春は、香りとともに。
その日、朝餉の支度を整えて茶碗を並べていると、惟道が台所を覗いた。
「お早うございます、志野子さん」
「先生、おはようございます。きょうは少し、風があたたかいですね」
「ええ。……実は、少しご相談がありまして」
志野子は思わず顔を上げた。
「ご相談……ですか?」
「きょう、町の方で春ノ市が開かれるそうです。
毎年、地元の方が花の苗や骨董、和菓子などを並べて賑やかにするそうで……」
「ええ、昔、一度だけ女学校の友人と行ったことがあります」
「もし、差し支えなければ……ご一緒に、出かけてみませんか?」
志野子は、驚いたように目を見開いた。
惟道の口調はいつも通り淡々としていたが、その奥に、ほんのわずかな照れのようなものが混じっている。
(……先生からのお誘い。……わたしに?)
心臓が、控えめに高鳴った。
「……はい。ぜひ、行きたいです」
言葉が漏れた瞬間、志野子の頬は、春の陽ざしよりも淡く紅をさしていた。