陽だまりのエール

***

「Dr.シオイリ。オペ、お願いします」
俺が医局で待機していると、ドアが開き、看護師が顔を覗かせた。
「ああ……はい」
俺は壁の時計を時間を確認してから、読んでいた雑誌をテーブルに置いて立ち上がる。
白衣を羽織っていると、看護師が中に入ってきて、俺が読んでいた雑誌に目を落とした。
そして。
「あら。医学誌かと思ったら……違うんですね。日本語の……なんの雑誌ですか?」
「経済誌だよ。日本の最新情報が載ってる」
首を傾げる彼女に、俺はそう答えた。
「なるほど……あ、そうか」
看護師は納得した様子で頷く。
「シオイリ先生、来週には帰国するんですもんね。ここでのオペは、今日が最後……」
「ああ。四年間、お世話になりました」
俺は白衣の襟を直しながら、そう言って笑った。
彼女は、「こちらこそ」と頭を下げ……。
「四年……短かったですね。寂しいです」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
俺はそう返事をして、顔を綻ばせる。
ロンドンに赴任して四年……最初は慣れない海外医療に戸惑ったが、精一杯、がむしゃらに励んできた。
日本では機会がなかった珍しい症例や、高度な技術を要する難関オペにも巡り合い、助手に入って知識と経験を積んできた。
この一年半では、執刀医として何度となくメスを握った。
オペ室チームのメンバーに『寂しい』と言ってもらえるのは、この大学病院の心臓外科医局で、俺も戦力として認めてもらえたから。
そう考えていいだろう。
晴れやかな気分で、医局を出る。
「帰国前に、今の日本の勉強ですか?」 
看護師は、俺の後に続きながら、もう一度雑誌を振り返っていた。
「……まあ、そんなとこ」
廊下を先に進みつつ、俺はひょいと肩を動かした。
「へえ……どんなことが書いてあるんですか?」
質問されて、肩越しに彼女を見遣る。
「経済に関わることだよ。物価事情とか……どこかの会社が出した新製品のこととか……」
答えながら、俺は直前まで読んでいた記事を思い浮かべた。
そこには、四年前にヨーロッパの老舗玩具メーカーと提携した、日本の中堅メーカーの新商品について、開発者のインタビューが掲載されていた。
開発プロジェクトのチーフとしてインタビューに答えていたのは紬だった。
『陽希、次の商品のチーフ、私に任せてもらえたの! 見てて、今まで以上のもの、ロンドンにも届けるから!』
紬から定期的にメールをもらっていたから、今回の記事を見ても驚きはしなかった。
しかし、一緒に載っていた写真には目を瞠った。
プレス用ではあるだろうが、大人びた顔で、随分と立派になっていた。
プロジェクト発足から三つの商品を世に送り出し、そのどれもヒットさせている。
その自信が満ち溢れた、いい顔をしていたーー。
「あの時のプロポーズは、失敗して成功だったってことだよな」
「え?」
「……いや」
日本語の呟きに聞き返され、かぶりを振って打ち消す。
「それでは……ロンドン最後のオペも、期待してます」
オペ室に到着すると、看護師はそう言って先に中へ入って行った。
俺は彼女に礼を告げて、準備室に入る。
ロッカーの前に立ち、白衣を脱いだ。
ブルーのオペ着に着替えて、ふと、スラックスのポケットに手を突っ込む。
そこから、小さなジュエリーケースを取り出した。
蓋を開けると、台座に収まったダイヤのリングがキラリと光を放つ。
ーー二度目の俺のプロポーズを、紬は受け入れてくれるだろうか……?
立派になり、綺麗になった彼女を見ると、ほんの少し不安も広がる。
俺はジッと指輪を見つめてから、パタンと蓋を閉じた。
この四年間で成長したのは、紬だけじゃない。
俺だって彼女に負けないくらい立派になれたはずだーー。
四年前の失敗と別れを乗り越えてここまで来た、その自信があるから胸を張れる。
「よし。……最後の大仕事だ」
自分を鼓舞して、ジュエリーケースをポケットに収めた。
姿見に自分を映し、キャップとマスクを着ける。
最後にグローブを嵌め、両手を胸の高さに上げオペ室に入った。
「お願いします」
手術台の前に立ち、すでに準備万端のスタッフたちに目配せをする。
皆が揃って首を縦に振るのを見てーー。
「開胸します。メス」
俺の合図で、ロンドン最後の大仕事が始まった。
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