深緑の花婿

覗きは止めろっ!!

 梅が咲く季節が過ぎ、皇国(こうこく)に春がやって来た。時より風はまだ冷たいが、温かい日光のおかげで、空気は心地良いぐらいポカポカとしている。
 木々の近くに行くと、「ホーホケキョ……」と軽やかに鳴く(うぐいす)も見かけることができる。



 大雨、もしくは春らしい強風が吹かない限り、コノハは必ず弓の訓練場に向かっている。業務を終えると、コノハは弓の訓練場まで行き、鍛錬に励んでいるようだ。

 盗賊(とうぞく)等の悪人が皇宮(こうぐう)に忍び込まない限り、コノハが実際に弓を使う機会は全く無いらしい。
 日頃に鍛練をしなければ、弓矢を使う際の感覚や素晴らしい能力が無くなってしまうため、コノハは弓の鍛錬を忘れることはしないのだ。

 まあ、コノハの神懸(かみが)かり的な腕前もあるが、長年に渡って建比古(たけひこ)が築き上げた非常に優秀な近衛兵団も、皇宮の防犯対策にひと役買っているそうだ。
 皇宮の『鉄壁』の(ごと)き護りは、篤比古(あつひこ)への建比古の深い想いで成り立っている。



 晴天が続いていたある日、夕方にコノハが弓の訓練場に居る時、建比古がまた彼女の鍛練を見に来たようだ。
 コノハが的に刺さった矢を抜いて、休憩用の長椅子(ながいす)に座ろうとした時、ちょうど建比古が訓練場の中に入ってきた。

「相変わらず鍛練に精が出ているな。ほぼ毎日だから、すごく感心している」

「ありがとうございます」

「そうだった、これから休憩するんだな? 立ちっぱなしにして悪かった。……座ってくれ」

 コノハが長椅子に腰かけると、建比古も彼女の横に座った。……と、建比古が自分の髪をじっと見つめていることに、コノハは気が付いた。

「……今日は何か、髪型が違うな??」

「ちょっと遅く起きてしまって……。彩女(あやめ)さんから杏油をお借りしても、なかなかうまくまとまらなかったんですっ。手抜きしました、あははは……」

 コノハは苦笑いをしながら、麻紐で後ろ髪をひとつ結びにした経由を話した。
 すると、今度はコノハの顔面に建比古は顔を近づけてきたようだ。あっという間に、建比古の顔が移動していたことに、コノハは驚いた。

 互いの鼻がくっつきそうな距離まで来た時、建比古は自分の顔を動かすの止めた。
 それは――

「おい、見てみろ。あの〈荒獅子(あらじし)〉が、女の子に懐いているぞっ!」

「てかっ、奥さん……結構カワイイじゃんっ!! 十歳以上……、年下の子を捕えるなんて、さすがは猛獣の所業(しょぎょう)だな。あんな凶暴な人を扱えるのなら、目つき鋭い気が強そーな美人かなぁ、と思ってたし」

「だ~よ~なぁ~。って、お前の妄想と違って、大人しそうな子だな。魚成(うおなり)……、お前の好みに近かったりして?」

「ま~ね……、予想外だったぁー。それにしても(うらや)ましいなぁ、鬼教か――」


「ゴラァ! 貴様らっ!!」

 訓練場の外、(さく)の隙間からこっそりと(のぞ)いている近衛兵らしき三人組の気配を感じ、建比古は突然、その場で大声を出した。

 コノハから渋々離れた後、建比古は大股で急いで訓練場の出入り口に行った。出入り口の引き戸を勢いよく開けると、彼は若い近衛兵たちの方に体を向けたようだ。
 建比古は、完全に怒りに満ちていた。

「……覗きとは、いー度胸だな……? 『鬼教官』って言ったのは、魚成……か??」

「いやっ……。あ……、それ、は――」

 『魚成』と呼ばれた小柄で細身の青年は、ものすごくビクッとして、思わず言葉を(にご)らせた。魚成だけでなく、他の近衛兵たちも顔を青白くさせて、完全に震え上がっている。

 そして、建比古は彼らに追い打ちをかけるように声を張り上げて、こう言った。

「貴様ら全員っ、今から即行で特訓をして来いっ!! 腹筋を六十回、背筋を五十回、さらに腕立て伏せを八十回っ! その後は、衛士府(えじふ)の外周を二十周走れっ!
 通例通り、拒否権は無しだ。分かったかっ!?」

「「「はいいぃぃぃ!!」」」

 建比古は通路で仁王立ちで両腕を組み、眉間(みけん)に濃い(しわ)を寄せている。今にも()い殺そうかという目で近衛兵たちを凝視している姿は、威圧感がすご過ぎて、とても恐ろしい……。

 鬼の形相(ぎょうそう)になっている建比古に気圧されながら、近衛兵たちは必死で筋肉づくりの特訓を始めた。
 近衛兵たちの真剣な様子を見て、コノハは彼らを気の毒に思っていたようだ。

(……うん、あーゆー雰囲気やったから、めっちゃ恥ずかしかったけど……。けど同情しちゃうなぁー。本当にご愁傷様(しゅうしょうさま)です)



 弓の鍛錬を終えた後、コノハは一旦自室には戻らず、そのまま建比古の執務室で夕食を食べる予定になった。

 建比古の執務室に行く前、コノハは衛士府の(かわや)に駆け込んだ。夕方のひんやりとした風のせいか、彼女は体が冷えていたようだ。
 と、コノハが厠から出た時、建物の外から弓の訓練場で見かけた近衛兵の三人組が居た。

「よしっ、あと一周だっ!!」

 開けた場所に立っていた建比古に(うなが)されて、近衛兵たちはヘロヘロになりながら、何とか走りを続けようとしていたようだ。

 そんな彼らの懸命な姿を見て、コノハは切ない気持ちにもなったが、姉のような優しい顔を彼らに向けていたのだった。
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