夜を導く光、それは赤い極道でした。
Lux 22:出陣
【第1話】獣と理性
閉ざされた扉の向こうで、
誰かの気配が息をひそめている。
守られているのか、
それとも、閉じ込められているのか。
真実を知るのは――
檻の中に座る者だけ。
────
──澪が連れていかれて、二日目の夜。
真次郎は、倉庫の天井裏を踏み抜きそうな勢いで駆けていた。
息が荒い。視界が滲む。焦燥で、全身が熱い。
あの日、自分が突き放したから──
あいつが普通に戻れるようにだなんて、都合のいい綺麗事を言って遠ざけて。
“何も知らない女の子”のままにしておきたかった。
けど、今、澪は──
その“何も知らない世界”にいない。
連れていかれた。
誰にも触れさせたくなかったのに。
誰かに触れられているかもしれない、その現実が頭を焼いた。
「……ッ、チッ……!!」
鉄骨に拳を叩きつける。
乾いた金属音が倉庫中に響き渡った。
こんなことになるくらいなら、あの日、あの手を握り返せばよかった。あいつが望んだことを、そのまま、同じ気持ちで受け入れて──。
真次郎にそんな力はあったはずなのに──選ばなかった。
選べなかった、“澪の自由”とを守るために。
──違ぇよ。
喉の奥で、唸るように反論が湧く。
──怖かっただけだろ。俺が欲しくなって、壊すのが。
「……」
足を止める。
こんなことになって、真次郎はやっと気づく。
澪を守る理由に、組の外も中もなかった。
澪が望んでくれたように、真次郎自身も。
ただ、隣にいてほしかった。
笑って、文句を言って、子どもみたいに駄々をこねて。
あの日のままで、いてくれたらよかった。
けど、そうならなかったのは──自分のせいだ。
「……クソが……」
呟いた声は、喉が焼けるようにかすれていた。
真次郎は、スマホの画面を開いた。
連絡先リストをスクロールし、ある名前で指を止める。
“イチマル(10)”
かつての非行時代──
まだ「真次郎」ではなく、「アカ」と呼ばれていた頃に繋がっていた筋。
今の自分なら、関わってはいけない類いの男たち。
けれど、今の自分に、他の道はなかった。
「俺の、女が──連れていかれた」
数年ぶりの電話口に、そう言った自分の声が、
驚くほど冷たくて、低かった。
数時間後。
真次郎は、かつて自分がいた“境界線の外側”に立っていた。
かすかな血の匂い。
すり減った床板。
剥がれた壁紙。
──ああ、懐かしいな。
けれど、今は懐かしんでいる場合じゃない。
あいつは、知らない奴らの中にいる。
“触れていいもん”と“壊していいもん”の区別もつかないような男たちに囲まれて。
──取り戻す。
誰が止めようと、どんな手を使ってでも。
その時、真次郎の目に、かつての“仲間”が映った。
「……アカ。生きてたか」
「なぁ、頼みがある。……地獄でも天国でも、どこでもいい。あいつの居場所、探したいんだ」
「……」
一瞬、沈黙が走った。
そして、イチマルは笑った。
歯が欠けた口で、野良犬みたいな声で。
「おまえ……女に本気になったのか?」
真次郎は、返さなかった。
ただ、そのまま前を見据えていた。
その目は、獣だった。
******
室内は、深夜にも関わらず、どこまでも静かだった。
面影庵の情報分析室。十数台のモニターと、壁一面に貼られた写真と地図。
薄暗い蛍光灯の下、久我山はただ一人、静かに椅子に腰を掛けていた。
右手には、一枚の写真。
仮面パーティー──澪が写っている画像。
金のコインを握った瞬間を切り取った、防犯映像の一部。そのコインには、Ωの刻印。
「……BIGの、“後ろ盾の証”か」
低く呟いた声が空気に溶ける。
これを見たのは、自分の他に数名。
松野や栞、栞の兄、そしておそらく……真次郎。
信昭は、まだ知らない。
本来なら、報告すべきだった。
だが──久我山は報告しなかった。
理由は、簡単には言葉にならない。
責任感?
情?
それとも……興味?
澪が、あの男から何を得て、何を差し出してここに来たのか。久我山の中で、何かが静かに疼き始めていた。
「……最新の報告を出せ」
情報班の部下が、小走りでファイルを持ってくる。
犯行当日の監視カメラ。
不審な車両。
衛星位置情報と、組の他拠点の動き。
「裏口の死角を突かれた、か……内部の人間でなきゃ無理だな」
誰が仕組んだのか。
組の誰かが動いたのか。
いや──誰が、動かなかったのか。
久我山は、指先で机を叩いた。
規則的なリズムが、思考を促す。
彼は幹部として、冷静であることを課していた。
真次郎や松野など感情で動く者たちを支えるには、自分が“ブレない柱”でなければならない。
──なのに。
澪が連れていかれたと聞いた瞬間。
血の気が引くのではなく、逆に熱くなった。
「……馬鹿が」
思わず、呟いていた。
誰に対してかは、自分でも分からなかった。
澪か。
それとも、自分自身か。
手元の資料に、澪の写真が挟まっていた。
澪が、松野の料理を食べて笑っているもの。
報告書の誤封入──部下のミスだったのだろう。
だが、なぜか捨てられなかった。
久我山はそれを、机の隅にそっと置いた。
「……隠す理由がある奴は、誰だ」
視線が鋭くなる。
次の捜査対象は──“学校関係者”。
情報を絞り、誰が漏らしたのか洗い出す。
理性の男が、戦略を構築し始めていた。
そして同時に。
自分が“なぜここまで動いているのか”を、何度も、何度も、問い直していた。
“くーちゃん”
気軽に名を呼ぶその声が、頭に響く。
──あいつは、真面目な顔で突飛なことを言う。
傷ついてそうでも、それを気づいてないのか、あえて気づかないようにしているのか。
そして、誰かに何をされても、自分の価値を手放さない。
なぜ、そんな生き方ができるんだ。
それを、ただ知りたかっただけなのかもしれない。
静かに、久我山は立ち上がった。
「……このまま“囮”にされて終わる器じゃねぇよな、あいつは」
呟いた声に、僅かな熱が滲んでいた。
────
獣の牙が軋む。
理性の瞳が揺らぐ。
ひとつの名を追うために、
それぞれの“道”が交わり始める。
まだ戻らない灯火を、
それでも信じて。
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