東雲家の御曹司は、わさびちゃんに首ったけ
「すまない杏奈ちゃん、今日はわさび……オーナーは?」
その週末、仕事のキリが良かったため、いつもより早く、夕方には北海道に到着した。
しかし、家にわさびの姿はない。
せっかくなのでカフェに行き、コーヒーでもと思っただけなのだが、杏奈ちゃんの何か言いたげな視線が気になり、落ち着かない。
つい、話しかけたが、話しのネタはわさびしかない。
「オーナーは樋浦さんと金土日の予定で東京出張に行きました! だから、どうして東雲さんがこちらにいらっしゃったのか謎で……何かサプライズのご相談ですか?! 喜んで!」
「なんだと? 出張?」
───聞いてないぞわさび……俺は留守番するために北海道まで来たのか?
「教えてくれてありがとう、何か入れ違いがあったみたいだ。私も東京に戻るよ」
「えー! あ! ならコレ! もう終わりの時間なので、飛行機で食べてください!」
杏奈ちゃんは店のサンドイッチを包んでくれた。
「ありがとう、またね」
「キャッ! かっこいい!」
───やはり、感情が全部口から出ている……
だからこそ、わさびは彼女を信用したのだろう。
結局、わさびとも樋浦氏とも連絡がとれず、俺は東京にとんぼ返りし、ひとまずマンションへと戻った。
すると……
「あ! 紀糸です! おかえりなさい! どこ行ってたんですか? わさびの指紋認証がそのままでよかったです」
「わさび……」
───こいつめ……呑気なものだな……どうしてくれようか。
「はい、わさびです! 会いたかったです紀糸!」
そう言って無邪気に抱きついてくる彼女の笑顔を見ると、全て忘れてしまいそうになる。最近、間違いなく俺にだけ見せる笑顔が増えた。
「わさび、どうして東京に来ると連絡をよこさなかった? 俺は北海道まで行ってとんぼ返りするはめになったんだぞ」
コレが秘書の失態だったならば、そいつはどこかに異動させていた所だ。
「あ、それで帰ってきた時、少し怒っていたのですか?」
「ああ、考えてみたらお前から連絡がきた事は一度もない。大事な連絡は樋浦氏からばかりだ。メッセージの返事もないしな。既読がつくからいいものを……今回は樋浦氏からも来なかった」
わさびを抱きしめながら、この俺が、女々しくもそんな不満を口にしていた。
「……サプライズをしたかったのです。紀糸の会社に行ったら、帰ったと言われて、わさびはマンションに来ました」
「さ……サプライズ? だと?」
───杏奈ちゃんに影響されたのかっわさび!
まさか、わさびがそんな可愛い事を考えるとは夢にも思っていなかった。
「そうだったのか……今日は仕事が早く済んだんだ。連絡しなかった俺も悪いな……わさびは絶対にノーザンにいると思っていた俺のミスだ」
「紀糸……真面目ですか」
つい、仕事のように事務的に口にしてしまった。
「紀糸にはごめんなさいですが、わさびは楽しかったです。紀糸がビックリする顔を想像したら、ずっと楽しかったです」
「───っ……」
───可愛い……どうしてこんなに可愛いのか、わさびという生命体はっ!
「紀糸、ご飯は食べましたか?」
「ああ、杏奈ちゃんがカフェのサンドイッチをくれてな。飛行機で食べたよ。わさびは樋浦氏と食べてきたか?」
「足りましたか? わさびはお腹がペコペコです」
時計を見ればすでに8時をまわっている。
今から食べに出るのもな、と思い……
「何か届けてもらうか」
「オーバーイーツですか?! わさび、初めてです!」
「俺も初めてだ……」
「え……」
その後、二人でサイトを見ながら、なんとか注文することに成功し、まるでパーティーでもするのかという大量の食料が届けられた。
しかし、美味しそうに食べるわさびを見ていると、今日の不毛な行き来も、全てどうでもよくなる。
「ほら、口のまわりについてるぞ」
「とってください」
───幸せって、こうゆう事か?