んじゃ、今日中にカタつけないとだね。」
「でも…」
「大丈夫でしょ、あの人がまーくんを無碍にするなんてこと、地球が逆さになっても起きませんよ?」
瀬名の言い草に思わずほおが緩む。
「瀬名ー!」
「おわっ!」
そのまま瀬名を捉えて、ぎゅーぎゅーする俺に「暑苦しい!離れろ!」って悪態つきながらも、俺に頬ずりされてぎゅっと楽しそうにしてる。
ありがとう…瀬名。いつも俺のそばにいて味方をしてくれて。
透くんにも…松江さんにも感謝しながら、涼くんのお店へと向かったんだけど。
「おっ!真大!来たか!」
涼くんは俺の顔を見て、パッといつも以上に嬉しそうにする。
「…おじさん、どした。」
瀬名も違和感を感じ取ったようで、じっと見ると涼くんは苦笑い。
「や、沙香ちゃん、昨日の夜口を尖らせて泣き腫らした顔で帰ってきたと思ったら…今日は、ライフガードのイケメンと出掛けてっちゃった。」
ライフガードの…イケメン…って…
『これから、沙香ちゃんと映画を観たいんですけど、いいですか?』
あいつ……。
「マジで?!何で止めなかったのよ…」
瀬名がそういうと、奥から柊が出てきて「あ、おはよ。」と飄々と俺たちを迎える。
「柊もいたの?!じゃあ…」
「ああ、大丈夫じゃない?沙香なら。」
「うん、へーきだって思うぞ。あれは。」
二人ともあまりにも平然としているから、不思議で思わず瀬名と目を合わせた。そんな俺達に、涼くんはまたニコニコ。
「昨日泣いて帰ってきた時に、どうした?!ってなったけど。沙香ちゃん言ったんだよ、目を釣り上げてさ…『青木さんがここに来たら、部屋には入れないで、ここで待てって言って!』って。」
「そう、俺もそれ聞いて、あのライフガードと出かけても大丈夫って思った。」
それが大丈夫って…どういうこと?
首を傾げた俺の横で、瀬名が「ああ、確かに」と含み笑い。
「え?わからないの俺だけ?!」
「や…そこがまーくんたる所以。」
「確かにな。」
「真大!ナポリタン食うか!」
「いや、食うけど!」
「あ…そこは食うんだね?」
瀬名が面白そうにしている横で、ムスッと口を尖らせる俺。柊も楽しそうに俺の肩をポンと叩いた。
「…あいつ、青木さんが来るって無意識に思ってんだよ。」
あ…そっか…あんなに怒って俺に文句言っても俺がここに来るって…思ってくれた。しかも“待て”って…。
「やっぱ、バカだわ、あの人。まーくんの事、信じきってる。それに応えてるまーくんもすごいけど。」
「真大はやっぱイケメンやのう…。これからも沙香ちゃんのこと、よろしく頼むぞ!」
機嫌よく涼くんが俺の前に3人前はあるんじゃないかって量のナポリタンを置くと、そこからケチャップのいい匂いが漂ってきた。
“望月さんの事を信じていない”
…松江さんの言う通りかも。
沙香ちゃんはなんかモテるし、誰かに取られるかもって心配ばっかで…沙香ちゃんが俺のことをどう想ってくれてるとか全然考えてなかった。
昨日だって…沙香ちゃんは俺に対して「嫌だ」と思うことを話してくれて…。
「……。」
フォークを手に取り、ナポリタンを頬張った。
…待たなきゃ。
俺が今、一番しなきゃいけないことだもん。
◇
道ゆく人なんてお構いなしに、散々、歩きながら泣き腫らして、帰った喫茶店。
「おかえり…ってどうした!」
涼くんが驚いて、駆け寄ってきてくれて更に涙が溢れて。口を尖らせながら、その胸に飛び込んだ。
「沙香ちゃん、俺、真大に殺されそー。つか、沙香ちゃんのお父さんに殺されそう。ってことは2度殺されんのか、俺。」
くふふと笑いながら、頭を撫でてくれる涼くんに、もっとぎゅっとくっつく。
「…涼くん。」
「んー?」
「青木さんが来ても絶対、部屋に入れないで。」
「そか?」
「そう!『ここで待て!』って言っておいて!」
クッと面白そうに笑った涼くんくんは、「沙香ちゃんはえーこやね」とまた頭を撫でた。
昔から、嫌なことがあると涼くんにぎゅーしてもらって癒してもらってた。
まさか…大学生にもなってこんなことをするなんて。
…これも全部、青木さんのせいだ。
むくむくと湧いてくる、怒りの感情。
私が嫌だって言ってるのに!
