東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
「こっちに座ってくれるか」
「はい、失礼します」
当主の足元の方にいた俺は、ベッドのすぐわきに置かれた一人掛けのチェアに座るように促された。
どんな話をするつもりなのかはわからないが、あまり大きな声で話したくないのだろう。
「今日は、山葵と食事してきたのか?」
「はい」
「驚いただろ」
「はい」
「そうだろ、私もいつも驚かされる」
一体、なんの話だろうか。
当主は、電話の時や、先ほどまでの様子とはまったく異なり、むしろ穏やかに話を始めた。
「山葵は、変わってるだろ」
「はい」
「あの子の前では、嘘や偽りは通じないと思ったほうがいい」
「……それはどういう意味でしょうか」
「私にもわからないが、あの子には……全てを見透かされているような気がするんだ」
もしかしてそれは、“神楽のオッサンはろくでもない”の、あの件と同じような意味だろうか。
わさびには、顔に書いてあった、などと誤魔化されたが。
「私も、そんな風に感じたことがありました。本人に尋ねたら、『顔に書いてあった』と誤魔化されましたが」
「そうか、君も気付いたか───……それもあって、みんな幼いわさびを気味悪がってな……成長するにつれ、山葵は他人と距離を取るようになったんだ。君は、どう思っている? 一緒にいて、平気か? 気味が悪いとか嫌な気分にならないか?」
もしかして、わさびは人の考えていることやそれに近い何かがわかるのだろうか。そうだとすれば、気味悪がられて当然だ。内に秘めた感情を、突然暴かれるのだから。
だとしたら俺はどうだ。
わさびに心を覗かれていたとしたら……
───……別に問題ない。
「……私は、腹芸が苦手でして」
だからこそ俺は、血も涙もない冷徹人間だと言われているのだ。思った事を言われた相手の気持ちなどお構い無しに、口にしてしまうのだから。
もちろん、時と場合はわきまえている。
「そうか、私と一緒だな───……そうか、だから山葵は君に懐いているのかもしれないな」
「懐かれている気など全くしませんが」
「山葵は私以外と、食事はしないんだよ。飲み物を飲むくらいならするがね」
「……え」
「随分前になるが……食べ方について息子の嫁に酷く言われた事があってな……それ以来、人と食事をしたくないと言って、学校でもおにぎりやパンみたいに手に持ってかじるようなものばかりを食べているようだ」
それは、初めて知った。
「私は今日、初めて食事をしました。わさびさんは、メニューを見て、迷いながらも、サバの味噌煮定食に単品のから揚げ、ハンバーグ、山菜うどんにいなり寿司を5つ、ぺろりと食べましたよ」
箸などの使い方がおかしいとは全く思わなかった。サバの食べ方だって、骨などもあっただろうが、綺麗だったと記憶している。
「はははっ! それはまたパワーアップしたな」
「その後、パンケーキの店に連れて行ったら、こんなに大きな二段重ねのパンケーキを二皿、まるで空腹かのように美味しそうに食べていました」
俺は両手で丸を作り、パンケーキの大きさを表した。
「……本当か? それは……さすがに心配になるな。育ち盛りはとうに終わっただろうに」
俺もそう思う。でもわさびはそれでも痩せているくらいだ。胸だけは立派に成長していたが。
「うん……そうか───……紀糸くん、と言ったかな……見ての通り、私はもう長くない。山葵には不自由しないだけの金は遺したつもりだが、私が死んだらそれも息子やその嫁に奪われてしまうかもしれん……念の為、樋浦という弁護士に私の相続と山葵の事を任せてある。神楽の顧問弁護士は義徳に近くて、もう私は信用していない」
「……なぜ、そんな重要な事を私に?」
俺がその樋浦という弁護士について、神楽 義徳に情報を売ったり、密かに近付いて東雲に取り込むとは思わないのだろうか。
