石楠花の恋路
新宿に着いたのは、昼下がりの頃である。
先にホームへ降りた正博の⼿を取って東京の地に降り⽴った幸枝は、⼀度辺りを⾒回した。
列⾞から降りて改札⼝へと向かう⼈々の⾜⾳よりも遠いところから、軽やかな笑い声や英語の話し声が聞こえる。その声の主は、⽶国から⽇本へやって来た進駐軍であった。
「幸枝さん、⾏こう」
正博に⼿を引かれたので、幸枝は彼らと反対⽅向に歩き出した。 改札で切符を⼿渡し出た先は、 想像もつかないほどに破壊されていた。 ⼤通りにあった百貨店は煤が付いたまま建っているようで、他の建物がもとあったところはすべて以前のような華やかさは消え失せている。いくつかの店はかろうじて残っているようであったが、どこもかしこも、 以前のような姿ではなかった。
激烈な戦禍からは程遠い穏やかなところで戦時を過ごした幸枝にとっては、⽬前に広がる光景はあまりにも酷なものであった。 ラジオで聞いた話よりも、 新聞で⾒た写真よりも、それらとは⽐べ物にならないほどに⽣々しい敵軍の落とした爆弾の⽖痕がいくらでも残っている。つい背筋が凍るような気がして⼤きく⾒開いた(まなこ)に次々と⾶び込んでくる新宿の様⼦は、幸枝を戦慄させた。⼀⽅の正博も隣で硬直する幸枝を⾒て彼⼥の思うところを窺い知る。旅⾏鞄を⾜下(あしもと)に置いた正博は、幸枝の⼿を取って尋ねた。
「御家族を探しに⾏こう、先ずは⽇本橋へ」
幸枝は俯いている。どこからか聞こえるアコーディオンの音色がより悲壮を思わせるが、男はもう一声掛けた。
「⾦は⼗分⾜りる、都電が出ているからそれに乗って⾏こう」
頑なに動こうとしない幸枝を⾒て、正博は溜息を吐く。
「どうした、幸枝さん」
< 92 / 115 >

この作品をシェア

pagetop