春は、香りとともに。
第3話《壊れてしまったもの》
雨が降っていた。
しとしとと細く、冷たい春雨が、長屋の屋根を静かに打ち続けている。
志野子は縁側の前に座り、静かに針を進めていた。
けれど、今日はなぜだか、指が少しだけ震える。
布目に針先が引っかかって、思わず小さく息を呑んだ。
「……大丈夫ですか?」
振り向くと、惟道が湯呑を手に、静かに立っていた。
湯気の向こうに見えるその顔は、どこかいつもよりやさしく感じられた。
「はい。……少し、考え事をしていただけです」
「よろしければ、お聞きしますよ」
その一言に、志野子はふと目を伏せた。
(……今日は、話してもいいのかもしれない)
そう思えるほどに、心が少しだけ、柔らかくなっていた。