恋するだけでは、終われない / 気づいただけでは、終われない
第七話
……三藤先輩と交代のために、メインテントに戻ると。
「海原くん、やっぱりお昼は食べなかったのね」
僕が説明するよりも早く、先輩がそういった。
どうしていつも、伝える前から色々わかるのだろう?
そんな疑問を考える僕をよそに。
「お腹すいた〜。じゃ、お願いします!」
高嶺が元気よく、玲香ちゃんとハイタッチしながら交代する。
「ふたりとも、歯磨きは済んだようね」
僕たちふたりがギクリとした顔をしながら、三藤先輩の顔を見る。
「なにかしら?」
「あ、ううん、別に……」
「玲香さん、やましいことでも?」
「あ、そういうわけじゃないよ……」
「例のパンの臭いがしないので、いっただけよ? わたしもこの拷問のような状況から早く解放されたいので、失礼するわ」
「ど、どうぞ……。ごゆっくり……」
「……ただの、社交辞令みたいなものかな?」
三藤先輩の姿が見えなくなってから、玲香ちゃんがヒソヒソ声で聞いてくる。
「いまのはたぶん、そういうことだった気がします」
玲香ちゃんと僕は、とりあえずそれで納得しておくことにした。
するといまさらだけど……。
お腹が、空いてきた。
……あのふたり、なにをそんなに警戒していたの?
ただ、歯磨きしただけでしょ?
その割に、変なようすだったわね。
それはともかく、早くわたしも歯磨きにいきたい。
わたしは、それを教室に置いてきたことを少し後悔しながら。
玄関ホールで靴を履き替え、階段を登りはじめる。
「あら、陽子?」
「あっ! つ、月子……」
いつもとうようすが違う陽子に、声をかけるべきか少し迷った。
「歯磨き、教室に取りにいく途中なのだけれど……」
「えっ! 歯磨き! あ……。そうなんだ……」
どうして歯磨きに、そんなにあなた『も』反応するの?
「ちょ、ちょっと急いでるので……。ごめんね!」
なぜだか、よくわからないけれど。
まるで陽子は、わたしから逃げるように消えていった。
三階中央の水飲み場にいくと、歯磨きを中の姫妃と出会う。
「もう、あの臭いが残ってて三回目〜」
歯磨きの回数を、笑顔でいわれるのも変だけど。
彼女の反応は、特に変わらない。
そうよね、だって歯磨きするだけだもの。
教室から歯磨きセットを持って戻ると、まだ姫妃は歯を磨いている。
「なんかいつもと違う手だから、やたら時間がかかっちゃう〜」
本当はきょう、病院にいけばギプスを外せるはずなのに。
彼女はわたしたちの手伝いを選んで、体育祭に参加している。
「そういえば、さっき玲香が男子と並んでここで歯磨きしてたんだって」
「えっ?」
「でもそれって、海原君でしょ?」
「他には、いないわよね……」
そうか、そんなことがあったんだ。
体操着の袖の色と上履きの色は、学年ごとに違っている。
だから、玲香が『後輩』と『三階で』並んで歯磨きしていたから。
きっと話題に、なったんだろう。
「歯磨きしていただけで、騒ぐことはないわ」
「……ほんとに、思ってる?」
「さすがのわたしでも。その程度なら、気にしませんけど」
目の前で見たら、もう少しなにか思うのかもしれない。
だけど、聞くだけなら平気。
むしろ、状況は理解できる。
「放送室で、お昼を食べる気にならなくて。とりあえず一階で海原くんの歯磨きセット、それから非常階段を登って玲香のを取って。近くのここで、歯磨きしただけじゃないの。だからテントに戻ってくるのも、随分と早かったわ。それがどうかしたのかしら?」
そう、こうやって。
いまのわたしには、手に取るようにわかる。
「……なんか月子、ちょっと強くなった?」
「なんのことかしら?」
「べ・つ・にぃ〜」
ただ、あとでふたりに嫌味くらいはいっておこう。
あちこちで妙な話題を振らないでほしいのは、本当なのだから。
「……そういえば」
「どうかした? 月子?」
そうか。もしかして……。
陽子は、あのふたりをここで『直接』見たのかもしれない。
でも、どうしてそれで動揺するの?
陽子。あなたは『姉』なのよね?
「……今後わたしは、昴の『姉』になります」
夏休みの合宿で、そう宣言したのは陽子だ。
「えっと……。留学を辞めて、その影響でなにかが吹っ切れたからかな?」
あのあと美也ちゃんは、困ったような顔をしながら、わたしにそういった。
美也ちゃんは、教えてくれたあとで……。
……えっ?