何でわかってくれないの?!
もはや冷静ではないと自分でもわかる。
部屋に戻って、スマホを取り出すと、青木さんから何度も着信が入っていた。
それにムッと口を尖らせてから、中嶋さんとのトーク画面を開ける。
『夜分にすみません。明日もしお時間がありましたら話をさせてもらえませんか?』
『いいよ』とすぐに返信が来て『じゃあ、10時頃迎えに行く』と。
…よし。
ちゃんとしよう、私は私で。
そうしないと、青木さんときちんと話ができないから。
そうお腹に気合を入れ、会った中嶋さん。
いつも通りのテンションで「おはよ!」と明るく言われて、私もどこかほっとして笑顔。
「すみません、急に呼び出して…」
「いや、大丈夫!俺は暇だし」
「またまた…。」
「どうする?どこ行く?」
…ここだと明らかに話しずらいしな。
そう思って行った隣町のカフェ。
窓越しのカウンターに二人で並んで座って、窓の外の景色を見る。
「あの…」
私が口を開くと、中嶋さんは相変わらず柔らかい笑顔で「んー?」と応えた。
「…この前、言ってくれたことなんですが。」
「ああ、うん。」
丸椅子をクルッと回転させて私の方に体を向ける。
それに習い、私も少し体を向けた。
「…私、どんなに不安になっても、不満があっても、どうしても青木さんが好きなんです。だから…ごめんなさい。」
少し頭を下げた私に、中嶋さんはクスリと笑う。
「結論早っ!」
「いや…何となくお待たせするのはよくないかと…」
「えー?そんなことないよ!俺に傾くまで待つのに。」
「…それは多分、寿命が終わるかも。」
私の言い草に今度はははっと声を出して笑った。
「そっかー。どっちかっつーと青木さんが沙香ちゃんが好きすぎるって感じなのかと思ったのになあ」
「それは…多分逆です。私が青木さんに何とか好かれたいって思ってて…でも…それだけじゃダメだって思ったので。」
ふーんと相槌を打つと、立ち上がる中嶋さん。
「んじゃ、もし万が一青木さんに飽きたら教えて?速攻迎えに行くから。」
「…寿命。」
「俺の家系、めちゃくちゃ長生きだから心配無用、」
ぽん、と私の頭に手を乗せる。
「…あの映画ね、すっげえ良かった。沙香ちゃんも観た方がいいよ」
そう言うと、「またね」と去っていく。
…なんだか、最初から最後まで“素敵な人”だったな。
『そう思えば気が楽でしょ?』
『本気で嫌がってるじゃん、離しなよ』
助けてくれて…真っ直ぐ、付き合いたいって言ってくれて。
その背中を見送ってから飲んだアイスティーはどこか苦味を感じた。
…とにかく、帰ろう。青木さんの所に。
もう私に幻滅していたとしても、ちゃんと会って話をする努力をしないと。
でも、その前に私、やるべきことがもう一つあるよね。
商店街に戻ると、真っ直ぐに喫茶店に戻らず、行った所。
ドアを開けると、カランとカウベルの音がして、あたり一面にパンの焼き立ての良い匂い。
「いらっしゃいま…」
レジで何やら作業をしていた、片岡さんが驚き目を見開いた。
「あの…突然来ちゃってすみません。少しだけお時間いただけませんか?」
「…わかった。」
「親父、ちょっと出てきていい?」と振り向いて、工房に話しかけると、「おう」と野太い声がする。
「こっから混む時間帯でさ。あんま時間ねーから、5分だけだけど。」
「わかりました。」
二人で再び外に出ると、暑さがまた体にまとわりつく。
「…もう、パンを焼いて持ってこないでください。」
「や、それはさ…」
「あなたが私に対して謝罪の気持ちがあるのはわかりました。」
「だったら…」
「なので今後、会ったら挨拶は普通にします。けれど、それ以上の接触はしないでください。私があなたと親しくなれることはないと思います。」
「………。」
少し、強めの風がひゅうっと吹いて、少し髪を揺らす。
それを気にしてサイドの髪をかけた私に、片岡さんはふうとため息をついた。
「…わかった。約束するよ。」
「ありがとうございます。」
少し会釈した私に苦笑い。
「…本当は、お前のこと助けようとしたんだけどね、あの時。」
…え?
