深緑の花婿
永い夜
初夏が過ぎると、皇国は長雨の季節に入った。
その時期になると、あちらこちらの木々の葉の色が、次第に深みを増してくる。
最近は、コノハは彩女の事務の手伝いも多くなってきたようだ。
必死に筆を使う練習と、文字を覚えて書く訓練をしたおかげか、コノハは何とか一から十までの数字と、自分の名前を書けるようになった。
しかし、雨が降る日が多いと、コノハは野外の訓練場で伸び伸びと鍛錬ができなかった。体を動かす機会が減ると、彼女は何となく暗い気持ちになりそうだな、と感じているらしい。
建比古との夕食でも、コノハはいつもよりは元気が無いようだ。
静かな執務室では、屋根や外壁に雨が繰り返し打ちつける音がよく聞こえてきた。
「……すごい雨ですね」
「そうだな……。そのせいで俺の寝室、雨漏りしちまってな。此処の隣が寝室なんだ。さっき緊急で、宮内省の職人が見に来てくれた。
……まあ、寝台の真上とかじゃなくて、部屋の角の辺だったから、まだマシか。けど、雨粒が落ちる音が聞こえてくるから、寝られるかは分かんねーな……」
「じゃあ……。寝る時は、別の部屋を使われるのですか?」
「そーだな。でも、何処か使うのかは、まだ迷っている。客間はちょっと遠いしな……。近衛兵の寮も空きがあるが、ちょっとな――」
温かい茶を飲みながら、しばらくの間、建比古は考え込んでいたようだ。……と、器の中の茶を飲みきった後、建比古は急にたどたどしい話し方に変わったようだ。
「……コ、ノハ……。とりあえず今日は、お……お前の部屋で、ね、寝させて貰うのは、駄目、か……?」
「え、あ……。ええっ!?」
「い……嫌、か……??」
建比古に猫のような潤んだ目で、覇気が無い弱々しい声でそう問われ、コノハは拒否をする理由が見つからなかった。
しかし、白人と彩女だけでなく、自分の両親も同じ部屋で就寝しているので、夫婦が添い寝するのは不自然なことではないのは、コノハはもちろん理解している。
普段とは違う状況に戸惑いはあったが、一日の中で、愛する人と少しでも長く過ごせる時間が増えるのは良いことであると、コノハは思った。
「分……かりましたっ!! 彩女さんに相談して、お布団をもう一つ借りれるか聞いてみますね!」
その日の夜。コノハが浴場から戻って来て間もない時、建比古はコノハの寝室にやって来た。
「……入るぞ」
寝巻きを着たコノハが机の前で正座していると、突然、建比古が部屋の中に入ってきたので、コノハは心臓が止まりそうなくらい驚いたようだ。痺れていた両足を何とか動かして、彼女は焦った様子で立ち上がった。
「すみません、建比古さまっ!! 彩女さんに聞いたら、一人用の布団も二倍のものも、全く予備がないみたいでっ。……いっ、たぁ~」
雨の日が続けば、洗濯した分厚い布団が乾かなくて当然だろう。予備の物が無いのは、おかしなことではない。
千鳥足のような不安定な足踏みをしながら、コノハは足の痺れを緩和させようとしている。そうして挙動不審のまま、建比古に向かって再び話しかけた。
「建比古さまは、この布団を使ってくださいね! 汗臭かったらゴメンナサイ……。
……あっ!! 茣蓙があったら使えるかも! ちょっと聞いてきますっ」
「行かなくていい」
すると、コノハがふらつきそうになりながらも前に一歩踏み出す直前、建比古はコノハの片腕の手首を掴んだ。
「一緒の布団を使えばいーだろ?」
胡座をかいて布団に座った建比古に引き寄せられ、コノハはそのまま建比古の前に座ったらしい。
建比古はコノハの後ろ髪に触れると、自分の顔の傍まで寄せた。
「相変わらず硬直し過ぎているな。……ああ、目が蒸せそーだから、眼帯は机に置かせてもらうぞ」
眼帯を取った建比古はコノハをまた抱き締めて、彼女の髪を優しく撫でた。
「たっ、た……建比古さまっ。この体勢では、さすがに狭いかもですっ!」
「そうか?? けど、今夜だけでもずっと、お前と離れなくないんだ。……夕食の時だけじゃ物足りねーしな」
(んなこと言われても、対応が全く分からんっ!! ああぁぁぁ~、失神しそーっ!)
