秘めた恋は、焔よりも深く。
時代錯誤な考え方だと、頭ではわかっていた。
それでも、美咲にとってあの離婚は、
一生消えない“痛みの原点”として、心の奥に沈んでいる。

女としての役割を果たせなかった。そう思わされたあの時間。
誰にもぶつけられなかった悔しさも、
声にならなかった悲しみも、全部、自分の中で押し殺した。

数年前のことだった。
前夫と共通の知り合いから、ふと耳にした。

「そういえば、彼、再婚したんだよ。
今はもう二人の子どももいて、休日は家族でテーマパーク行ったり……幸せそうだったよ」

そのとき美咲は、驚かなかった。
泣きもしなかったし、嫉妬もしなかった。

ただ、何も感じなかった。
ほんとうに、何も。

それが少しだけ、自分でも怖かった。

ただ、もう過去には触れたくなかった。
自分が何に傷ついて、どこで立ち止まっていたのかなんて、
知ろうとすることすら、もう面倒だった。

だから、美咲は“前だけ”を見るようになった。
仕事に没頭した。
資格を取り、異動を重ねて、今のポジションに就いた。

休日は趣味の登山や一人キャンプ。
自分で選んだ道を、自分の力で歩いている実感があった。
家族から「強くなったね」と言われるたびに、少しだけ、救われた気もした。

けれど.....

静かすぎる部屋に包まれたとき。
誰にも見せないはずの感情が、ふと胸の奥からこぼれ出ることがある。

「このままずっと、一人なのかな」
そんな思いが、一瞬よぎることがある。

求めていない。
必要ないと思っていた。

でも、「心のどこか」は、
誰かに寄りかかりたがっていることを、美咲は知っていた。

それを認めるのは、もう少し先でいい。
まだ、誰かの前で素直になれるほどには、
過去を手放せていないから。

(……変なこと、考えすぎ)

小さく息をついて立ち上がると、荷物を片づけ、
洗面所でメイクを落とす。蒸しタオルの熱に、ようやく表情がゆるんだ。

明日は、久しぶりのキャンプ。
心を整えたくて選んだ週末だった。

(そうだった。明日はキャンプ)

気持ちを切り替えよう。
あの焚き火の香りと、森の静けさに包まれれば、こんなざわつきも、すっと遠のいていくはずだ。
パジャマに着替え、部屋の明かりを落とす。
ベッドに横たわり、布団を肩まで引き上げると、
ようやく少し、呼吸が深くなった。

(早く寝よう)

そうつぶやいた美咲は、目を閉じた。
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