夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第2話】仮面と鴉
「おお……いいね、澪ちゃん」
倖の声に、澪はぎこちなく頷いた。高級ホテルの一室。足元にはさっきまで着ていたTシャツとローファーが脱ぎ捨てられている。
今、彼女が身にまとっているのは──黒緑のロングドレス。片側のスリットが深く入った、シンプルで洗練されたデザイン。背筋を伸ばせば、まるで誰か別の人間になったようだった。
「“力じゃなくセンスで渡り歩く”って雰囲気、ちゃんと出てるよ。気に入った?」
姿見の中の自分は、女子高生には見えなかった。髪を軽く巻き、うっすらメイクを施された顔に、年齢の輪郭は曖昧になっている。
でも、それは違和感だった。鏡の中の“澪”が、自分自身に思えない。
「……似合ってるとは思います」
「お、それはよかった」
倖はにこりと笑って、もうひとつの箱を開けた。
「次はこれ。今日の本番」
そう言って差し出されたのは、艶のある黒い仮面。
目元にレースがあしらわれ、深い緑の光沢が羽のように仄かに浮かぶ──まるで“鴉”のような装飾。
「マスク?プロレスでつけるやつですね。戦うんです?」
「いやだなぁ、澪ちゃん。その姿でまずプロレスに繋がるの本当思考回路めちゃくちゃすぎ」
倖はくっくっと喉で笑いながら仮面を手に持つ。
「今日の仕事には必要なの。正体はバレない方が好都合だしね」
「危ない仕事です?まさか……いけませんよ倖くん、命を奪うのは」
澪のボケなのか真面目なのかわからないトーンの声音。以前真次郎に人を消す時に御面をつけていると聞いたことがあるから、そう連想した。
そんな澪の返しに、倖は目を細める。何も答えない。それは、無音の返事のようで、澪は背筋がゾクっとした。
やはり、倖はそちら側の人間なのだと。
澪は思い出す。購買部のお兄さんとしての倖の顔を。いつも優しく、明るく、なんでも話を聞いてくれたありがたい存在。
そんな彼は、今はいない。
「これは“鴉”。きみの仮面。俺が選んだ、きみだけの顔」
澪は、手を伸ばしかけて──動きを止めた。
見ているだけで、胸の奥が締めつけられるようだった。
まるで、何かを“終わらせる儀式”みたいだ。
自分のせいで、大切な人を傷つけかけた。
自分の未熟さ、自分勝手な決断。
その“罰”のように、仮面の黒は深く、重い。
「……これをつけたら、もう戻れない気がする」
ポツリと漏れた言葉は、自分でも驚くほど素直だった。
倖はそれには答えず、ただ澪を見つめたまま微笑んだ。
「“仮面”ってね。人によっては、素顔より本音が出るんだよ。不思議だけど、ほんと」
その声には、軽さと冷たさが入り混じっていた。
澪はもう一度、仮面を見つめる。細くあしらわれた羽の模様。重たい闇のような艶。そこに“今の自分”が映っているようで、息が詰まる。
でも──
「後ろに戻る道なんて、もうないですしね」
指先が仮面に触れた瞬間、脳裏に真次郎の後ろ姿が浮かぶ。
逃げたくなかった。あの夜、自分の選んだ“向き合う”という選択。後悔はしていない。
澪は、仮面をそっと手に取った。
「似合ってるよ。澪ちゃんが“澪ちゃん”を殺すなら、今だ」
倖の声音は、冗談のようで冗談じゃない。
「……私、“殺す”とは言ってません」
「じゃあ、眠らせるだけ?」
「……必要なら、目覚めないままでも」
倖の目が、面白そうに細められる。
「そう言うと思った」
その口元には、どこか優しさすら混じっていた。
澪はそっと仮面を顔に当てる。内側の冷たい感触が、肌を伝っていく。
鏡の中の自分は、もう“普通の女の子”ではなかった。
────
ひとは仮面をつけるとき、
ほんとうの顔を忘れてしまうという。
だけど私は、忘れるためにこれをつけた。
忘れたいのは、臆病なままの“澪”だから。
闇の中でも、歩けるように。
涙ではなく、言葉で誰かを救うために。
さあ──
私は、選ばれし“鴉”。
本当の夜に、飛び立とう。
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