「や…ほら。あまりにも場違いな所に来た感じだったからさ。まあ…今更だから信じてもらえないだろうけど。
とにかく、青木さんが来てくれて良かったよ、あの時は。どう助けようか考えてたから。」
「そう…だったんですか。」
「まあ、それがわかった所で俺はいっぱい悪事を働いてきてるから。関わらないってあんたの選択は正しいよ。」
片岡さんは、少し寂しそうにけれど、柔らかく笑う。
「…ありがとう。挨拶はしてくれるって言ってくれて。俺も、約束は守るよ」
じゃあな、とパン屋の中に消えていった。
助けようと…してくれていた。
本当は、良い人だったのかな。
でも…悪事って。
一体何を…。
そこまで考えて、フッと息を吐いた。
私が考えることじゃない。
やるべきことはやったんだ。今度こそ、青木さんの所に戻らなきゃ。
支度をすべく、早足で戻った喫茶店。
「お、沙香ちゃんおかえり。真大来てるぞ」
「え…りょ、涼くん…部屋に上げたの?」
「んにゃ?多分ドアの前だろ。中に沙香ちゃんがいなきゃ、入ったりしないよ、真大は。」
…それは、その通りだけど。
青木さんは、その辺ちゃんとしている人だもの。
「…遅い。まーくんを待たせんじゃないよ。」
…いたのか、瀬名さん。
カウンターの席で涼くんの真ん前を陣取って猫背がちにコーヒーを啜っている瀬名さん。
「おじさん、おかわり」
「瀬名、尋常じゃないぞ、コーヒー飲む量」
「そう?」
ゆるいやり取りを涼くんとしながらまた私を見た。
「あなたにしては良い働きしたじゃない。今回は。」
「…何ですか、悪いものでも食べましたか。」
「お前、マジで俺には失礼な奴だな。」
涼くんに渡されたカップに手をつけて、少し渋い顔をする。
「まあ、でも。まーくんと別れるっつーなら大丈夫よ?俺はまーくんとこれからも仲良しだから。あとのことは任せていただいて。」
な、仲良し…
『瀬名、なんかさ、沙香ちゃん面倒臭い。よくわからないことで怒り出してさ…』
『あー…まあ、相性ってあるもんね。いんじゃない?俺がいるんだし』
『瀬名〜!!』
『おかえり、まーくん』
「なんかヤダ!ヤダけどいい!」
「うっさい。早くまーくんと話してこいや。漫画薪にして焼き芋すんぞ。」
「それもヤダ!」
と言うか早く返して!漫画!
