秘めた恋は、焔よりも深く。
改札を抜けると、どこか懐かしさを感じさせる街並みが広がっていた。
老舗の和菓子屋、路地に佇む喫茶店、お洒落な花屋。

(……なんとなく、こういう場所に住んでみたいかも)

気づけば、美咲は歩きながら微笑んでいた。
焦らずに、自分の「居場所」を見つけよう。そう思えたのは、久しぶりだった。
歩道を歩いていると、ふと目に留まった。

通りに面した角地に、大きなガラス張りのカフェ。
やわらかな照明と、木の温もりが伝わるインテリア。
店内には、ひとりで読書をしている人や、静かに談笑するカップルの姿もあった。

(……素敵な雰囲気)

お腹が空いてきたこともあり、美咲はそのまま引き寄せられるように、ガラスのドアを押した。

「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」

笑顔で迎えてくれたのは、黒いシャツにベージュのエプロンをつけた男性スタッフだった。
年の頃は30代前半だろうか、物腰は柔らかいが、どこか落ち着いた雰囲気をまとっていた。

「はい。できれば、外が見える席を……」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

案内されたのは、通りに面したカウンター席。ガラス越しに人の流れが見えて、どこか安心感がある。
メニューを受け取りつつ、美咲はふと思い立って、声をかけた。
「あの……このあたり、住みやすいですか?」

男性スタッフは、少し驚いたように目を見開き、すぐに笑顔になった。
「はい。治安は良いですし、交通の便もいいですよ。商店街もありますし、夜も静かです」

「そうなんですね……」

「僕、ここから歩いて10分ほどのところに住んでるんですけど、深夜にジョギングしてても怖いと思ったこと、ないですよ」

「深夜に……ですか?」

「ええ。仕事終わりに走ることが多くて。24時間営業のジムもありますし、夜型でも暮らしやすい街です」

「……なんだか、それ、ちょっと憧れますね。夜に走るなんて、私には無理ですけど」

「最初は僕もそう思ってました。でも、慣れるとけっこう癒やされますよ」

そう言って、にこりと笑うその表情に、美咲も自然と笑みを返していた。

(……なんだか、いい街かもしれない)

ガラスの向こう、灯りに包まれた街並みを眺めながら、美咲はゆっくりとウインナーコーヒーを注文した。
ウインナーコーヒーのやわらかな甘さが口の中に広がり、美咲はふっと目を細めた。
静かに流れるジャズ、ガラス越しの灯り。
心の中に、ほんの少しだけ、今日の疲れがほどけていくのを感じていた。

そのとき。

カラン、と扉のベルが鳴った。

何気なく顔を向けたその先に、見慣れたスーツ姿が立っていた。

「……黒瀬さん?」

小さくつぶやいてしまった声は、店内の静けさに溶け込むようで、彼には届いていないようだった。

彼はまっすぐ、ショーケースの中のケーキを見つめていた。
手にはスマートフォンと、メモのような紙切れ。
スタッフと短く言葉を交わしながら、指差す。

(……私用? まさか……)

驚きと少しの戸惑いが、美咲の胸をかすめた。

やがて、龍之介が会計を終えて振り返る。

そのとき、目が合った。

「……佐倉さん?」

少し驚いたように声をかけられ、美咲は思わず笑みを返す。

「こんばんは。偶然ですね」

「本当に。……いや、俺は頼まれごとで。真樹、社長がケーキを買ってこいって」

「社長が……?」

「今日は奥様にお土産をと。車で待ってるよ、社長らしく」

そう言って苦笑する龍之介の表情に、美咲もふっと笑った。

「相変わらず社長は愛妻家でいらっしゃるんですね」

「……あいつは、根が一途だからな。こういうの、手を抜かない」

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