そういえば、美也ちゃんは。
お祭りのときに、海原くんに『告白』した。
わたしの頭の中で、これまでの出来事がぐるぐると回転している。
その、過程で。
偶然隣の姫妃が、目に入る。
そういえば、彼女も海原くんのことを……。
「……もしかして」
「月子、ど・う・し・た・の?」
「陽子って……」
「んっ?」
「『好き』だったの?」
姫妃が隣で、大袈裟にため息をついた。
「や・っ・と! わかったのかぁ〜」
「えっ?」
「ねぇ、月子……」
流したままだった、水をとめて。
姫妃がわたしの目の前まで、顔を近づけてくる。
「わかっていないのって。月子と、あの鈍感君だけだって知ってる?」
「う、うそっ……。じゃぁ姫妃も?」
彼女はもう一度、ため息をつく。
「あのねぇ。新参者のわたしだってわかるくらい、わかりやすいんですけどぉー」
「ちっとも、知らなかったわ……」
正直、落ち込んだ。
陽子は、親友なのに。
その気持ちに、気づいてあげられなかった……。
するとまたしても。
いや、三度目の。ため息が聞こえた。
「……あ・の・ねぇ月子。ちゃんと聞いてね」
「はい……」
「あなたはそのままで、い・い・の!」
「……ごめんなさい、いまいち、よくわからない」
「だ・か・ら、それが月子な・の!」
……四度目の、ため息は。
さすがに気の毒だと思って、やめてあげる。
まったく……。
なんていうか。
月子、あなたは『無敵』だよ。
最大のキーパーソンはね、三藤月子。
あなたなの。
あなたが、もし。
自分の気持ちを正しく自覚して、動き出したら。
正直、みんな困っちゃうよ……。
だからあなたが、陽子ちゃんの気持ちを理解しなくても。
そんなの、誰も責めないよ。
女の子に、鈍い男子と。
女心に、鈍い女子。
そんなふたりが、いてくれるからこそ。
……恋するだけでは、終われない。
それにね、わたしたちは。
まだ付き合おうとまで、伝えきれていないから。
……告白したって、終われない。
月子は、ようやく彼に恋した先輩や同級生たちに気づいたよね?
じゃぁ、これからどうする?
そろそろ、月子もね。
……気づいただけでは、終われない
そんな気持ちが、芽生えるのかもね。
でも、でもわたし。
「……海原君のこと、諦めていないから」
「ねぇ姫妃、いまの言葉。よく聞こえなかったのだけれど……」
「そうだね、聞こえないようにつぶやいた」
「えっ?」
……だってそれで、あなたの心に火がついたら困るもの。
「月子は月子のペースで、進めばいいよ」
「どういうこと?」
「だって、それがあなたの魅力でしょ?」
不思議そうな顔をする、『戦友』にわたしは。
「鈍い女がひとりくらいいたほうが、世の中うまくいくもんだよ」
恋の先輩として、全部教えるつもりはないと暗に告げた。
「ねぇ、姫妃」
「な・あ・に?」
「さっきそんなこと、いってなかった気がするわ。それに、なんだか……」
女心には、鈍いクセに。
もう……。プライドは高いんだから……。
「随分と、失礼なことをいっていないかしら?」
「それくらいいいでしょ? わたし、性格悪いし」
「そんなのは、とうの昔に知っているわ。だからといって、わたしが『鈍い』だなんて、どういうことかしら?」
「その言葉どおり、だけど?」
「説明に、なっていないわよ」
「し・ら・な・いっ!」
「ちょ、ちょっと!ちゃんとわかるようにいいなさい!」
「い・や・で・す〜」
……ちょうど、そのとき。
水飲み場に、大きな声が響いた。
「ふたりとも、長い歯磨きだと思ってたら! 遊んでないでください!」
「えっ?」
「あら……」」
それから、わたしたちふたりは。
お腹を空かせた由衣に、怒られた。
でも正直わたしは、助かった。
だって、話しているうちにふと陽子のことが頭をよぎって。
『まだ』なのか、『やっぱり』なのか。
陽子の恋には、続きがある予感がしてきたから。
ただでさえ、美也ちゃんという強敵がいるのに。
そんなときに、わたしは。
……月子にまで、対応できないよ。
……解放された廊下の窓から、校庭の大きな声援がこだまする。
「とりあえず、戻るわよ」
「そうですよ、早く食べますよ」
「わたしも、一緒にた・べ・る!」
こうして、体育祭が進む中。
わたしたちは、わたしたちのペースで。
親友同士の、時間を過ごしていた。