という私の叫びは瀬名さんに届くこともなく、渋々と2階に上がる。
できれば、涼くんの喫茶店か青木さんちで話がしたかったけれど仕方ない。
そっと2階へと上がっていくとドア横で大きな体を丸めて体育座りしている青木さんが居た。
私の気配に気づき、「あ…!」と顔をあげる。
真顔でそっと近づいて行って目の前に私も腰を下ろした。
「沙香ちゃん…あの…」
「私!」
青木さんが何か言いかけたのを遮って、口を開く。
「…今、中嶋さんに会ってきました。それから片岡さんにも。」
青木さんの目が見開き、黒目がちな目がより煌めきを集めた。
「…実は、この前青木さんと会った時に、中嶋さんに告白されて…『付き合いたい』って言われたんです。だから、今日はその返事をしてきました。
『付き合えません、私は青木さんが好きだから』って。」
「……。」
「本当はその場で断れば良かったのかもしれないけど。できなかったのは、私の弱さです。」
あの時、確実に思った。
“青木さんだって、巨乳の美人の方が好きなんだし”なんて歪んだことを。
…冷静に考えればだからなんだって話で。
片岡さんのこともだけど、言うべき時は、きちんと話さなきゃいけなかった。
「私、どこかで青木さんに甘えてしまってたんだと思います。青木さんが…私を好きだって言ってくれることに。だから反省して、今日キッパリと。あと…片岡さんにも。挨拶はしても、今後話しかけないでって。」
私を真っ直ぐに見つめる青木さんを私も真っ直ぐに見つめる。
キュッと一度口を真一文字にし、お腹に力を込めた
「…青木さん。私、青木さんが好きです。だから…一緒にいると欲がたくさん生まれてくるんです。青木さんの事を好きそうな人を家に入れたら嫌だとか…身勝手な欲。それでも私とこれからも付き合ってくれますか?」
「………。」
少しの沈黙の後、青木さんは項垂れた様にふう…と息を吐いた。
これは…もう、私と居るのは飽き飽きって奴なのでは…
さっきまで思い描いていた妄想が頭を過った…けれど。
次の瞬間、青木さんのスラリとした手が伸びてきて、私の腕を掴み引き寄せた。
そのままふわりと包まれる体。首筋に青木さんの顔が埋まった。
「沙香ちゃん、ごめん。」
「あ、青木さん…?」
「………。」
………無言?
これは、ど、どっち…。抱きしめてくれてるんだから…大丈夫ってこと?
それとも…別れの前の…青木さんの優しさ?
「え、えっと…ッイタ!」
チクリと味わった首筋の痛み。
ま、まって…か、噛まれた?!わ、私…噛まれた?!
「告白されたとか聞いてない!何それ!スッゲーヤダ!」
こ、これは…溺愛系のお話でイケメンが主人公にヤキモチを焼いて…甘噛みする…
あれ…を私がされた?!
「あ、あわわわ…」
「…って沙香ちゃん、聞いてる?」
ごめんなさい、ちょっと時間をください。
今、“イケメンVSやぼったい主人公”の構図に自分がハマってることを恐れ慄いている最中なんで。
「すぐに断らなかったって…なんで?!」
「だ、だから…その…」
…いや、青木さんこそ私の話を聞いていた?
って、この際もう色々なことが、何かどうでも良くなりました。
ついでに、加藤さんのことも。
ムスッとしている青木さんに、ふうと一つ息を吐くと眉を下げてみせた。
「…どうしますか?」
「え?」
「私…青木さんちに居た方がいいですか?」
「っ!い、いい…の?」
「私は青木さんと居たいです。」
黒目がちの目がパッと輝きを取り戻す。
「じゃあ…戻ります。リュックをとってきますね。」
一旦解放してもらって、立ち上がりドアを開けて部屋の中に入ると、ふわりとまた背中から包まれた。
「…沙香ちゃん、一緒に住みたい。」
あまりの突然の話にフリーズする。
「そ、それは…」
「…だめ?だって、そうしないと俺また、沙香ちゃんがヤダって思うことしちゃうかもよ。」
ドキンと鼓動が跳ねた。
「…なんて、俺最低なこと言ったね、今。」
青木さん…考えてくれたんだ。
私が何を嫌がってたか。
「…ごめん。会社に慣れることに必死でさ。ちゃんとそこまで考えられてなかった。
でも…ちゃんとするから。」
「…どう、するんですか。」
私の返事に、抱きしめ直した後、「うーんそうだね…」と顎を私の肩に乗せる青木さん。
「…会社の人だからさ。急に冷たくするとかは無理だと思うけど。」
「…そう、ですね。」
「とりあえず訪ねてきて、どんな事情があっても家には入れない。どうしてもって食い下がるなら、他の先輩に相談して一緒に入ってもらうとか。それも全部沙香ちゃんに相談してからにする。」
「あとは…その時考えるね」とさっき歯を立てたところに、唇を触れさせる。
「…沙香ちゃん、俺ね?すげー仕事が大変で。ボロボロな状態を沙香ちゃんに見せるのは無しでしょって勝手に決めつけてた。沙香ちゃんに連絡とっちゃうと、仕事そっちのけで沙香ちゃんに会いたくなっちゃうから…我慢してた、連絡取るの。」
より青木さんの腕に力がこもる。
「…自分勝手でごめん。でも…やっぱりそれは変えられない。これからも、絶対会いたくなっちゃうから。だから…一緒に住みたい。」
「そ、それは…青木さんが仕事に慣れるまでの期間限定…」
「え?!そんなわけないじゃん。ずっとだよ?」
ず、ずっと……彼氏と同棲、私が。
「あ、青木…さん…」
「ほら、支度して!とりあえず今日は俺の家に来たら引越しの日程相談しよ!あ、俺先に下に行って涼くんに相談してくるね!」
待って!私、一言も「はい」って言ってない!
