奪えない瞳
夜の公園のベンチ。
冷たい夜風が頬を撫でるたび、吐いた息が白く滲む。
隣に座る彼女は無言でライターを擦り、煙草に火をつけた。
その仕草がゆっくりと時間を止めるみたいで、つい目が離せない。
煙が唇の端からふわりと漏れて、暗がりに溶ける。
あまりに綺麗で、言葉を飲み込んだ。
「……吸うん?」
小さく問いかけると、彼女は目を細めて、ゆっくりこっちを見る。
「……まぁ」
その一言に遠い過去が詰まっている気がして、胸が締めつけられる。
少しの沈黙のあと、彼女は煙を吐いて、吸いかけの煙草をゆっくりこちらへ差し出した。
「……吸ってみる?」
彼女の指先が頬に触れそうで、耳まで鼓動が響く。
「…いらん」
吐き出すように断ると、彼女は短く笑って、煙草を自分の唇に戻した。
「そ。」
また煙を吐きながら、ふっと俺の肩に頭を預ける。
距離は近いのに、視線は遠い。
その温度が余計に、俺の思考を搔き乱す。
俺の知らない誰かと、こんな風に静かな夜を過ごしていたのか。
喉に引っかかったままの思いが、勝手に声になった。
「……なんで、吸い始めたん?」
彼女は少し目を伏せて、煙草に火をつけ直す。
「……さぁ、忘れた。……あんたといるときは思い出さないし。」
それだけ言って、また煙を吐いた。
何も言えなくなって、彼女の体温を感じながら、ただ隣に座っていた。
どれくらいそうしていたんだろう。
気づけば、彼女の煙草の火は短くなり、指先が小さく震えている。
「寒ないんか。」
何気なく問いかけると、彼女は少しだけ顔を上げて笑った。
「……寒いよ。」
耳元で、小さな吐息が聞こえる。
煙草の匂いに混じって、かすかにシャンプーの香りがした。
「……俺とおったら、思い出さんでええん?」
問いかける声が、夜風にさらわれそうになる。
「……うん。」
それだけの言葉で、胸の奥が少しだけ温かくなる。
けれど、その温度の奥に、どうしようもなく苦い棘が残った。
今、たしかに感じる温かな重み、
その重さが嬉しいのに、同時に、知らん誰かと過ごした夜の気配が頭を掠める。
まだ、彼女の視線は俺を捉えていない気がした。
気付けば、マフラーに埋まる彼女の顎に指を伸ばしていた。
そっと触れて、こっちを向かせる。
彼女は抵抗もせず、じっと俺の瞳を見つめる。
やっと俺を見た、と思った。
でも彼女の瞳は俺の瞳を通して他の誰かを見ている気がして、
きっと今奪っても何も変わらないんだろう。
そう思った。
少しの間見つめ合って、彼女の瞳の奥に、寂しさを感じた。
「……ごめん。」
小さく吐き出した声が、夜風にさらわれる。
彼女は何も言わずに、ただ瞼を伏せた。
指を離すと、預けられていた体重がふっと抜ける。
それだけで、心の奥が少し軋んだ。
「……ごめんって何」
彼女がかすかに笑うと、灰が地面に落ちた。
煙草の煙だけが、冷たい夜空に登っていた。
俺は、肩から消え始める温もりを感じながら、その煙をただ目で追っていた。
冷たい夜風が頬を撫でるたび、吐いた息が白く滲む。
隣に座る彼女は無言でライターを擦り、煙草に火をつけた。
その仕草がゆっくりと時間を止めるみたいで、つい目が離せない。
煙が唇の端からふわりと漏れて、暗がりに溶ける。
あまりに綺麗で、言葉を飲み込んだ。
「……吸うん?」
小さく問いかけると、彼女は目を細めて、ゆっくりこっちを見る。
「……まぁ」
その一言に遠い過去が詰まっている気がして、胸が締めつけられる。
少しの沈黙のあと、彼女は煙を吐いて、吸いかけの煙草をゆっくりこちらへ差し出した。
「……吸ってみる?」
彼女の指先が頬に触れそうで、耳まで鼓動が響く。
「…いらん」
吐き出すように断ると、彼女は短く笑って、煙草を自分の唇に戻した。
「そ。」
また煙を吐きながら、ふっと俺の肩に頭を預ける。
距離は近いのに、視線は遠い。
その温度が余計に、俺の思考を搔き乱す。
俺の知らない誰かと、こんな風に静かな夜を過ごしていたのか。
喉に引っかかったままの思いが、勝手に声になった。
「……なんで、吸い始めたん?」
彼女は少し目を伏せて、煙草に火をつけ直す。
「……さぁ、忘れた。……あんたといるときは思い出さないし。」
それだけ言って、また煙を吐いた。
何も言えなくなって、彼女の体温を感じながら、ただ隣に座っていた。
どれくらいそうしていたんだろう。
気づけば、彼女の煙草の火は短くなり、指先が小さく震えている。
「寒ないんか。」
何気なく問いかけると、彼女は少しだけ顔を上げて笑った。
「……寒いよ。」
耳元で、小さな吐息が聞こえる。
煙草の匂いに混じって、かすかにシャンプーの香りがした。
「……俺とおったら、思い出さんでええん?」
問いかける声が、夜風にさらわれそうになる。
「……うん。」
それだけの言葉で、胸の奥が少しだけ温かくなる。
けれど、その温度の奥に、どうしようもなく苦い棘が残った。
今、たしかに感じる温かな重み、
その重さが嬉しいのに、同時に、知らん誰かと過ごした夜の気配が頭を掠める。
まだ、彼女の視線は俺を捉えていない気がした。
気付けば、マフラーに埋まる彼女の顎に指を伸ばしていた。
そっと触れて、こっちを向かせる。
彼女は抵抗もせず、じっと俺の瞳を見つめる。
やっと俺を見た、と思った。
でも彼女の瞳は俺の瞳を通して他の誰かを見ている気がして、
きっと今奪っても何も変わらないんだろう。
そう思った。
少しの間見つめ合って、彼女の瞳の奥に、寂しさを感じた。
「……ごめん。」
小さく吐き出した声が、夜風にさらわれる。
彼女は何も言わずに、ただ瞼を伏せた。
指を離すと、預けられていた体重がふっと抜ける。
それだけで、心の奥が少し軋んだ。
「……ごめんって何」
彼女がかすかに笑うと、灰が地面に落ちた。
煙草の煙だけが、冷たい夜空に登っていた。
俺は、肩から消え始める温もりを感じながら、その煙をただ目で追っていた。


