まだ君は知らない、君の歌



 放課後の教室は、窓から差し込む西日で、どこか静かに輝いていた。

 私は一人で黒板を消していた。日直だから仕方ない。
 むしろ誰もいない教室は、静かで落ち着く。

 窓の外では、吹奏楽部が練習している。トランペットとサックスと、打楽器の音が遠くから聞こえきた。

(この音、知ってる曲だ)

 最近流行りの曲だ。テレビやSNSでもよく使われている。
 気づけば、私は自然に口ずさんでいた。誰もいないからいいだろうと思っていたし、自分がそんなに大きな声を出しているとも思っていなかった。

 ──だから。


「……その声、君?」


 突然、背後から声をかけられた時、心臓が跳ねた。

 振り返ると、教室の入り口に男の子が立っている。
 見たことがある顔。いや、学校中の女子が知っている顔。

 ギターケースを肩にかけた、学校で有名な“軽音部の天才”。片桐奏良(かたぎり そら )

 軽音部のギタリストで、作曲もできる天才。イケメンで有名な人。
 普段は柔らかくて優しげで、女子の話題にいつも出てくる人。
 同じクラスだけれど、当然話したことは一度もない。話せるわけがない。

 その人が──私のことを見ている。


「……え?」


 それ以上、声が出なかった。


「今……歌ってた?」


 そう言って、彼は歩いてきた。近くで見ると本当に綺麗な顔だった。
 優しい声なのに、なぜか綺麗な黒髪の間から覗く目だけが真剣で。

 私は何も答えられず、ただ首を横に振る。

 いや、違う。逃げなきゃ。
 誰かに聴かれるなんて恥ずかしい。

 顔に熱が集まっていくのが自分でも分かった。


「……待って」


 走り出そうとした私を、彼は腕を伸ばして止めた。
 掴まれるかと思ったけれど、触れられることはなく。ただ、目の前に立たれた。


「お願い。逃げないで。一度だけ、話を聞いて」

「……」


 逃げられなかった。怖いのに。動けなかった。


「さっきの声……君なの?」


 私は何か言おうとしたけれど、声にならない。私は、やっとの思いで小さく頷く。

 彼は、安心したように笑った。
 そして、まるで何かを見つけたみたいに言う。


「……やっと、見つけた」

「え……?」

「俺の運命の人。ずっと探してたんだ」

「ひぁえ!?」


 ──意味が分からない。
 何を言われているのか分からなかった。ただ、心臓が怖いくらい速くなっているのだけは分かった。
 息が苦しい。顔が熱い!

 でも、この人は本気でそう言っている。

 彼は、少しだけ言葉を選ぶようにして──それでもまっすぐに、私の目を見て言った。


「──君が欲しい」

「!?!!?!?!」

「どうしても、君じゃないと駄目なんだ」

「な、なんで……そんな……」


 まるで少女漫画みたいな。あまりにも熱烈すぎる台詞の連続に、やっと出た声は震えていた。


「……理想、だった」

「……え?」

「君の声。……俺がずっと探してた音だ」

「こ、声……?」

「そう。君の声が……俺の理想だったんだ」


 目の前の彼は、まるで夢を見るみたいな顔で、静かにそう告げる。
 それは冗談とか、ふざけている感じでは全然なくて、むしろ真剣すぎて怖いくらいだった。

 私は息を呑んだまま、動けなかった。


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