そんな私の心の声は届かず。
「真大と同棲?うーん…それはちと難儀だな…」
「ええっ!そんなこと言わないでさ。お願い、涼くん!この通り!」
青木さんを慌てて追いかけて行った先では、ニヤニヤしながら難色を示している(示したふりをしている)涼くんと、目の前で手をぱちんと合わせて頭を下げている青木さんの姿。
…遅かった。
項垂れた私の横に、瀬名さんがやってきた。
「まーくんにあれだけ頭下げさせて、良い度胸してんな。とっとと『涼くんお願い♡』ってやってこいや」
「で、でも…」
「あーあ…お前が本格的に住んだら、気軽にまーくんちに入り浸って、イチャイチャできなくなんなー!」
青木さんと瀬名さんが…イチャイチャ…
『まーくん、何か飲みすぎたわ。泊まっていい?』
『もちろん!でも、布団が一組しかないから、一緒に寝るよ!』
『あーもう狭い…』
『瀬名!ぎゅー!』
『はいはい。』
「…あの、私はちゃんとキッチンの端っこで寝ますので。」
「はあ?お前まじで花畑だな、頭の中。つか、堂々とまーくんの腕の中で寝ろや。お前の役目だろうが。そんな事より、とっとと、まーくんのためにお願いしてきなさいよ」
…サラッと言うよね、瀬名さん。『まーくんの腕の中で』とか。
それだけ、私を認めてくれてるってことなんだろうか。
ニヤニヤしている涼くんと目一杯お願いをしている青木さんの所に行くと、二人とも私を見た。
「あの…りょ、涼くん!私、週の何度かさ…その…青木さんの所に行きたい…なって…。もちろんバイトもしに来るし。青木さんが迎えに来てくれて行けば、危なくないでしょ?」
「週何度か…」
「そう、週何度か!」
「だめ!毎日!」
青木さんは黙って!
完全に、真っ直ぐで正直者が裏目に出ている青木さん。
それを瀬名さんがお腹を抱えて声を出さずに笑ってる。
…絶対、わかってた。こうなるって。
ムッと口を尖らせた所で、「あ、沙香帰ってたんだ」と柊が登場。
「え?真大のトコで暮らすの?大丈夫か、それ。涼さんが枯れるんじゃね?」
そっちの心配?!
「っ!そ、そっか…そうだよね、うん確かに。俺…わがままだったかも。」
青木さんが、引いた!
「悪いな、真大。」
「ううん、仕方ないよ、涼くん!俺…やっぱりまだまだ自分勝手だな…。ごめんね、沙香ちゃん…」
「んじゃ、真大、週3日〜4日は喫茶店(ここ)に帰ってきたらえーよ。夕飯も簡単だろ?そうすれば。んで、残りは沙香ちゃんが真大んちってのはどーだ?」
………え?涼くん??
「っ!ナイスアイデア涼くんすごい!」
青木さんの目がパッと輝いた…けど…
「あ、あの…」
「あーじゃあ、半分は夜に真大に会えるかもしんねーんだ。それもいいな。真大よろしくな。」
「柊!ありがとう!」
「や…あのですね…」
「まーくん居るなら俺も夜通おっと。」
「瀬名〜!!!」
「やった、やった!」と盛り上がってる所ごめんなさい。
青木さん…ここに来たら、一体どこに泊まる…
「そりゃ、お前の部屋しかないでしょーが。まーくんの腕の中がお前の使命なんだから。」
いや、瀬名さん。
だからちょっと色気あること、サラッと言わないで!
