恋するだけでは、終われない / 気づいただけでは、終われない
第八話
……午後一時を過ぎると。
急に空模様が、怪しくなってきた。
「雨になりそうね」
「え〜、せっかく観にきたのに〜」
左隣の三藤先輩と波野先輩が、そんなことをいいながら。
やや離れたところで話し合いをしている、体育祭実行委員たちを眺めている。
「昴君、食べにいく?」
僕の背後から声をかけてきた、玲香ちゃんは。
それよりも仕切り直しのお弁当タイムのほうが、気になるらしいけれど。
なんとなく、右隣に座り込んでいる藤峰先生が。
僕に動いちゃダメよ、みたいなオーラを出している。
話し合いに、地学の先生が加わっていく。
どうやらタブレットで、天気図を見ているようで。
そこに、習ったことはないけれど。顔だけ知っている古典の先生が加わった。
「Mr.ウェザーの、出番だねぇ〜」
藤峰先生が、のんびりと口にする。
なるほど。地学の先生ってやっぱり、天気好きなんですね。
「違う違う。石オタクじゃなくて、漢字しか読まなさそうなほうね」
……あの。
わかりやすいけれど、一応教師同士じゃないんですか?
「一昨年の雨も、ピタリと当てたの。すごいでしょ?」
先生は、そんなことは気にしないみたいで。
「あと、わたしがいきたくなかった遠足二回も当ててくれた!」
新発売のパンの販売日だから、たいそううれしかったのだろう。
とにかく古典の先生は、趣味が興じて、この学校のお天気博士になったらしい。
実行委員長の長岡先輩が、僕に近づいてくる。
な、なんだか嫌な予感が……。
「海原、相談がある」
放送部の部長って、この学校では自動的に全体を統括する委員長なので。
形式上は体育祭実行委員長より、立場が上になる。
なんだか、わかりにくい仕組みだし。
先輩たちで決めてもらって、いいんだけどなぁ……。
「『漢字』がな、土砂降りになるから中止しろといっている」
なるほど、三年生になると。
あの古典の先生は、『漢字』と呼ばれるのか。
ということは、藤峰先生の表現は。
それよりは幾分、マイルドだったのか。
「なぁ海原。俺は、やり遂げたい」
なんだか、かっこいいセリフですけど。
もうすぐ、土砂降りなんですよね?
「だから頼む、雨を降らさないでくれ」
「へ?」
「お前、神社の巫女なんだろ? 前に聞いたぞ。だから頼む」
隣で、藤峰先生がニヤニヤしている。
「夏合宿で、『実家が神社』の高尾先生のところにお世話になりましたけど……」
「てるてる坊主、作るから。あと、七百二十七円までなら数珠買うから、頼む」
……長岡先輩はたぶん、寝不足なんだと思う。
僕の話しなんか、聞いてやしない。
それに、なぜにそんな中途半端な金額なんだ?
「……土砂降りまでの予想時間を、聞いてくるわ」
三藤先輩が、やや同情的な顔で僕を見て。
「観客の誘導、生徒の撤収までの時間、計算して」
玲香ちゃんにも、指示を出す。
先輩が、『漢字』の元へ向かう際。
軽く払った長い髪の毛の先が少し、座っていた僕の頭上をかすっていく。
「月子もなかなか、あざといね!」
波野先輩が、先ほどまで三藤先輩の座っていた僕の隣の席にスッと移動して。
その白い指で、このあとの進行表を差す。
はずみで先輩の肩が、僕に一瞬軽くあたった瞬間。
「近いから!」
うしろから高嶺が、容赦なくバインダーで頭を叩いてくる。
い、いまのって……。
僕のせいじゃ、なくないか?
「……一種目が、限界ね」
三藤先輩が戻ってくると、長岡先輩がガクリと肩を落とす。
すでにポツポツと、雨が降りはじめて。
遠くには黒くて、分厚い雲が広がっている。
「やり遂げたかったな……」
長岡先輩、最後の体育祭だもんな。
やっぱり、この先輩は実行委員長だけある。
責任感とか、熱い思いがあるんだよな。
「なんとか、方法を……」
ある種の、感動をもって。
僕がみんなに、知恵を出そうといいかけたところで。
「俺の西軍が、ま、負けているんだ……」
「へ?」
「か、勝てる種目を、選ばせてくれ……」
三藤先輩が、小さくため息をもらす。
「勝ちたかった、だ・け?」
ちょっと波野先輩! 静かにしてあげて!
長岡先輩……。えらくイメージ下がりますけど、いいんですか?
やっぱり、寝不足なんですよね?
