石楠花の恋路

第一篇の四:手紙

暑い夏が通り過ぎ、屋敷の向かいの果樹園は大きく円い実を付けた葡萄の香る季節となった。 燦々と窓から降り注いでいた陽光は少しずつ和らぎ、町を取り囲む山々は少しずつ色を変えている。果樹園で摘まれた葡萄は醸造所へと運ばれ、ワインの仕込みが始まる。豊穣の季節のこの地は少しずつ活気付いていた。
「まあ……!これは……あの果樹園から?」
「はあ、丁度今年の収穫の時期だそうで、先日お裾分けをいただきましたので」
屋敷の食卓にも黄緑の宝石のような果実が並び、その粒を眺める客人の瞳も朗らかに見える。この地の名を冠した果実を一口含めば、すっきりとした中に重厚さのある果汁が溢れ出てくる。
幸枝は相変わらずこののんびりとした町でゆっくりと流れる時を過ごしていた。父から届く手紙を読んで返事をする傍らで本を読んだり、絵を描いたり、裏庭の花を愛でたりして過ごしていたのだが、丁度葡萄の収穫を終えた頃には厳しい冬を手前にして寒さが増してきていた。秋になると甲府での祭りに使用人らと出向き、特別に暇の出た娘たちとサーカスや映画を観た。夏から冬にかけて、やはり父からは毎月手紙が届いていたが、正博からの手紙は入っていたり、入っていなかったりであった。幸枝はややそのことを心配していたのだが、やはり戦局が厳しくなり海軍も忙しくなったのだろうと考えて気にしないようにしていた。
封筒が幸枝の手元に届いたのは年の瀬の頃、差出人はあの海軍士官である。宛名の筆跡を見た幸枝は、使用人からそれを受け取るとすぐに封を解き便箋を開いた。
< 49 / 115 >

この作品をシェア

pagetop