…と、慌てふためいたところで。
「沙香ちゃん!よろしくね」
満面の笑みの青木さんに抗えるわけもなく。
「は、はい…あの…じゃあ、少し物運びます?今から。」
「うん!そうだね。」
「あ、涼さん、車貸してあげたら?」
「柊ナイス!おじさん、良いよね?」
「おう、使っていいぞ、真大。それから…持ってきたもの、沙香ちゃんの部屋だと狭くなんだろうから、隣の納戸も空いてるから荷物おきに使って。」
「ありがとう!マジで嬉しい!」
涼くん全面バックアップの元、青木さんと私の荷運びが開始され、最終的に今日は青木さんのアパートへと帰ってきた夜。
二人してシャワーを浴びたあと、コーヒーをキッチンで入れていたら、ふわりと背中から青木さんに包まれた。
「…沙香ちゃん、ありがとう。」
そんな一言に、私も頬がユルユル。
同棲なんて、驚いたし、私にとっては非現実的だって思ったけど…何はともあれ、青木さんと一緒にいられるんだもんね。
腕の中でくるりと向きを変えると、私も青木さんの背中に腕を回す。どちらからともなくおでこ同士がくっついて鼻先が触れ合った。
嬉しそうに目尻に皺を寄せて微笑む青木さん。
「…青木さん。」
「んー?」
「“ありがとう”は私です。」
私が発した嫌悪感をちゃんと捉えて考えてくれた。
それが…すごく嬉しかった。
大切にしてくれてるんだって…。
重ねた唇が、すごく優しく甘く感じて、もっとって青木さんを引き寄せる。
それに呼応して、何度も何度も優しく触れてくれる。
…これからも、色々なことがあってその度にケンカしたり、泣いたり笑ったりすると思うけど。
ずっとずっと…青木さんと居たい。
この…柔らかく、甘い世界に。
…後日。
瀬名さんから聞いたこと。
相変わらず、巨乳の美人の先輩とは仕事をしているけれど、何かにつけて私の話をしたり、待受が私の作った料理だったりしてデレデレしてたら、あまり色気のある雰囲気にはならなくなったらしい。
「え?作戦?や、俺はちょっと、まーくんにあなたを好きだってオーラ隠す必要なくない?まーくんらしいのが一番じゃん?て話してみただけ。まーくんが頑張ったってことでしょ?」
なんて瀬名さんは言ってたけど。
やっぱり瀬名さんは青木さんの事をよくみていて、理解しているんだなって…尊敬した。
私もそこを目指す!
「…や、無理だつってんだろーが。俺は俺にしかなれません。そんな事より、まーくん独り占めしてんだから、代わりに山P呼べや。」
…目指したら、山ちゃん友達辞めちゃうかな。それは嫌だ。
「沙香ちゃん!ただいま!」
「っ!」
喫茶店のドアが勢いよく開いたと思ったら、一直線で私に駆け寄ってきて…ぎゅーっと…
って、青木さん!お客さん達が驚いてみてます!
「あらあら。」
「若いって良いわね!」
「新婚の頃を思い出すな…」
「そうね、あなた。」
…意外とみんな驚いてない?
「青木さん…おかえりなさい。お仕事お疲れ様です…。」
私も頬がユルユル。
それを瀬名さんがカウンターから、含み笑いで見てる。
「真大、今日はカツカレーだぞ。着替えてこい。」
「えっ!本当に?!やった!」
涼くんがニコニコしながら、コーヒーを入れている後から、柊がひょっこり顔を出す。
「ああ、真大おかえり。」
「柊!ただいま!」
「俺も今日からインターンだったわ。マジで大変だな。」
「でしょー?」
それでさ…って柊と仲良く話しているのは良いんだけどさ。
私はずっと青木さんの腕の中でいいんだろうか……
ふと瀬名さんに目をやったら、肩をすくめて面白そうに笑う。
“まーくんの腕の中がお前の使命”
…はい。
とっても贅沢な使命だけど、これからも全うさせていただきます。
この、柔らかくて甘い、幸せを。
ーヤワラカセカイ fin.ー