桜の記憶

第45話 試作の始まり

桜月庵の厨房に、まだ朝の冷たい空気が残っていた。

美咲は大きく息を吸い込み、まな板の前に立つ。

今日から「自分の菓子」を作る挑戦を始めるのだ。



頭の中には、母の言葉と自分の想いが渦巻いていた。

──未来に残る和菓子を。

けれども「桜薫」を超える新しいものを形にするのは、容易ではなかった。



「まずは、自分が感じた春を形にしよう」

美咲はそうつぶやき、苺や白餡、そして練乳を少しだけ使った新しい組み合わせに挑んでみた。

苺の酸味と餡の優しい甘さが重なれば、きっと新しい季節の味になるはず。



だが、最初の試作品はあっけなく失敗した。

餡は水っぽく、苺の風味が消えてしまう。

形も崩れ、見た目にも美しくなかった。



「うまくいかない……」

肩を落とす美咲に、佐々木が近づく。

「最初から完璧なんて無理だ。材料の扱いを変えてみな。苺は水分が多いから、工夫が必要だぞ」

塔子も笑顔で

「味はいい線いってるわよ。改良すればきっと素敵なお菓子になる」

と励ました。



それでも、美咲の心は重かった。

母のようにできないのではないか──そんな不安が胸を支配する。



夕刻、片付けをしていると悠人が現れた。

「随分遅くまで残ってたんですね」

「……試作をしたんですけど、全然ダメで」



美咲の声は沈んでいた。

だが悠人は眉をひそめることなく、むしろ柔らかく微笑んだ。

「ダメじゃないですよ。挑戦した分だけ前に進んでます」



「でも……失敗ばかりで」

「失敗は、積み重ねれば必ず形になります。春香さんの手帳にも、そう書いてあったでしょう?」



美咲ははっと顔を上げた。

母の文字──「失敗は記憶になる」。

そうだ、自分もそれを学んだはずなのに。



「……悠人さん、本当にいつも支えてくれますね」

無意識にこぼれた言葉に、自分で顔が熱くなる。

悠人は驚いたように瞬きし、そして静かに笑った。

「支えたいと思うから、そばにいるんです」



胸の奥が甘く締め付けられる。

その笑顔が、今の美咲にとって何よりの力だった。



(私……悠人さんのことを、こんなにも大切に思ってる……)



その想いを胸に抱きながら、美咲はもう一度厨房に向かう決意を固めた。

母に託された夢を、自分自身の心で咲かせるために。



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