春は、香りとともに。



 惟道はそっと座敷に戻り、畳に座る。


 (文子にはできなかったことを、俺は、志野子にしてしまっているかもしれない)


 かつての妻は、対等でありたがった。
 惟道が“守ろう”とすればするほど、彼女は“自分で立たせてほしい”と言った。

 だが、志野子は。

 守られることを拒まず、けれど決して頼るばかりではなく、いつも一歩下がって支えてくれていた。


 (あの人と違って……いや、違うというより、“別のかたち”で、俺を見てくれている)


 惟道は立ち上がり、志野子の部屋の襖の前で足を止めた。

 扉は、静かに開いた。

 部屋の中では、志野子が針箱を抱えたまま、眠っていた。
 ひと針ずつ、きっと誰かの服を直していたのだろう。

 その寝顔は穏やかで、けれど、どこか疲れがにじんでいた。

 惟道は小さく笑い、そっと傍に膝をついた。


< 103 / 206 >

この作品をシェア

pagetop