秘めた恋は、焔よりも深く。
「……歳月って、不思議だよね。
ふとした瞬間に、人を美しく見せる。きっと、それまでの全部が、にじむから」
その言葉は、ふいに降る春の雨のようだった。
あたたかくて、でも、少しだけ胸に沁みる。
何気ない語り口だった。
けれど、美咲は思わず息をのんだ。
“それまでの全部が、にじむから”
その「全部」の中には、いくつの痛みがあっただろう。
どれだけの後悔と、耐え忍んだ日々があっただろう。
何度、自分の価値を疑いかけたか知れない。
それでも、それらをすべて否定せずに、
そのままにして“美しさ”と呼んでくれる人がいるなんて。
たったひと言で、こんなにも心が揺れるなんて、思わなかった。
「……ありがとうございます」
声が少しだけ震えてしまったことに、自分で気づく。
社長は、穏やかな笑みを浮かべたまま、深くは追ってこなかった。
それがまた、胸に優しく触れて、苦しくなる。
(そんなふうに、まるで全部わかってるみたいに)
そう思ったのは、責める気持ちではなくて。
その優しさに、心の奥を見透かされたようで.....
だからこそ、怖かったのだ。
「……それまでの全部が、にじむから」
その言葉が胸に残ったまま、美咲は執務室に戻ってきた。
誰にも気づかれぬよう、机に向かいながらも、まだ心の奥がざわついている。
(……そんなふうに言われたの、初めてかもしれない)
どこにも力を込めずに、すっと届いてきた真樹の言葉。
決して馴れ馴れしくもなく、けれど確かに、自分という人間を“ひとりの女性として”見てくれている気がした。
それは、どこか.....
(……黒瀬さんとは、違う)
ふと、脳裏をかすめた名前に、自分でも小さく驚いた。
そんなつもりはなかったのに、気づけば二人を並べていた。
龍之介の視線は、まっすぐで真剣で、ときに熱を帯びている。
それが怖いと感じたこともあった。
踏み込まれそうで、逃げたくなるような気持ちになったことも。
でも社長は、ただ一歩引いた場所から、
過去さえも包むように見つめてくれる。
どちらがいいとか、そういう話じゃない。
ただ、違う。まったく違う人たち。
それなのに。
どちらの視線も、なぜこんなにも胸に残ってしまうのだろう。
「佐倉さん、例の案件の進捗、少し確認させてもらっていいですか?」
いつも通りの、落ち着いた声。
資料を受け取る手つきも丁寧で、余計な間もない。
……なのに。
(なぜだろう。今日の黒瀬さんの声、少しだけ……冷たく聞こえる)
気のせいだ、と頭では分かっている。
彼はいつだって、こういう人だった。
誠実で、真面目で、誰よりも仕事に対して厳しい。
でも。
午前中に聞いた、真樹のあの柔らかい声が、まだ耳の奥に残っていた。
「ここの数字、少し再確認お願いします。資料の整合性が気になるので」
「……はい、分かりました」
言葉に棘などない。
けれどその“気になる”という言い回しが、なぜか今は責められているように感じてしまう。
(違う……これは、私の問題)
美咲は自分をいさめるように、ゆっくりと息を吐いた。
龍之介は、変わっていない。
変わってしまったのは、自分の感覚の方だ。
たった一言。
たった一人の言葉が、こんなにも内側のバランスを揺らしてしまうなんて。
ふとした瞬間に、人を美しく見せる。きっと、それまでの全部が、にじむから」
その言葉は、ふいに降る春の雨のようだった。
あたたかくて、でも、少しだけ胸に沁みる。
何気ない語り口だった。
けれど、美咲は思わず息をのんだ。
“それまでの全部が、にじむから”
その「全部」の中には、いくつの痛みがあっただろう。
どれだけの後悔と、耐え忍んだ日々があっただろう。
何度、自分の価値を疑いかけたか知れない。
それでも、それらをすべて否定せずに、
そのままにして“美しさ”と呼んでくれる人がいるなんて。
たったひと言で、こんなにも心が揺れるなんて、思わなかった。
「……ありがとうございます」
声が少しだけ震えてしまったことに、自分で気づく。
社長は、穏やかな笑みを浮かべたまま、深くは追ってこなかった。
それがまた、胸に優しく触れて、苦しくなる。
(そんなふうに、まるで全部わかってるみたいに)
そう思ったのは、責める気持ちではなくて。
その優しさに、心の奥を見透かされたようで.....
だからこそ、怖かったのだ。
「……それまでの全部が、にじむから」
その言葉が胸に残ったまま、美咲は執務室に戻ってきた。
誰にも気づかれぬよう、机に向かいながらも、まだ心の奥がざわついている。
(……そんなふうに言われたの、初めてかもしれない)
どこにも力を込めずに、すっと届いてきた真樹の言葉。
決して馴れ馴れしくもなく、けれど確かに、自分という人間を“ひとりの女性として”見てくれている気がした。
それは、どこか.....
(……黒瀬さんとは、違う)
ふと、脳裏をかすめた名前に、自分でも小さく驚いた。
そんなつもりはなかったのに、気づけば二人を並べていた。
龍之介の視線は、まっすぐで真剣で、ときに熱を帯びている。
それが怖いと感じたこともあった。
踏み込まれそうで、逃げたくなるような気持ちになったことも。
でも社長は、ただ一歩引いた場所から、
過去さえも包むように見つめてくれる。
どちらがいいとか、そういう話じゃない。
ただ、違う。まったく違う人たち。
それなのに。
どちらの視線も、なぜこんなにも胸に残ってしまうのだろう。
「佐倉さん、例の案件の進捗、少し確認させてもらっていいですか?」
いつも通りの、落ち着いた声。
資料を受け取る手つきも丁寧で、余計な間もない。
……なのに。
(なぜだろう。今日の黒瀬さんの声、少しだけ……冷たく聞こえる)
気のせいだ、と頭では分かっている。
彼はいつだって、こういう人だった。
誠実で、真面目で、誰よりも仕事に対して厳しい。
でも。
午前中に聞いた、真樹のあの柔らかい声が、まだ耳の奥に残っていた。
「ここの数字、少し再確認お願いします。資料の整合性が気になるので」
「……はい、分かりました」
言葉に棘などない。
けれどその“気になる”という言い回しが、なぜか今は責められているように感じてしまう。
(違う……これは、私の問題)
美咲は自分をいさめるように、ゆっくりと息を吐いた。
龍之介は、変わっていない。
変わってしまったのは、自分の感覚の方だ。
たった一言。
たった一人の言葉が、こんなにも内側のバランスを揺らしてしまうなんて。