秘めた恋は、焔よりも深く。
店内に入ると、間接照明に照らされた木目調のテーブルと、落ち着いた赤のシート。
ワインボトルが並ぶ棚や、小さなランプがゆれる奥のカウンター。
カジュアルさの中に、どこか温かな華やぎがあった。

「……素敵なお店ですね」

「気に入った? この界隈じゃ、けっこう穴場なんだ」
そう言って、龍之介が奥の静かな二人席を選ぶ。
美咲がメニューを手にすると、彼も自然に覗き込む。

「佐倉さん、食べたいもの選んでいいよ。
……あ、でもひとつだけ条件がある」

「条件?」

「ちゃんと、食べること。今日は、少し痩せたように見えたから」

目が合った瞬間、ドキリとする。
その声音には、冗談めいた軽さと.....ほんのわずかな、心配が滲んでいた。

「……ちゃんと食べますよ。たぶん」

笑って返す美咲に、龍之介も口元をゆるめた。
「ごめん、セクハラ発言になったか?」

美咲は軽く肩をすくめて、茶目っ気たっぷりに言った。
「気にしないでください。心配してくださってありがとうございます。それでは遠慮なく、好きなものを選ばせていただきます。」

ワインを片手に、料理を待ちながら交わすのは、
講演の話や、キャンプでの過去の失敗談。
彼が“ランタンの燃料を間違えて、朝まで真っ暗だった”話に、美咲は思わず吹き出した。

「……黒瀬さんが、そんな失敗を?」

「するさ。意外と抜けてるって言われること、あるんだよ。……ま、言うのは真樹だけどな」

“あいつ”、とは呼ばなかった。けれど、美咲にはそれがわかった。

そしてふと、彼が真剣な目をこちらに向けてきた。
「佐倉さん、笑ってるとき、いい顔するんだな」

「……え?」

「そのまんま。あんまり無理しなくていい」

一瞬、何かを見透かされたようで、美咲は言葉を失った。
けれど、その眼差しに、不思議と嫌な気持ちはなかった。
むしろ、ほんの少し、胸の奥があたたかくなるのを感じた。

化粧室から戻る途中、テーブルに視線を向けた美咲の足が、ふと止まった。

そこには、龍之介と若い女性が向かい合って座っていた。
明るめのブラウンの髪、パールのついたヘアクリップ。
楽しそうに笑いながら、彼の袖を軽く引いて話しかけている。

「ねえ、りゅうちゃん、それってさ……」
そう呼ぶ声に、美咲の心がざわついた。

(……りゅうちゃん?)

彼女はまるで恋人のような距離感で龍之介に接し、
龍之介も、どこか優しい顔でその話に耳を傾けていた。

(……どういう関係?)
彼女の声は甘く、距離は近く、仕草には馴れた親密さがにじんでいた。

(……もしかして、恋人?)

どこかで「ありえない」と思おうとしながら、
胸の奥が、じくりと熱くなる。

美咲が席に戻ろうとしたそのとき、若い女性がふいに気づいたように笑いかけてきた。

「あ、こんにちは。もしかして……彼女さんですか?」

「……え?」

一瞬、言葉が出なかった。

龍之介があわてたように間に入る。
「おい、七海。勝手に決めつけるな」

「えー、だって、こんなオシャレで綺麗な人とご飯してるんだもん。りゅうちゃん、いつの間にそんな素敵な人と……」

「……違う。仕事の人だ」

その言葉に、美咲は少し肩をすくめて会釈をした。
「佐倉と申します。こんばんわ」

「あ、ご挨拶遅れてごめんなさい。七海っていいます。りゅうちゃんの姪なんです。
近くで友達と会ってて、たまたま見かけたから、ちょっとだけ顔出しに来ちゃって……
ごめんなさい、邪魔しちゃいました?」

「いえ……こちらこそ、突然すみません」

「じゃ、りゅうちゃん。また連絡するね〜」

にこやかに手を振って去っていく七海を見送りながら、美咲は知らず知らずに胸を撫で下ろしていた。

(……姪、だったんだ)

安堵と同時に、自分でも気づいていなかった感情が、静かに浮かび上がる。

(あの一瞬、本気で“彼女かもしれない”って思って……)

そんな自分に驚きながらも、美咲はうまくその感情に名前をつけられずにいた。

目の前の龍之介は、少しだけ照れたように口元を歪める。
「……気を使わせしまったな、すまない。」

「いえ。なんだか、微笑ましかったです」

そう言って微笑む自分の声が、ほんの少しだけ震えていることに、美咲だけが気づいていた。
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