東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
───見合い当日、俺は遅刻することもなく予定通りの時間にいつものホテルのラウンジに足を運んだ。
一番奥の窓際に、振袖姿のそれらしい女がいる。
「失礼、東雲ですが、貴女は神楽家の?」
「……はい、山葵です」
ずいぶんと若い、そして変な名前だ。
最初の印象は、ただそれだけ。
「ご両親は?」
「ご両親はいません」
「仲人は?」
「仲人はいません」
つまり、一人でここに来たと言うのだろうか。
さすがは神楽家とも言うべきか、東雲の息子なんぞに挨拶は不要だ、という事なのだろう。
「では、さっさと見合いを始めて、さっさと終わらせましょう」
「はい。さっさと見合いを始めて、さっさと終わらせましょう」
先ほどから、会話に何か違和感を感じる。
「……」
「……」
いつもは女の方からアレコレと俺を質問攻めにしてくるのだが、目の前の女はまるで興味がないとばかりに、自分で頼んでいたらしいオレンジジュースを、ちびちびとストローで吸っている。
「……」
「……」
飲み終わったら、何か聞いてくるのか、そう思って待つことにした。
「あの、お代わりください」
しかし女は、俺ではなく、サービススタッフに話しかけた。
「わさび、さんと言ったか。今日、ここには何をしに来たかわかっているのか?」
「わさびは今日ここに、東雲 紀糸とお見合いをしに来ました」
「そうだな、オレンジジュースを飲むためではないよな」
「すみません、美味しかったもので」
たかがホテルのラウンジのジュースがおいしいだなんて、神楽家のご令嬢が何を言ってるのか。
「……」
「……」
話が全く進まない。これではいつまでたっても帰れないので、仕方なくこちらから話をすることにした。
「若く見えるが、いくつだ?」
「18歳と五か月です」
18歳……つまりこの女は、いや、少女と言うべきか。俺よりも10歳も下ではないか。
うちの親を筆頭に、一体何を考えてるんだ。こんなガキと見合いをさせるなんて、気が触れたとしか思えない。
「まだ高校生か?」
「はい、星見台高校の三年A組です」
「星見台……俺の出身校じゃないか。頭はそれなりにいいんだな」
「はい、頭はそれなりにいいです。いつもは学年で一番ですが、この前の試験は九条 蓮に一番を譲りました」
星見台で学年一番と言う事は、赤門の現役一発合格も余裕だということだ。それなりどころではない。
「どうして九条家の息子に一番を譲ったんだ?」
「九条 蓮が、絶対に一番を取らなければならない、と切羽詰まっていたからです」
この時期の受験生はみんな切羽詰まっていることだろうが、この少女は違うのだろうか。
「お前は切羽詰まっていないのか? 大学は?」
「わさびは切羽詰まっていません。大学は行きません」
「……?」
何故、星見台の首席で大学に行かないのか……まわりの大人は何をしているのだろう。俺にはまったく理解できない。
「大学に行かずに何をするんだ」
「わさびは東雲 紀糸と結婚して、子供を産みます」
「……」
この時、初めて気づいた。目の前の少女の瞳には、俺など全く映っていない。虚無が広がっている。
まるで、感情の無い人形だ。
「俺と結婚しなければ、どうするんだ?」
「……わさびは、東雲 紀糸と結婚しなければなりません」
「俺が、お前とは結婚しない、と言ったらどうするんだ」
「わさびは、東雲 紀糸に、結婚する、と言わせないといけません」
自分で話を振っておいてなんだが、イライラしてきた。AIでももっと人間らしい返しをしてくるのではないだろうか。
「お前、親に催眠術か洗脳でもされてるのか?」
「わさびは、催眠術も洗脳もされていません。自分の頭で考えて判断しています」
今日のこの変な女が、俺が見合いの席に座り続ける最長記録になるかもしれない。
「なら、どうやって俺に、結婚する、と言わせるつもりなんだ? このままなら俺は、お前みたいな子供と結婚するつもりはないぞ」
大人げない事を言っていると自分でも思う。しかし、なぜだかわからないが、この女の俺を見る人形のような眼が気に入らない。
「……」
少女は少し考えたあと、残りのオレンジジュースを最後まで飲み干し、立ち上がった。
「行きましょう」
一体どこへ向かうつもりなのか、俺の手を引いて、彼女はラウンジを出た。