続けてやってきた、体育祭の副委員長は。
女子バレー部のキャプテンで、東軍の団長だった。
同じバレー部同士、仲がいいのかと思っていたら。
そんなこと、ちっともなかったみたいで……。
ふたりのあいだで、綱引きと玉入れで、意見がまとまらない。
「勝手に、決めてもらえないのかしら?」
「お昼いかない? 昴君?」
「アンタ、さっさと決めなよ!」
……そうやって、周囲の女性たちのフラストレーションというかマグマが。
どんどんたまりつつあった、このとき。
どうやら、グラウンドでは。
『借り物競走』が、おこなわれていたようで……。
よりによって、山川俊が。
恐る恐る、僕たちの元へとやってきた。
「なんなの、山川? なにしにきた?」
代表して高嶺が、いかにも邪魔そうにいう。あぁ、かわいそうに……。
「が、ガガガががくくく……」
そういえば、山川も体育祭の委員だ。
きっとこいつも、寝不足なんだろう。
「だから、なにしてんのよ!」
高嶺もう、寝かせてやれよ……。
すると、山川が。
意を決した顔で、僕たちに頭を下げながら声を出す。
「『学校一の美人』を、借りにきました!」
「えっ……」
思わず固まる高嶺。
えっ、お前なのか、高嶺?
カチ、カチ、カチ……。
実に珍妙な沈黙が、三つ数えられて。
山川が、とんでもない爆弾を投下した。
「……あれ? 都木先輩は?」
その瞬間、なぜか僕のスネと、頭と、脇腹と、あと背中に。
四方向から、バインダーとか、拳とか。
なんらかの固いものの、強烈な圧力を感じた。
目の前の長岡先輩が、恐怖のあまり顔をこわばらせながら。
数歩後退するのが、僕の目に見えた最後の光景だ……。
「ほかのカードに、してきなさい……」
三藤先輩の低い声が、遠くで聞こえてくる。
「アンタ、最低……」
高嶺、その『アンタ』は僕じゃないよな?
「消えなよ、そこの一年」
玲香ちゃん。そんな怖い声、やめない?
「二度とこなくてい・い・よ!」
波野先輩。それ、笑顔でいうセリフですか?
藤峰先生だけが、どうやら余裕があるらしく。
さすがになにもいわない、そう思ったのだけれど……。
「は、はい……」
山川が、その目力に恐れおののいてカードを渡すと。
「『学校一の美人』が、誰ですって……?」
小さく、ボソリとつぶやくと。
ビリッ、ビリッ、ビリッ……。
その紙を極限まで細かく破き続ける音が、静かに響き続けていた。
……そんな山川のそのごは、さておいて。
グラウンドのスペースを、絶妙にずらすことに成功した僕たちは。
綱引きと玉入れを、事故なく同時開催した。
幸い、空がそれ以上大きく崩れることもなく、待ってくれて。
参加者全員が諦めるしかないほどの、土砂降りの前に撤収も完了できた。
「ありがとう海原。結果は受け入れるぞ」
長岡先輩も、敗戦後は潔くて。
きっと、今年の体育祭は。
後悔と満足を絶妙に交えた思い出に、いつかなるのだろう。
「……帰るまでには、雨は控えめになるそうよ」
部室で、少し雨に濡れた放送機器を拭いていると。
三藤先輩が僕の目の前に、お茶を差し出してくれた。
ホッとして、そのやさしさをいただこう。
「あっ、アッツ!」
「あらごめんなさい。海原くんの好みの温度を、忘れていたようね」
ま、まだ……。
あの『暴言』は許されてはいないんですね……。
「まぁ、自業自得だよねー」
「昴君、反省しとかないとぉー」
「あ・や・ま・れー」
僕じゃなくて、山川のしでかしたことなのに……。
責任って、あるんだろうか?
「なになに、今度はなにしちゃったの?」
文化祭の準備から、ふたりが戻ってきて。
都木先輩がワクワクした顔で、話題に入ろうとするけれど。
「なんでもありません」
そういって、不思議と誰も説明しようとはしなかった。
「え〜、仲間はずれはダメだよぉ〜」
「じゃぁ、部長が説明したら?」
紅茶と、甘そうなパンをつまみながら。
早耳の高尾先生と、開き直った藤峰先生が僕を見て。
「教えてよ! 海原君!」
都木先輩も、それに乗じて楽しそうにしていた。
……体育祭の一日は、こうして幕を下ろした。
ただ、僕たちはこのとき。
ひとりだけ、同じ空間にいたのに。
あまり話しに加わらなかった、その人に。
もう少し、配慮すべきだったのかも知れない。
それに加えて、誰一人として口にはしなかったけれど。
忘れていたわけでは、決してない。
明日は、いよいよ文化祭。
そして、都木美也は。
その日をもって。
……放送部を、引退するのだ。