桜の記憶

第44話 新しい一歩

手帳を読み終えた翌日、美咲は厨房の片隅でしばらく考え込んでいた。
春香が託した言葉──「未来に残る和菓子」。
それを形にするには、母をなぞるだけではなく、自分自身の歩みが必要だと感じていた。

「美咲さん、どうしたの?」
声をかけてきたのは若女将の梢だった。
「顔がすごく真剣だったから」

美咲は少し恥ずかしそうに笑った。
「実は……自分の菓子を作りたいんです。母が夢見ていたものを、私なりの形で」

梢は目を細めて頷いた。
「いいと思うわ。きっと大女将も喜ぶはず」

その言葉に励まされ、美咲は厨房の仲間──佐々木や塔子にも相談してみた。
佐々木は腕を組みながら言った。
「なら、まずは素材探しだな。季節感と物語をどう盛り込むか。君の“色”をどう出すかが大事だ」
塔子もにっこりと笑い、
「美咲さんなら大丈夫よ。ほら、桜薫だってみんなを驚かせたんだから」
と背中を押してくれた。

それでも、美咲の心の奥には別の不安があった。
──母のようにできなかったら? 皆をがっかりさせてしまったら?

そんなとき、声をかけてきたのは悠人だった。
「また悩んでる顔をしてますね」
気づけば彼はいつも、美咲が立ち止まった時にそばにいる。

「……どうしてそんなにわかるんですか?」
美咲が小さく笑いながら尋ねると、悠人は穏やかに答えた。
「ずっと見てますから。あなたが努力していることも、迷っていることも」

その一言に、美咲の胸が熱くなった。
彼の視線に包まれると、不思議と怖さが薄れていく。
(悠人さんが信じてくれるなら、私も自分を信じたい……)

「ありがとうございます。私……挑戦してみます」
美咲ははっきりと告げた。
悠人は静かにうなずき、その笑顔がまた彼女の心を強くした。

こうして、美咲の新しい挑戦が始まろうとしていた。
母の記憶に寄り添いながら、自分だけの物語を和菓子に込めていく。
そしてその背中を、悠人が温かく見守っていた。
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