春は、香りとともに。
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町の一角に広がる小さな通り、春ノ市はやっている。
紅白の幕がひらめき、菓子の香ばしい匂いや、炊きたての五目飯の香りが漂ってくる。
「……賑やかですね」
志野子が目を細めて言うと、惟道はゆっくりと頷いた。
「昔の東京を、少し思い出しました。人と人の熱気が混ざる感じが」
ふたりは並んで歩いた。
志野子は、ふと手袋をはめた自分の手を見つめる。
その隣にある惟道の手――長く、指先の白いその手が、すこし風に揺れていた。
(……あの手に、触れたくなるなんて)
思ってすぐ、頬が熱くなった。