秘めた恋は、焔よりも深く。
部屋での荷造りを終え、龍之介が最後のボストンバッグをソファの脇に置いた。
美咲は深呼吸をして、名残惜しそうに部屋を見回す。
その静けさを破るように、コンシェルジュがノックをして控えめに声をかけた。

「佐倉様、黒瀬様。最後の体験の会場へご案内いたします」

コンシェルジュに導かれて、二人は緑の小径を進んでいった。
木々の葉を透かして差し込む光が揺れ、鳥の声と風の音だけが響いている。

やがて小径を抜けた先に広がったのは。
視界いっぱいに広がる大自然の絶景。
山並みと青空、咲き誇る季節の花々に囲まれたガーデン風のスペースだった。

その中央には、白いアーチがひとつ。
花で彩られたその下に立つと、まるで結婚式の誓いの場のように整えられている。

「……最後の体験は、ガーデンウェディングでございます」
コンシェルジュの言葉に、美咲は思わず立ち止まった。

「ガーデン……ウェディング……?」
信じられないように呟いた声が、風に溶けて消える。

「……ここで、模擬挙式を体験していただきます」

コンシェルジュの言葉に、美咲は思わず立ち止まった。
「模擬……挙式……?」

龍之介が彼女の肩に手を添える。
「せっかくだ、最後まで楽しもう」

アーチの下に立つ龍之介は、漆黒のタキシードに身を包んでいた。
引き締まった体を際立たせる仕立て、胸元に挿された一輪の白い花。
成熟した男にしか出せない落ち着きと色気が、ただそこに立っているだけで空気を支配していた。
彼の瞳は、ただひとり、美咲のために熱を帯びている。

スタッフに導かれ、美咲が現れる。
身に纏った純白のマーメイドドレスは、シルクの光沢とオフショルダーの柔らかな曲線が、彼女の気高さを引き立てていた。
控えめな華やかさを添えたメイクとシニヨン風のまとめ髪が、その美しさを際立たせる。
手には、淡いピンクとクリーム色の花を束ねたブーケ。
華やかすぎず、控えめに咲き誇るその花々は、今の彼女そのもののように見えた。

その瞬間、龍之介の呼吸が浅くなる。
「……美咲」
視線が離せない。
純白に包まれた彼女の姿が、あまりにも眩しく、現実感を超えた存在に思えた。

美咲は胸の奥で小さく息を整えながら、一歩、また一歩とアーチへと歩みを進める。
手に持つブーケの花弁が風に揺れ、その香りとともに、彼女の心臓の鼓動がさらに速まっていく。

美咲が龍之介の横に立った瞬間、空気が変わった。
黒のタキシードに身を包んだ大人の男と、純白のドレスを纏う花嫁。
二人が並んだ姿は、誰が見ても完璧に調和していた。

そこへカメラマンが現れ、軽く会釈をして言葉をかける。
「それでは、撮影を始めさせていただきます」

指示に従い、二人は向き合い、見つめ合い、時に肩を寄せ合う。
美咲の手には淡い色のブーケ。
その花を龍之介がそっと支えるように手を添えるだけで、写真は息をのむほど美しかった。

「もう少しお顔を近づけて…そうです」
「お二人、自然に微笑んでください」

何度もシャッターの音が響く。
美咲は、撮られるたびに頬が熱くなるのを感じた。
それでも龍之介が隣で静かに微笑みかけてくるだけで、不思議と心が落ち着いていく。

一体、何枚撮ったのだろうか。
次々とポーズを変え、カメラに収められていく時間は、現実を超えた夢のようだった。

そしてすべての撮影が終わったとき、
美咲も龍之介も、ふっと息をつき、夢から醒めたような感覚に包まれた。

けれど、その余韻は確かに残っていた。
まるで、二人は本当に夫婦として誓いを交わしたかのように。

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