秘めた恋は、焔よりも深く。
目を覚ました龍之介は、無意識のうちに隣に手を伸ばした。
そこにあるはずの温もりがなく、はっとして身を起こす。
寝室を見渡しても、美咲の姿はどこにもない。
シーツのわずかな香りだけが、昨夜の彼女の存在を物語っていた。

「……美咲?」
呼びかけても、返事はない。
焦るように寝室を出て、洗面所、リビングへと歩を進める。
代わりに目に入ったのは、テーブルの上に置かれた一枚のメモ。

その短い文字を見つめ、龍之介は低く息を吐いた。
「……帰ってしまったか」
深いため息がリビングに落ちる。

どうしようもない空虚感を埋めるように、キッチンへ向かう。
豆を挽き、コーヒーメーカーにセットする手つきはいつも通りなのに、胸の内にはぽっかりとした穴が広がっていた。
立ちのぼる湯気の向こうに、昨夜の彼女の笑顔がよみがえる。

『……同棲ってこと?』
彼女がためらいがちに問いかけたあの瞬間。
その問いに答えるつもりでいた。けれど、さすがに湯船の中で話すことではないと思い、改めて伝え直そうとしたまま……二人とも眠ってしまったのだ。

コーヒーを淹れる手を止め、龍之介は目を伏せる。
あのとき、はっきり言っていれば。
悔しさと同時に、今はもう迷いがない。

「もう一度やり直す。……いや、もう二度と帰さない」
強い決意が胸の奥に静かに燃え上がっていった。

コーヒーの湯気を見つめながら、龍之介はスマートフォンを手に取った。
「……おはよう」
短く、簡潔なメッセージを美咲に送る。
しかし、しばらく待っても既読はつかない。

落ち着こうと深呼吸を繰り返すほどに、胸の奥のざわめきは強くなる。
もう一度眠ってしまったのか、それとも。
想像が先走り、じっとしてはいられなかった。

着替えを済ませ、鍵を手に取る。
エレベーターで地下駐車場まで降りると、龍之介は車に乗り込んだ。
目指すのはただひとつ、美咲の住むマンションだった。


買い物袋を下げた美咲は、自宅へ向かう途中、何気なく携帯を確認した。
そこには、しばらく前に届いていた龍之介からのメッセージ、『おはよう』。
思わず立ち止まり、慌てて電話をかける。

ちょうど運転中の龍之介。着信画面に「美咲」の名前が浮かぶのを見て、胸の奥の緊張が一気にほどけた。
「……美咲」
甘く安堵した声が車内に響く。

「今、外なのか?」

「はい。スーパーからの帰りで……もうすぐ家に着きます」

「会いたい。近くまで来ている。行っていいか?」

一瞬の沈黙のあと、美咲の声が震え混じりに返る。
「……はい」

電話を切ると、ハンドルを握る手に自然と力がこもる。
数分後、美咲の住むマンション前に車を停め、買い物袋を下げた彼女の姿を見つけた。

「……重いだろ、貸せ」
さりげなく荷物を受け取り、そのまま彼女と並んでエントランスを抜ける。
鍵を開け、美咲の部屋に足を踏み入れた瞬間、生活の匂いと静けさが迎えてくれる。

テーブルの上に買ってきたばかりの食材を並べる美咲を、龍之介は後ろから抱き寄せた。
「……ようやく捕まえた」
耳元に落ちる低い声とぬくもりに、美咲の胸が高鳴る。
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