夜を導く光、それは赤い極道でした。

【第5話】誰の手にも、委ねられない


 ──コインが、天井の光を一瞬だけ反射しながら宙を舞った。
 金属の音とともに、テーブルへ落ちる。

 カラン……。

 転がったコインは、静かに回転を止め、「FATE」の刻印をこちらに向けたまま、鎮座した。

 ……沈黙。
 まるでその場の空気そのものが、コインの意志に呑まれたようだった。

 誰もが言葉を飲み込んだ。目だけが、その小さな円盤に縛られる。

「……こいつ……持ってるな……」

 低く漏れた久我山の声が、唯一、現実を揺らした。

 澪は鼻歌まじりに、手を伸ばしてコインを拾い上げる。

「ね?運だけは、いいんですよ。昔っから」

 指先に挟まれたコインが、明かりを受けて輝いた。

「ということで、運命は誰にも決められない。私のこともこのコインが指し示した通り、誰の手にも委ねられないということですね」

「……ゲーム感覚とは、恐れ入ったな。そのコインが、人一人の命に繋がると知っていても?」

 栞の兄が怒りを抑えつつ澪を睨みつける。

「元凶を堂々と見せて……それのせいで、このような事態になっているというのに。自覚がないのか」

「でも、これはただのコインですよ?私が投げればゲームにも使えるし、紐に通せばアクセサリーにもなる。ああ、自販機でジュースが買えないのが難点ですね」

 澪は本当に残念そうに言うものだから、栞の兄はまるで一人相撲をしているような感覚に陥る。それでも、家同士のこの複雑な状況で、簡単に澪を許すわけにはいかない。

 たとえ、もう……澪という人間が、ファミリーを脅かさないと理解していても。

 その後ろ盾が問題なのだから。

 
 澪がコインを紐に通し首にかける中、空気はまだ張り詰めていた。誰もが()()()()に注目する中、澪は何気ない調子で口を開く。

「起こってからじゃ遅いとは、よく言いますが──起こっていないことを、あれこれ悩んでも無駄じゃないですか?」

 その目は真っ直ぐで、どこか寂しげで、そして妙に澄んでいた。

「ほら、“迷ったら進め!”って言いますし」

「“立ち止まれ”だろ、そこは」
 
 思わず久我山がツッコミを入れる。顔は渋いが、どこか苦笑も混じっている。

「ああ、そのパターンもありますね!」
 
 澪は涼しい顔で返す。計算なのか天然なのか、判断がつかない。栞の兄が、冷たい声で返す。

「貴様は軽口を叩いているが、自分の立場を理解しているのか?」

 澪は小さく笑い、軽く肩をすくめた。

「……もちろん。私は、運に選ばれただけの人間です。望んでここに来たわけでも、力があるわけでもない。けど──」

 ふっと栞の兄の方を見て、わざとらしいほど無邪気に言ってのける。

「あなたも、私のことを見ていてください。籠の中ですから。……見やすいと思いますよ?」

 栞の兄は返答せず、その目だけが僅かに揺れる。

「……危険だ……」

 ぽつりと栞が呟いた。冷酷な面持ちのその奥に、ほんのわずかな動揺が覗く。


 交渉はそこで中断された。結論は後日に持ち越し。
 空気は一度、誰の手にも委ねられない“FATE”によって、沈静化した。



 その日の夜。屋敷に戻った澪は、部屋まで戻る道のりで久我山と二人きりになる。

「──おまえ、“運命(FATE)”に選ばれた女ってのはな」

 久我山は目を伏せて、ぼそりと続けた。

「命が軽いんだ。それだけは、覚えとけ」

 澪は、静かに頷いた。何も返さなかった。否、返せるような空気ではなかった。

  久我山に送られて部屋の中。今日の出来事を振り返る澪は、なんだか大変なことにはなってるのかと思いつつも呑気なまま。

 すると、襖がノックされる。「澪?いい?」と聞こえるのは松野の声。
 襖を開いて部屋の外に出ると松野は澪の顔を見るなり、ほんの少しだけ眉をひそめた。

「……あんな風に言わないでよ」

「はい?」

「“誰の手にも委ねられない”とか、“見ていてください”とか……」

 松野は目をそらして、苦しげに続けた。

「俺の心臓が、止まるかと思ったんだ……」

 その声には怒りはなかった。
 あるのは、切実な願いと、どうしようもない恐れだけだった。

「どうしました?まっつん?センチメンタルです?」

「澪が、澪のままだから……おかしくなったのかもね」

「ええ?それは、大変ですね。ジロに続いて、まっつんまでそんな風になると……」

 澪は言葉を詰まらせた。そして、ゆっくりと音に出す。

「さすがに、落ち込みますね」

 それは澪の本音だった。真次郎(しんじろう)からの突然の拒絶。そして優しいはずの松野の言葉。澪のブレない芯も、削り続けられれば、折れてなくなる。

「まっつんは、いつも優しいですから。……だから、痛いです」

 その目が、はじめて“少女”に戻ったように見えた。


 松野が何か言いかけて、口をつぐんだ。

「……もう夜遅いし、今日はちゃんと休んで」
 
 それだけ言うと、松野はふっと澪の頭に手を置いた。
 でもその手はすぐに離れて、何かを押し殺すように背を向けた。


 ────

 選ばれたのは、私じゃない。

 ただ、逃げなかっただけ。

 それだけで、誰かの視線に縛られる。

 それでも──

 私は、立っていたいと思った。

 “見られる”ことより、“見失わない”ために。


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