秘めた恋は、焔よりも深く。
企画推進部のフロアで、いつものように資料の受け渡しを終えたあと。
彼女は、変わらず丁寧に、穏やかに対応してくれた。
何も、変わっていないはずだった。

けれど。

(……何かが、違う)

目を伏せる間。
言葉を選ぶときの、ほんのわずかな“間”。
手元に置かれたペンを握る力が、なぜか少し弱かった気がする。

「佐倉さん、何かあったんですか?」

思わず、声にしていた。
自分でも、問いかけが唐突だったことに気づく。

「え? いえ、特には。……なぜですか?」

美咲は少し目を見開き、首を傾げた。
その笑みは柔らかく、礼儀正しかった。
ただ、それが妙に遠く感じられた。

(ああ、やっぱり……何か、ある)

これまでにも、彼女は感情を大きく表に出すタイプではなかった。

けれど、だからこそ。
わずかな変化に、逆に気づいてしまう。

ほんの一週間前までは、もっと素直だった。
もっと、こちらの声にすっと反応していた。

「……でしたら、すみません。お気遣いありがとうございます」

そう言って彼女は軽く頭を下げ、業務に戻った。
その姿に、龍之介はしばらく目を離せなかった。

(誰かと、話したのか。……何か、あったのか)

そして、心の奥にうっすらと、嫌な予感が芽生える。

それが、自分の知らない“誰か”との会話だったとしたら?

理由も根拠もない。
でも、なぜか、そう思えて仕方なかった。

たしかに、笑っていた。
けれど、それは“こちらに向けられたもの”ではなかった気がする。

むしろ

(何かを、思い出していたような……)

先週まではなかった仕草。
目尻に、ほんの少しやわらかさが宿っていた。

自分の関与していないところで、美咲が何かを感じている。
誰かと会話をし、心を揺らされている。

(……まさか)

声に出さずに、眉を寄せた。

彼女は聡明で、自立していて、感情を過剰に揺らさないタイプだ。
だからこそ、こういう変化は目立つ。

ほんの、微かな綻び。
でも、それは誰かの手が触れなければ、起きないものだ。

考えすぎだ。
そう言い聞かせたかったが、
なぜだか、今日は心が落ち着かなかった。

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