夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第2話】落ちた名刺
朝一番、組の情報班が稼働する。
数名の若手がモニターにかじりつき、過去数日の通信履歴と組外の人間との接触記録を洗い出していた。
その後ろで、久我山は腕を組み、静かに立っていた。
彼の視線は、ある一点で止まっていた。
「……“小室誠”。澪の通う高校の担任教諭。事件当日、早退許可を出した本人──」
「本人曰く、“父親から連絡があった”とのことです」
「その父親ってのが……“連絡不能”と来たか」
久我山の目が細くなる。
澪が屋敷に来た時に、澪自身の境遇は調べておいた。母親は死別。父親に育てられて、17歳の現在その父親が再婚するとのことで、一人暮らしを余儀なくされた。
その引越しの当日に、倉庫で真次郎と出会う。そして現在に至る……と。
もともと、龍臣からの指令で澪の保護者への詫び入れの話があった。けれど、相手は一向に承諾しない。澪のことではない。自分たちがわざわざ会いにくることをだ。
一人娘が極道の世界に足を踏み入れるなんて大事のはず。なのにも関わらず、澪の父親はそのことについては我関せず。
自分はもう新しい人生を生きている、そう言って電話を切った相手のことを久我山は今も覚えている。
「……ハメられたな」
情報班員が黙り込む。久我山はすぐに決断した。
「……俺が行く。学校の管理体制、直で見てくる」
部下が一瞬目を見張るが、口出しはしない。
幹部が動くということは──“それほどの火種”がそこにある、ということだ。
正門をくぐる久我山は、スーツに黒いサングラスという、教育現場にはまるで似つかわしくない格好をしていた。
だが、堂々とした歩きぶりに、誰も近づけない。
視線のチラつきには慣れっこ。そう、この場で異物なのは自分。
校長室で名刺を差し出す。
「彼女の保護者代行として。早退処理と、その根拠について、少し確認を」
「ご丁寧に……ええ、教員本人を呼びましょう」
小室が呼び出される。小柄でやや神経質そうな眼鏡の男。スーツの久我山を一目見るなり、かすかに喉が鳴る。
「失礼、どちら様で……?」
「“面影庵”の久我山だ」
「……っ」
「名乗らなくていい。ここじゃ名前を呼ばれるほうが面倒だろ」
久我山は静かに笑った。
その笑みに、明確な“圧”があった。
「“澪の父親”を名乗る人物からの電話があったらしいな」
「はい、ええ、私は……その声を“確かに”聞きました……!」
「“確かに”か?」
「は、はい」
「録音、残ってるか?」
「……い、いえ……」
「じゃあ、通話履歴。ログ、校内電話機から外部への接続記録。あるか?」
「……っ、それは、その、システムの不具合で……」
「不具合が起きた日に、都合よく“誘拐”が起きた。へぇ、いいタイミングだな」
小室の額に汗が滲む。焦りからか、ハンカチを取り出そうとして小室はポケットから鍵やら何やらを床に落とした。
久我山は、ふとその落ちた物に目を向けた。
一枚の名刺がそこにはあった。
裏面には、“B・グループ”の刻印──ベルモンド傘下の、表向きは国際教育支援団体のロゴ。
「……いけねぇな、先生」
久我山が、低く言った。
「“俺の知ってる教育者”はな──こんなもん持ち歩かねぇんだよ」
小室が言い訳を口にしようとするその瞬間、久我山の声が重く落ちる。
「感情で動くのは苦手なんでな。“事実”だけ、喋ってもらおうか」
その声には、威圧でも怒りでもなく、ただ“揺るぎなさ”があった。
面影庵が所持する情報のすべてを把握する彼の脳内は、目の前のターゲットをどれだけ丸裸にできるか否かしかない。
情報部門統括──久我山。
嗅覚の鋭さで、街に張り巡らされた目と耳を使う。監視・盗聴・諜報が主。
その彼の視線から、逃れられるわけがない。
小室の顔が、蒼白に染まっていく。
******
久我山は小室を学校裏手へと連れて行く。
そこには松野が待っていた。いつもの笑みを浮かべず、冷たい眼差しのまま。静かに佇む。
松野と小室の目が一瞬合う。
「あなた、教師としての資質、最低ですね」
丁寧なのに、背筋が凍りつくような声音。小室は「ひっ!」と情けない声を上げた。
「例の話、通してある。あとは──“おまえのやり方”でいい」
松野が目を細める。
「……綺麗に、料理しておくよ」
久我山は頷いた。
「──頼む。そいつは、“あいつに触れた”」
******
小室誠の処理は、迅速かつ静かに行われた。
場所は、街外れの廃屋。昔は塾として使われていた場所だ。今はもう、誰も寄りつかない。
「……耳が、いいんですよ。あなた嘘をつくたび、喉が鳴ってましたよ」
松野の声は穏やかだった。口元には、あのいつもの柔らかい笑み。だが、小室の顔面は真っ青に染まっていた。
「も、申し訳──わ、私は命じられただけで……!」
「命じられて、彼女を危険にさらした?」
松野は、ゆっくりと歩み寄った。靴音すらも気配を消したように静かだ。
「あなたの“指一本”が、彼女の一日を変えた。その後、何があったか──あなたは知るべきですね」
静かに、椅子を引く音が響く。松野は小室の前に腰を下ろした。
淡々と、状況を確認する。会話の録音も、接触の記録も、誰と誰がどこで何をしていたのかも──
小室は、松野の言葉ひとつひとつに怯え、ついにはすべてを話した。
「つまり……“ベルモンド”の名を名乗った男が、あなたに連絡を寄越した。口止め料も含めて、後日“待遇の良いポスト”を用意すると言った。……合ってますか?」
「……は、い……」
松野の眼差しは依然として冷めたまま。
沈黙の数秒が、刃物より鋭く突き刺さる。
「ありがとう。よく喋ってくれました」
松野は、まるで褒めるように、優しく笑った。
──その笑顔のまま、立ち上がった。
「じゃあ、もう大丈夫です。あなたの“お役目”は、これでおしまい」
小室は、松野の言葉の意味を理解できないまま、身体を強張らせた。
「……ま、待って、ください。私は、情報を──」
「ええ。情報はいただきました」
松野は、手袋を嵌めながら続ける。
「“あなた”は、もういらないんです」
──後に、小室誠は教職を辞し、国外へと出ることになった。
だがその先で、彼の口が何かを語ることは二度となかった。
────
仕組まれた許可。
偽られた声。
一枚の名刺が、
真実の扉を叩く。
彼女に触れた、その指先は──
もう二度と、自由ではいられない。
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