日ノ本元号男子
広い大広間には、何百枚もの畳が敷き詰められ、そこに座った各藩の代表達の、地鳴りのような怒号と声が飛び交っている。
浦賀(うらが)に黒船が来た。国の方針を今後どうするか話し合いをしよう」
「戦いましょう!」
一人の藩主が、激昂して床を叩きながら声を上げた。
「この神国日本を守る為なら、喜んでこの命、いつでも投げ出しましょうぞ!」
「なんでも、相手国は我が国の開国を求めているとのこと」
「しかし、この要求はあまりにも我が国に不利すぎます!異国の無礼な要求など、叩き斬るべきだ!」

藩主達の切羽詰まった空気に圧倒されながら、視線を正面の人物――江戸くんへ向けた。
彼は膝の上で拳を握りしめ、黙って全員の意見を聞いていた。やがて深く、深く俯き、消え入りそうな声でぽつりと言った。
「……ごめんね」
「は?」
あまりにも予想外の言葉に、藩主達が一斉に顔を上げる。
江戸くんは一度固く目を閉じ、深く深呼吸をしてから、真っ直ぐに一同を見据えた。
「みんなの意見は分かった。……一年、せめて一年は待ってもらう。要求を呑むか呑まないかは、来年まで全国の藩主や朝廷と話し合って決める」
「はぁぁぁぁ!?」
大広間が揺れる程の驚愕の声。
「正気でおられるのか!」
「開国反対!」
「さっきまで完全に『鎖国を続けるぞ、異国なんて追い返せ!』っていう流れでしたよね!?」
​私は言葉を失い、黙ってその成り行きを見守るしかなかった。
もし、私が江戸くんの立場なら、どうしていただろう。
今まで見たことないくらい大きな船で、開国を迫られる。
江戸くんからしたら、今の状況は喉元に冷たい刀の刃を突き付けられているのと同じなのだろう。
「異国に屈してなるものか!武士の誇りはどこへ行った!」
「いや、相手の軍艦の威容を見よ。下手に戦えば、この国は灰になるやもしれん!」
「ならば戦って散るのみ!」
「戦う手段を持たない国民はどうするんだ!」
怒声と悲鳴にも似た意見が交錯する中で、江戸くんは微動だにしなかった。彼の手は、膝の上で固く握りしめられている。
押しつぶされそうな彼の背中を見ていたら、私は思わず声をかけてしまった。
「……江戸くん、本当にそれで良いの?」
「そうだ!君も言ったれ!」
藩主達は私の方を向いた。
江戸くんの瞳が、ゆっくりとこちらを向く。
普段は不器用で人との距離を測りかねている彼の目が、この時ばかりはえらく遠くを見ていた。
「……うん。もう良いんだ」
それでも決意の重みは、十分すぎるほど伝わってきた。
藩主の一人が膝を叩き、江戸くんに詰め寄る。
「それでは我が国の誇りが―――」
「西洋諸国は確かに強くなってきている。その証拠に清が英国に敗れた」
珍しく、江戸くんの低く鋭い声が広間に響き渡った。
一瞬で、大広間の空気が凍りついたように静まり返る。
「……このまま鎖国を続けたら、清国の二の舞になるよ」
その背中が、不思議なくらい小さく見えた。けれど同時に、誰よりも大きな重荷を背負っていることを、痛いほど感じさせた。
広間に再び、困惑のざわめきが戻る。
藩主達は納得できぬまま、しかし、江戸くんの圧倒的な覚悟を(くつがえ)すだけの力も論理も持ち合わせてはいなかった。
「武力衝突を回避し、譲歩(じょうほ)しつつ幕府の意向を伝える。これが幕府の決断だ。この国を絶対に他国に渡さないと国民に約束するよ」
はっきりとした強い決断に、他の藩主達も今度こそ水を打ったように静まり返った。
江戸くんはすかさず、テキパキと指示を出し始める。
「彦根藩は江戸湾の警備を強化してほしい。異国船が再び迫る時、真っ先に備えて」
「はっ!」
彦根藩主が頭を下げる。
続けて、江戸くんは松前(まつまえ)藩に視線を向ける。
「松前藩は蝦夷地(えぞち)の防衛を頼むよ。函館(はこだて)の周辺は荒れ地が多くて防備が薄いから、国民の不安を鎮めて、北から異国の足掛かりを許さないで」
松前藩主は険しい顔をしながらも、深く頷いた。
「承知仕った」
さらに越前(えちぜん)藩にも視線を向けた。
「越前藩は諸国に触れを出し、民心の動揺を抑えてほしい。この先延ばしは屈辱ではなく、国を守るための選択だと伝えて」
「御意」
越前藩主が、膝を進めて答える。
反対の声はなお胸にくすぶっているが、江戸くんの指示が、彼らの背を現実へと押し戻していった。

会議終了後。
「……疲れた」
それぞれの藩主を見送った後、部屋に戻るなり、光の速さで布団に潜り込んだ江戸くん。さっきの威厳はどこへやら、完全に抜け殻だった。
「……清が破れた原因は英国によるアヘンの流行。えっと、英国は蒸気機関などの工業で儲かっている......。仏国(フランス)は情勢が不安定......っと」
布団から頭だけを出し、ブツブツと難しそうな本を読み耽っている。
「何読んでるの?」
「オランダからの風説書(ふうせつがき)
差し出された紙を見ると、そこには英語でも日本語でもない、ミミズが這ったような文字がつらつらと書かれていた。
「……?」
「あぁ……未来では蘭学(らんがく)を習わないんだったね。これはオランダ語だよ」
「オランダ!?」
「完全に外国と関わりを持たなかったらアジアだけじゃなくて、欧州のことも分からなくなるでしょ。だから唯一貿易していたオランダと清に頼んで貿易する時に外国の情報を提出してもらうんだよ」
「あれ? でも歴史の授業で、ポルトガルとも貿易してたって習ったような……?」
私が小首を傾げると、江戸くんは苦い顔をして人差し指をバツ印にした。
「ポルトガルの商船は布教してくるから来航禁止にした。オランダと清は布教目的じゃないからね。そのまま続行」
回想シーン。
江戸時代初期。
―――外国と関わらないで外国情報を得る方法はないのかな……。西洋諸国の最新情報を知れたら防衛にも繋がるし……でも開国したくないし。
筆を取り出すと和紙に殴り書きする。
『オランダ商船より情報を必ず定期的に取り寄せること。ただし、幕府内で管理すること。オランダ船は、海外事情の報告を義務付ける』
回想シーン終了。
「……ということ。分かった?」
「なるほど……?」
つまり、オランダに外国の情報を持ってきて〜ってことだよね。
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