陽だまりのエール
そして迎えた陽希の渡英当日ーー。
「それじゃ……あと、頼んだよ」
成田空港まで見送りに来た私の頭に、陽希はポンと手を置いた。
「仕事忙しくても、コンビニ弁当ばかりじゃダメだよ。せめて週末くらいはちゃんと自炊するように」
「もーっ! 陽希、私、今までだってそんな荒んだ生活してないよ」
自分の旅立ちだというのに、まるで保護者のように私を心配する彼に呆れて、私は頬を膨らませた。
「それは俺がいたからだろ。これからはあの家で一人なんだから……あ。使ってない部屋も、たまには掃除して。あっという間に埃だらけになるから。それと……」
言ってるそばから、次から次へと思い出す限り言いつける彼に、私は遠慮なくうんざりした顔をして見せた。
「まあまあ、陽希! 紬のお目付け役は、私に任せて!」
それまで黙って見守ってくれていた沙優が、見かねて割って入ってくれた。
彼女はシェアメイト時代から一番のしっかり者だったから、陽希が向ける信頼は大きい。
「そ? じゃあ、沙優に任せるよ」
「ラジャー!」
「ちょっ……陽希っ!」
あっさりと頷く陽希に、私は完全にむくれてしまった。
それを見て、二人が笑い転げる。
「もー……」
私が不満に声をあげた時、空港のアナウンスがかかった」
「ロンドン行き、JAK102便にご搭乗のお客様は……」
これが最終案内だ。
頭上を仰いでいた陽希が、肩の荷物を掛け直す。
「じゃ……行ってきます」
「……うん」
とうとう迎えた別れの時に、私はちょっぴり声を詰まらせた。
思わず鼻を啜った私の横から、沙優が一歩踏み出して陽希に近づく。
「ほんとに、紬のことは任せてね。変な虫つかないように、よーっく見張っておくから」
「はは……」
「ちょっと沙優……聞こえてるけど」
これ見よがしに耳打ちする沙優に、私はムスッとしてツッコんだ。
沙優は悪戯っぽく舌を出し、陽希から離れる。
「頼んだよ」
陽希は苦笑寄りの笑顔を浮かべると、私と沙優、どちらにかわからない言葉を口にして、ゲートに向かって歩き出した。
「あ……! い、行ってらっしゃい!」
私は一歩前に出て、彼の背中に声をかけた。
陽希は応えるように高く手を上げて、そのまま見えなくなった。
それでも私と沙優は、黙ってその場に佇んでいた。
どうしても胸に広がる寂しさをなんとか吹っ切って、
「さ、展望デッキ、行こうか」
明るい声で、沙優を促す。
「うん」
彼女は頷いて、私の後に着いてきたけれど……。
「ぶっちゃけ、ちょっと意外だったわよ。紬、陽希と一緒に行くもんだと思ってたから」
エレベーターに乗り込むと、腕を組んでそう言った。
「本当に、これでよかったの?」
私は彼女に視線を動かし……。
「……うん」
否定せず、短く頷く。
「陽希にもういいよって言われてみて、初めて気づいたの。私、最初から、陽希と一緒に行くことを念頭に考えてたんだなあって」
「ちょっと……じゃあなんで、残るって結論になったのよ? 見送っちゃってよかったの?」
沙優はちょっと解せない様子で、顔をしかめる。
「陽希を選ぶと、私は手放さなきゃいけないものが多すぎた。それで追い詰められちゃったんだよね」
思い出すほど情けなくて、私は彼女に苦笑してみせた。
「そんな状態で陽希を選んで一緒に行っても、きっとダメになってた。きっと、陽希は全部見抜いてたから、私を解放してくれたんじゃないかな……」
一度口を噤んで、階数のデジタル表示をじっと見つめ……。
「今の私と陽希じゃ、きっとうまくいかない。だから、これが正解なの」
「……そっか」
私をじっと見つめていた沙優も、短い相槌を打って頷いてくれた。
「それに……今より何年後かの方が、陽希に似合う私になってるんじゃないかって、そう思ったんだよね」
「は?」
ボソッと付け加えたせいで、沙優にははっきりと聞こえなかったようだ。
「なんでもない」
私は小さく肩を竦め、ふふっと笑って誤魔化した。
そして、理由はもう一つーー。
「未来の楽しみが増えたんだ。絶対また会う、そう決めてるから」
強く強く信じる気持ち。
それさえあれば、確かな関係ではない私と陽希にも、きっと未来が開かれる。
ロンドンに向かってたなびく飛行機雲が滲んで消えるまで、私は見送り続けた。
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