秘めた恋は、焔よりも深く。
熱燗をちびりと飲んで、ふと美咲が問いかけた。

「……龍之介さん、というお名前は、どなたが付けられたんですか?」

箸を止めた龍之介が、一瞬驚いたように目を細める。
「名前の由来なんて、久しぶりに聞かれたな」

「気になってしまって……すみません、変なことを」

「いや、嬉しいよ」

グラスを置き、彼は少しだけ遠くを眺めるようにして口を開いた。
「名をくれたのは、祖父と祖母だった。
祖母は芥川龍之介に心酔していてな、それで“龍之介”。笑えるだろ?」
苦笑いを浮かべつつも、その声にはどこか懐かしさが滲んでいた。

龍之介はふっと目を細めた。
「でもそこには、ただの趣味だけじゃなくて願いがあったんだ。龍のように強く、真っすぐに生きろってな。
忙しい両親の代わりに、祖父母がずっと俺と姉貴を守ってくれていた。
……この名前を見ると、あの人たちの愛情を思い出すんだ」

少しの沈黙ののち、美咲が柔らかく微笑んだ。
「……素敵ですね」

龍之介の胸の奥に、静かな温かさが広がった。
「なあ、美咲。……おまえの名前は、誰がつけたんだ?」

美咲は少し考えてから、遠い記憶を辿るように口を開いた。
「父、だそうです。私が生まれた日は珍しく都内でも雪が降っていて……病院に歩いてくる途中で、梅が美しく咲いていたのを見たからって。だから“美咲”。……名前負けですよね」

自嘲気味に笑った美咲に、龍之介はすぐさま首を振った。
「いや、名前に負けてなんかいない。雪の日に咲く梅みたいに、強くて、気高くて、ちゃんと美しいよ」

言葉を失った美咲の胸に、静かに熱が広がっていく。

「ということは、二月生まれ?」

「いいえ、三月」

「龍之介さんは?」

「俺も三月なんだ」

「まあ……」

「覚えやすくていいな」

その瞬間、美咲の胸の奥に、ほんのりと温かいものが広がった。
ただの偶然かもしれない。けれど、同じ月に生まれたというだけで、どこか特別な縁で結ばれているような気がする。

龍之介はグラスを持つ手を少し緩め、彼女の横顔を見やった。
「分かち合えるものがあるって、なんだか幸せだな」

あまりにさらりとした口調に、美咲の胸の奥がふっと温かくなる。
その余裕に、逆に心を揺さぶられてしまうのだった。

美咲もふっと微笑んだ。
「……私もそう思います」

その笑みを受け止めながら、龍之介の胸に静かな充足感が満ちていく。


車を降りた龍之介は、美咲と並んで歩き、玄関の前まで送り届けた。
「……今日はありがとう。無事に送れて、安心した」
低い声に、美咲は小さく頷き、鍵を開ける。

「こちらこそ……楽しかったです。おやすみなさい」
そう言って扉を閉めようとした瞬間。

「美咲」
呼び止められ、思わず振り返ったその瞬間、龍之介の腕が彼女を包み込む。
玄関の内側で、強く抱きしめられる。

そして、扉が静かに閉じきる音が響いたと同時に、彼はもう抑えきれなかった。
「……我慢できない」
熱を帯びた囁きとともに、美咲の唇を奪った。

一度触れたら離れられない。
深く、長く、息を奪うほどの口づけ。
彼の熱がすべてを覆い、美咲はただその腕の中で震えながら受け止めるしかなかった。

やがて唇が離れると、
龍之介はわずかに息を弾ませながら、ニタっと笑う。
「……焼き鳥の味がする」

その言葉に、美咲の頬が熱く染まる。
すぐに彼はもう一度、短く唇を重ねた。
「お休み」
低く囁くと、背を向けて静かに去っていく。
閉ざされた玄関に残るのは、余韻の熱と心臓の鼓動だけだった。

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