夜を導く光、それは赤い極道でした。
【第3話】運命の対価
しばらく無言が続いたあと、倖がふと口を開いた。
「じゃあ、取引成立ってことでいい?」
「え!? いいんです? 私、お役に立ててました?」
「パートナーとして、バッチリ」
「……なんか、ほっとしました。実はずっと緊張してたんですよ。裏社会って怖いですし。笑って誤魔化してただけで」
そう言って澪は、少しだけ肩をすくめる。
「でも、ちゃんと“取引成立”って言ってもらえると、救われますね。あ、もちろん、そのために来たんですけど!」
澪の口調は明るいが、その中にわずかな安心と不安が混ざっている。倖はそれを感じ取ったように、優しく目を細めた。
「じゃあ──情報を渡そう。例の“澪ちゃんの想い人の彼”がやられた相手の組。名前は《——》。小規模だけど、今ちょっと無茶してる連中でね」
「……武器とかは?」
「拳銃。外国製。入手ルートまでは特定できてないけど、使い方からして訓練受けてる。たぶん、借り兵か、脱走者」
「……」
「リーダー格の男は《——》。顔写真と簡単な経歴もあるよ」
倖は運転席の脇にあるタブレットを軽く叩く。
「……けど、きみにそれをそのまま渡すのは得策じゃない」
倖の口調が少しだけ低くなった。澪が視線を向けると、彼は苦笑のような表情で続ける。
「面影庵って、外から情報が来ると過剰に警戒するでしょ。もしきみが出所だとバレたら……最悪、きみが責任を問われる。俺にも影響が出る」
「……自分を守るため?」
「もちろん、それもある。でも、きみまで巻き込むつもりはないんだ」
少しの沈黙。
「“正規ルートじゃない経路”で情報が届けば、それはただの偶然。俺が勝手に流したって形にするよ。きみは何も知らないままでいい」
「……そうやって、守るつもりなんですね」
「守る? さあ、どうかな。合理的に動いてるだけかもよ」
倖は、またあの笑い方をする。何かを隠したまま、でもどこか優しげに。
「信じていいんですね?」
「信じるかどうかは、澪ちゃん次第。俺は契約は守るよ。抜け道は好きだけど、約束は破らない」
車は静かに停まった。面影庵の屋敷まで、あと少しという位置。門の灯りが、夜の帳に浮かぶ。
「ここでいいです。中まで来たら、音で気づかれちゃいますから」
澪がそう言って、ドアを開ける。
「ふうん……あの人たち、そこまで耳いいんだ?」
「感だけは鋭いですね。特にくーちゃんとか。ああ、まっつんもですかねぇ。盗み食いしようとするとすぐにバレますし」
澪は軽口を叩いて、倖は興味深そうに眺めていた。
「うーん?後は、ジロ……」
そこで澪の言葉は途切れる。今はまだ病院にいる彼を思い出して。気づいたとしても、この場に飛び出してくることはないから。
少し切なくなりながら、澪は車を降りる。パタン、とドアが閉まる音。
外はひんやりとした夜気に包まれていた。春も半ばとはいえ、夜はまだ肌寒い。
倖の車のライトが消える。エンジン音だけが、微かに残ったまま。
澪は少しだけ後ろを振り返る。運転席の窓の向こう、倖の顔は見えない。
でも、きっとまだ見ている。見届けてくれている。
ゆっくりと屋敷へ向かって歩き出しながら、澪はポケットに手を差し込んだ。冷たい金属の感触。
──金のコイン。
表にΩ、裏には「FATE」の文字。Mr.BIGから渡された、後ろ盾の証。
それをそっと取り出し、手のひらにのせて眺める。
街灯の下で、刻印がちらちらと光を返す。
思い出すのは、車内での言葉。
──“信じるかどうかは、澪ちゃん次第。俺は契約は守るよ。抜け道は好きだけど、約束は破らない”
あのとき、どうしてだろうか。
倖の声には、誰よりも信じられるような温度があった。
澪は小さく息を吐いた。想いを含めた吐息が、夜空へ溶けていく。
「……信じてますよ。もうとっくに」
囁くようなその言葉を夜風に預けて──
澪は門をくぐった。
その背後。
車は音もなくその場を離れていく。ヘッドライトが一瞬だけ澪の背中を照らし、やがて闇に溶けていった。
******
その数日後。
面影庵に、一通の匿名情報が届けられた。
封筒の中には詳細なデータが収められている。
送り主は不明。内容は──先日の先見隊襲撃犯の綿密なプロフィールだった。
──執務室。重く張り詰めた空気。
「……一体誰が、こんな情報を流したんだ」
龍臣が低く唸るように呟き、テーブル上の資料を鋭く睨みつける。機械変声された冷たい音声データが、無機質に淡々と流れ続けていた。
「タイミングが良すぎる……」
信昭が小さく呟く。
龍臣は大きくため息をつき、椅子から立ち上がる。
「信憑性はこれから確かめる。信昭、おまえはどう見る?」
「怪しいけど……うちの調査班のものを超えてるね。信憑性は高いと思う」
「そうか……さて、どう動くか」
「まぁ、一息入れて冷静に判断した方がいいね。勢いだけで動くのは危険だから」
「それもそうだな。ちょっと出てくる」
龍臣はそう言って執務室を出て行った。
信昭は資料を睨み続け、流れ止まった音声データを切ろうと手を伸ばす。
だが、そこで突如、残りの数秒の音声が流れ出した。
『ご清聴ありがとうございました』
『対価は、すでにいただいています』
『幸運に、感謝するといい』
背筋に冷たい震えが走る。信昭はその声の記憶を辿りながら、息を呑んだ。
「“あの夜”……聞いた声に、似ている気がする」
────
夜はただ 静かに笑う。
約束という名の鎖を 揺らしながら。
それでも信じた “誰か” の声を
胸の奥に そっと閉じ込めて。
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