「山葵が信用している人間に間違いはない───こんな噂を聞いた事はないか? ……神楽の当主から直接孫を紹介してもらえると、事業が成功する、と……」
「……聞いた事がありますね。私は噂をあまり信じないもので、正直あまり気にしておりませんでしたが」
そんな噂が広まり、みんなこぞって孫に会わせてもらおうと躍起になっていたと聞く。
「あれは、夢香ではない。山葵だ」
「噂は事実だという事でしょうか」
「いや、私は資金援助を行うか悩ましい企業の経営者を山葵に会わせて、わさびの様子を見ていただけだ」
そんなまるで占い師に頼るが如く根拠のない方法をとっていたのか、この人は……
「まぁ、私の中ですでに援助を決めた状態で、最後の最後に安心を得るためにしていただけだがね。だが一度、山葵に救われた事もある───……ゼクティアは、山葵に会わせた後に不安になって、急遽手を引いた企業だ」
「ゼクティアですか? それは、肝が冷えたことでしょうね……」
ゼクティアとは、高級老人ホームなどを展開する企業だったが、経営陣が詐欺容疑で逮捕され、そのまま2,000億近い負債を抱えて、わずか三年足らずで清算に入った。
俺の先輩の企業が資金援助をしており、とんでもない大損失だったと聞く。
「山葵はゼクティアの代表に面と向かって、“わさび、おじさん嫌い”と言ったんだ。笑ったよ」
それは貴方が神楽の当主だから笑えたのだろう。
「後で理由を尋ねたら、“わさびの事、変な名前って言った”と言うんだ。だが彼は、一度もそんな事は口にしていなかった」
「やはり、わさびさんには何か聞こえているのでしょうか……」
「どうだろうな、私はあえて聞くつもりはない。知った所で、山葵は山葵だからな」
詐欺を行う人間だとわかったわけではないだろうが、直感的に何かを感じたのかもしれない。それくらいなら、俺にもある。
「───失礼かもしれませんが、わさび、という名前はどこから?」
「はは、たまに聞かれる。あれの誕生日が8月3日だというのもあるが、徳川家康の門外不出命令を知ってるか? 家康は有東木のわさびを大変気に入って、『他領に種を持ち出すべからず』と命じた逸話がある。私は赤ん坊の山葵を見た時、それくらいに大事にしようと思ったんだ───あの子は、天からの贈り物だ……そんな事、息子にも思わなかったんだがな」
わさびの誕生日は夏なのか。
それから神楽 喜八は、わさびのお爺としてではなく、神楽の当主として、俺に様々な話しをしてくれた。
そして最後に……
「紀糸くん、私があの世に行ったら、わさびを自由にしてやって欲しい。あの子は幼い頃から神楽のせいで十分すぎるほど我慢して苦しんできた……」
金の件で神楽から追い回されるのだとすれば、匿ってやらんことも無いが、それについても、樋浦という弁護士は自分が担うつもりでいるのではないだろうか。
「何もせずとも、彼女は自分で自由に飛び立って行きそうですが。なぜ私にそんなことを? 樋浦という弁護士に頼んでいらっしゃるんですよね」
ここは、はいわかりました、とひと言で済ませるべきなのだろうが、なぜかわからないが、この人には真摯に向き合いたいと思ってしまった。
「山葵はああ見えて、鶴なんだよ……まぁ、後の事は樋浦と話し合ってくれ、君の事は彼に話しておく───それくらい頼まれてくれないか、君は、わさびの婚約者なのだろう?」
鶴……
「……そうですね。私は婚約者としての責任を全うするつもりです」
「そうしてくれ……長々とすまなかったね、最後に君という人間に会って話が出来て良かったよ。なんだか、この世の未練を君に託せた気分だ。私の可愛い孫を頼むぞ」
「そんな事おっしゃらないでください。わさびさんの卒業証書を見ると約束されているのでしょう」
「そうだったな……あの世で見ることになるかもしれんけどな、はははっ!」
───そのわずか数日後……
神楽家5代目当主、神楽 喜八は享年86歳で息を引き取った。