春は、香りとともに。
惟道はそっと座敷に戻り、畳に座る。
(文子にはできなかったことを、俺は、志野子にしてしまっているかもしれない)
かつての妻は、対等でありたがった。
惟道が“守ろう”とすればするほど、彼女は“自分で立たせてほしい”と言った。
だが、志野子は。
守られることを拒まず、けれど決して頼るばかりではなく、いつも一歩下がって支えてくれていた。
(あの人と違って……いや、違うというより、“別のかたち”で、俺を見てくれている)
惟道は立ち上がり、志野子の部屋の襖の前で足を止めた。
扉は、静かに開いた。
部屋の中では、志野子が針箱を抱えたまま、眠っていた。
ひと針ずつ、きっと誰かの服を直していたのだろう。
その寝顔は穏やかで、けれど、どこか疲れがにじんでいた。
惟道は小さく笑い、そっと傍に膝をついた。