―待ち合わせは、                   名前を忘れた恋の先で―

第4章|君といた夏

夏休み目前。
生徒たちの制服が少しずつ夏服に移り変わっていくころ、
私は放課後の図書室で、日課の整理をしていた。

 

「……よう、まだいたの?」

顔を上げると、入口に立っていたのは高瀬くんだった。

「忘れ物、取りに来ただけ」

そう言いながら、彼は棚に寄って数冊の本を眺める。
その手元を見た私は、思わず声を出した。

「それ、全部小説だよ」

「だよな。……でも、おまえが読んでるのって、こういうのだろ?」

どこか気まずそうに笑った顔に、胸の奥がきゅっとなる。

 

その日の帰り道、たまたま彼と駅までの道が一緒になった。

「……ねぇ、高瀬くんって、普段どんな本読むの?」

「本? ほとんど読まねーよ。野球漬けの毎日だし」

「じゃあ、なんでさっきの?」

「……あー、それは、その」

しばらく沈黙のあと、彼は小さく口にした。

「おまえと話したいから、ちょっと頑張ってみた」

 

心臓が跳ねた。
不意に、胸の奥に灯がともるような感覚が広がる。

「……じゃあさ」

そう言って、高瀬くんが少し照れたように笑った。

「今日は、一緒に帰ろう?」

 

頷いた私は、彼と並んで歩き出した。
夏の夕陽が落ちかけた道を、ゆっくり歩いていく。
ほとんど話さなかったけれど、沈黙は心地よかった。

やがて訪れた分かれ道。
「じゃあ、またね」と手を振って、私はひとり歩き出す。

 

その数秒後だった。

「……おい、待って!」

後ろから走ってくる足音に振り返ると、
高瀬くんが息を切らしながら近づいてくる。

「ど、どうしたの?」

聞き終えるよりも早く、彼の手が私の腕をつかんだ。

「……おれ、ずっと言いたかった」

 

夕暮れの光の中、真剣な目で見つめられる。
鼓動が早くなって、呼吸の仕方を忘れそうになる。

「おれと付き合って」

 

その言葉は、まっすぐで、不器用で、あたたかかった。

私はしばらく黙ったまま、彼を見つめ、
そして、そっと頷いた。

「……うん」

 

だけど。

「これ、秘密にしてていい?」

そのあとの私の言葉に、彼はほんの少しだけ目を見開いて、
すぐに、ふっと息を抜いた。

「いいよ。誰にも言わない。俺たちだけの秘密な」

 

こうして、ふたりの“秘密の交際”が始まった。
誰にも言えない関係。
それでも、夏が来るのが少し楽しみになる──そんな日々の始まりだった。

< 5 / 21 >

この作品をシェア

pagetop