夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第3話】夜に羽ばたく
「……ここ、私がきていい場所ではないですよね?」
「うん、そうだね。普通の女の子が足を踏み入れる場所じゃない」
倖はくすっと笑って、澪の仮面に目をやる。
「でも、君は“普通じゃない”って、俺は知ってるから」
何かを期待するのか、蔑むのか。はたまたその両方なのか。倖の言葉に澪は何も返せなかった。
「……あれ?そっちは?」
ふと、目に入る。倖が持つもう一つの仮面。
「これ?俺のだよ。“蛇”、似合うでしょ」
倖はにやりと笑い、自分の仮面をスッと顔に当てる。ダークグレイで目元が妖しく光るような加工のその仮面。
その瞬間、そこに立っていたのは、もう“購買部の倖くん”ではなかった。
確かに似合う。倖と蛇。今の彼は舐めるような視線と、静かに相手を締め付けるような言動がいかにも“ヘビ”そのものの印象を与えているから。
「倖くん、もう教えてもらえますか?何をするのかを」
さすがに行き当たりばったりで臨みたくはない。澪は問いかける。倖は、今度ははぐらかさずに教えてくれた。ニヤニヤと愉しそうな笑みを浮かべながら。
「都心にそびえる超高級ホテルの最上階ラウンジを貸切で執り行われる、今宵の催し。表向きは“国際的な資産家の集い”みたいな建前」
「え、そんなVIPな方々のイベントに私入るんです?政治の話や株の話で盛る上がる系ですよね?私どちらもNO知識ですよ?」
澪の驚きに倖は態度を変えない。種明かしをしていくようなマジシャンの顔つきの彼は、とても機嫌が良さそうだった。
「けれど実際は、裏社会のキーマンたちが一堂に会する交渉の場。武器商人、マフィア、政治家、企業買収屋……」
「え……」
「飛び交うのは乾杯の音と契約書。笑顔の奥で繰り広げられるのは命をかけた駆け引き」
澪は言葉に詰まる。ただでさえ焦るような集い。それがまさか、そんな危ないイベントだとは思いもしなかったから。
倖が、そんな場所に自分を連れてくるとは思っていなかったから。
「入口は招待制・仮面着用必須。パートナーを連れていない者は交渉対象にすらなれないという暗黙の掟」
「なるほど……だから、私だったんですね」
澪は察する。倖が自分を連れてきた意味を。
「倖くんの正体を知って、尚且つ後腐れなく手を引ける存在。しかも、取引をしているから断れもしない。今の私はピッタリですもんね」
「いやだなぁ、まるで俺がきみを利用するみたいじゃん」
「違うんです?」
「……それだけ、じゃないよ」
倖は口元に弧を描く。何かを含んだような物言い。けれど、さっと扉の前に行くものだから澪は深追いできない。スルリと身を躱す素早さ、本当に蛇のようだ。
仮面をつけた倖は、澪を見つめる。
「澪ちゃん。ここから先は遊びじゃない」
言葉の奥にある気配が、澪の胸を静かに凍らせる。
そして、倖は言う。
「会場に入れば、きみはもう“日常”に帰れない」
今断れば、日常に帰れる。けれど、澪にその選択肢はない。
「……そんなの、とっくに覚悟してます」
真次郎の姿を見たあの夜から。
「私がここにいるのは、自分の意志ですから」
「澪ちゃんの身が危なくても?」
「私にできることで、救えるなら」
澪の強気な態度に倖はニンマリと満足そうに笑みを浮かべ、小さく唱える。
「……変わらないね、きみは」
「え?」
「いーや?なんでも?パーティー、楽しもうね?」
何事もなかったかのように明るく笑って倖は腕を差し出した。それを掴み、澪も仮面をつける。
今から始まるパーティーのために。
「くれぐれも、口を滑らせないように。下手なことを言えば、指が飛ぶよ?」
爽やかに笑う表情とは反対のゾッとするような内容に、澪は顔を歪めるしかなかった。
────
静けさの羽音が、夜を裂く。
まだ幼いままの心に、
黒い仮面が触れるとき。
願いは、正義か。
代償は、未来か。
真っ白だった空白が
ゆっくりと
深い黒に染まりはじめる。
それでも私は
この夜を、飛ぶ。
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