秘めた恋は、焔よりも深く。
木曜日に社長室に書類を届けに来た帰り、真樹が美咲に軽く声をかけた。
「佐倉さん、お昼は外?」
「いえ、今日はお弁当を持ってきました。……簡単なものですけど」
「へぇ、それは意外だな」
「……え?」
美咲は少しだけ肩をすくめ、心なしか表情を引き締める。
けれど、真樹は何気ない風を装って、笑みを浮かべた。
「いや、なんとなく。あまり“自分のために時間をかける人”には見えなかったから」
「……それは、そうかもしれません」
「でも、それを“意外だ”って思わせてしまうくらい、普段から頑張ってるってことだよ。
自分を後回しにしてきた人の、典型的な表情してるからね、君は」
真樹の声は、穏やかだった。
責めるわけでも、からかうわけでもない。
ただ、長年誰かを見守ってきた者の目だった。
美咲は一瞬、言葉に詰まった。
まさか。
自分が家で、少しだけ“何かを変えてみよう”と思っただけの、その余波が
こんなふうに見透かされているとは思わなかった。
(……見ていた? どこまで?)
動揺と、微かな羞恥。
でも、それ以上に胸の奥に広がっていく、あたたかな何か。
「……ただ、なんとなく、作ってみようと思っただけです」
ようやくそれだけを返すと、真樹はわずかに目を細めた。
「“なんとなく”でもいいじゃないか。
“今までしてこなかったことを、ちょっとやってみようと思う”
それは、立派な兆しだよ。人が変わっていくときの、最初の合図みたいなもんだ」
その声に、どこか遠い景色を見ているような優しさがにじんでいた。
美咲は視線を落としたまま、小さく頷いた。
それ以上、何かを言ってほしかったわけじゃない。
でも、あの言葉が静かに背中を押したのはたしかだった。
(……この人の目に映る私は、
過去の足りなさではなく、“これから”を見ているのかもしれない)
そんなことを、ふと、思った。
「社長は、お昼、召し上がったんですか?」
美咲が書類をまとめながらふと尋ねると、真樹は穏やかな声で返した。
「うん、軽くそばをね。
妻が今夜はビーフストロガノフだって、朝から張り切ってたからさ。昼は控えめにしておこうと思って」
「……奥さま、お料理がお得意なんですね」
「うん。うまいよ。彼女の作るものは、どれも……なんていうか、あたたかいんだ」
そう言って真樹は、どこか懐かしむように目を細めて、微笑んだ。
その笑みに、胸の奥がわずかにざわつく。
(やっぱり……料理ができる女性が、理想なんだろうな)
喉元まで上がりかけた自嘲を押し込めながら、美咲は小さく笑ってみせた。
「……私は、料理、あまり得意ではないんです」
「そうか。でも、それでも料理するんだね?」
真樹がふと、美咲の目をまっすぐに見た。
「……はい。最近、少しずつ」
「すごいな」
微笑みながら、彼は続けた。
「俺は完全に諦めたからね。料理、苦手すぎて。
それでもう“うまくできないことは、プロに任せよう”って割り切った」
肩をすくめるようにして笑うその姿は、どこまでも自然体だった。
料理が得意かどうかじゃない。
大事なのは、苦手でも自分の手で、自分を整えようとするその気持ち。
そう言われたような気がして、
美咲の胸に、わずかにあたたかさが灯った。
「佐倉さん、お昼は外?」
「いえ、今日はお弁当を持ってきました。……簡単なものですけど」
「へぇ、それは意外だな」
「……え?」
美咲は少しだけ肩をすくめ、心なしか表情を引き締める。
けれど、真樹は何気ない風を装って、笑みを浮かべた。
「いや、なんとなく。あまり“自分のために時間をかける人”には見えなかったから」
「……それは、そうかもしれません」
「でも、それを“意外だ”って思わせてしまうくらい、普段から頑張ってるってことだよ。
自分を後回しにしてきた人の、典型的な表情してるからね、君は」
真樹の声は、穏やかだった。
責めるわけでも、からかうわけでもない。
ただ、長年誰かを見守ってきた者の目だった。
美咲は一瞬、言葉に詰まった。
まさか。
自分が家で、少しだけ“何かを変えてみよう”と思っただけの、その余波が
こんなふうに見透かされているとは思わなかった。
(……見ていた? どこまで?)
動揺と、微かな羞恥。
でも、それ以上に胸の奥に広がっていく、あたたかな何か。
「……ただ、なんとなく、作ってみようと思っただけです」
ようやくそれだけを返すと、真樹はわずかに目を細めた。
「“なんとなく”でもいいじゃないか。
“今までしてこなかったことを、ちょっとやってみようと思う”
それは、立派な兆しだよ。人が変わっていくときの、最初の合図みたいなもんだ」
その声に、どこか遠い景色を見ているような優しさがにじんでいた。
美咲は視線を落としたまま、小さく頷いた。
それ以上、何かを言ってほしかったわけじゃない。
でも、あの言葉が静かに背中を押したのはたしかだった。
(……この人の目に映る私は、
過去の足りなさではなく、“これから”を見ているのかもしれない)
そんなことを、ふと、思った。
「社長は、お昼、召し上がったんですか?」
美咲が書類をまとめながらふと尋ねると、真樹は穏やかな声で返した。
「うん、軽くそばをね。
妻が今夜はビーフストロガノフだって、朝から張り切ってたからさ。昼は控えめにしておこうと思って」
「……奥さま、お料理がお得意なんですね」
「うん。うまいよ。彼女の作るものは、どれも……なんていうか、あたたかいんだ」
そう言って真樹は、どこか懐かしむように目を細めて、微笑んだ。
その笑みに、胸の奥がわずかにざわつく。
(やっぱり……料理ができる女性が、理想なんだろうな)
喉元まで上がりかけた自嘲を押し込めながら、美咲は小さく笑ってみせた。
「……私は、料理、あまり得意ではないんです」
「そうか。でも、それでも料理するんだね?」
真樹がふと、美咲の目をまっすぐに見た。
「……はい。最近、少しずつ」
「すごいな」
微笑みながら、彼は続けた。
「俺は完全に諦めたからね。料理、苦手すぎて。
それでもう“うまくできないことは、プロに任せよう”って割り切った」
肩をすくめるようにして笑うその姿は、どこまでも自然体だった。
料理が得意かどうかじゃない。
大事なのは、苦手でも自分の手で、自分を整えようとするその気持ち。
そう言われたような気がして、
美咲の胸に、わずかにあたたかさが灯った。