そのように、コノハは心の中で叫んでいたようだ。茹で上がった蛸の如く、顔以外の場所まで赤くなっているんじゃないかと思う程、彼女は体の隅から隅まで熱くなっていた。
「なら、お前の後ろに行くか。……コノハ」
コノハの片頬に建比古の手が触れた瞬間、コノハは自然と建比古に近づいていた。コノハが気付いた時には、互いに唇を重ねていたようだ。
一旦コノハから離れると、建比古はコノハの背後に移動して、コノハを両腕で優しく包んだ。
建比古に触れられると、コノハは心が休まるように感じた。自分の体に籠もっていた熱も徐々に抜けていく気もする。彼女はぎこちない様子で、建比古の両腕に自分の両手を添えたようだ。
「……なあ。もし、明日までに寝室の雨漏りが治らなかったら、また此処に来てもいーか?」
「はいっ……。どうぞ、来てください」
二人は就寝前の挨拶をすると、とても幸せな気持ちで静かに目を閉じた。
夜の深い闇が少しずつ少しずつ迫っていき、ゆっくりと安らぎの時間が過ぎていくのだった。
その時期になると、あちらこちらの木々の葉の色が、次第に深みを増してくる。
最近は、コノハは彩女の事務の手伝いも多くなってきたようだ。
必死に筆を使う練習と、文字を覚えて書く訓練をしたおかげか、コノハは何とか一から十までの数字と、自分の名前を書けるようになった。
しかし、雨が降る日が多いと、コノハは野外の訓練場で伸び伸びと鍛錬ができなかった。体を動かす機会が減ると、彼女は何となく暗い気持ちになりそうだな、と感じているらしい。
建比古との夕食でも、コノハはいつもよりは元気が無いようだ。
静かな執務室では、屋根や外壁に雨が繰り返し打ちつける音がよく聞こえてきた。
「……すごい雨ですね」
「そうだな……。そのせいで俺の寝室、雨漏りしちまってな。此処の隣が寝室なんだ。さっき緊急で、宮内省の職人が見に来てくれた。
……まあ、寝台の真上とかじゃなくて、部屋の角の辺だったから、まだマシか。けど、雨粒が落ちる音が聞こえてくるから、寝られるかは分かんねーな……」
「じゃあ……。寝る時は、別の部屋を使われるのですか?」
「そーだな。でも、何処か使うのかは、まだ迷っている。客間はちょっと遠いしな……。近衛兵の寮も空きがあるが、ちょっとな――」
温かい茶を飲みながら、しばらくの間、建比古は考え込んでいたようだ。……と、器の中の茶を飲みきった後、建比古は急にたどたどしい話し方に変わったようだ。
「……コ、ノハ……。とりあえず今日は、お……お前の部屋で、ね、寝させて貰うのは、駄目、か……?」
「え、あ……。ええっ!?」
「い……嫌、か……??」
建比古に猫のような潤んだ目で、覇気が無い弱々しい声でそう問われ、コノハは拒否をする理由が見つからなかった。
しかし、白人と彩女だけでなく、自分の両親も同じ部屋で就寝しているので、夫婦が添い寝するのは不自然なことではないのは、コノハはもちろん理解している。
普段とは違う状況に戸惑いはあったが、一日の中で、愛する人と少しでも長く過ごせる時間が増えるのは良いことであると、コノハは思った。
「分……かりましたっ!! 彩女さんに相談して、お布団をもう一つ借りれるか聞いてみますね!」
その日の夜。コノハが浴場から戻って来て間もない時、建比古はコノハの寝室にやって来た。
「……入るぞ」
寝巻きを着たコノハが机の前で正座していると、突然、建比古が部屋の中に入ってきたので、コノハは心臓が止まりそうなくらい驚いたようだ。痺れていた両足を何とか動かして、彼女は焦った様子で立ち上がった。
「すみません、建比古さまっ!! 彩女さんに聞いたら、一人用の布団も二倍のものも、全く予備がないみたいでっ。……いっ、たぁ~」
雨の日が続けば、洗濯した分厚い布団が乾かなくて当然だろう。予備の物が無いのは、おかしなことではない。
千鳥足のような不安定な足踏みをしながら、コノハは足の痺れを緩和させようとしている。そうして挙動不審のまま、建比古に向かって再び話しかけた。
「建比古さまは、この布団を使ってくださいね! 汗臭かったらゴメンナサイ……。
……あっ!! 茣蓙があったら使えるかも! ちょっと聞いてきますっ」
「行かなくていい」
すると、コノハがふらつきそうになりながらも前に一歩踏み出す直前、建比古はコノハの片腕の手首を掴んだ。
「一緒の布団を使えばいーだろ?」
胡座をかいて布団に座った建比古に引き寄せられ、コノハはそのまま建比古の前に座ったらしい。
建比古はコノハの後ろ髪に触れると、自分の顔の傍まで寄せた。
「相変わらず硬直し過ぎているな。……ああ、目が蒸せそーだから、眼帯は机に置かせてもらうぞ」
眼帯を取った建比古はコノハをまた抱き締めて、彼女の髪を優しく撫でた。
「たっ、た……建比古さまっ。この体勢では、さすがに狭いかもですっ!」
「そうか?? けど、今夜だけでもずっと、お前と離れなくないんだ。……夕食の時だけじゃ物足りねーしな」
(んなこと言われても、対応が全く分からんっ!! ああぁぁぁ~、失神しそーっ!)
そのように、コノハは心の中で叫んでいたようだ。茹で上がった蛸の如く、顔以外の場所まで赤くなっているんじゃないかと思う程、彼女は体の隅から隅まで熱くなっていた。
「なら、お前の後ろに行くか。……コノハ」
コノハの片頬に建比古の手が触れた瞬間、コノハは自然と建比古に近づいていた。コノハが気付いた時には、互いに唇を重ねていたようだ。
一旦コノハから離れると、建比古はコノハの背後に移動して、コノハを両腕で優しく包んだ。
建比古に触れられると、コノハは心が休まるように感じた。自分の体に籠もっていた熱も徐々に抜けていく気もする。彼女はぎこちない様子で、建比古の両腕に自分の両手を添えたようだ。
「……なあ。もし、明日までに寝室の雨漏りが治らなかったら、また此処に来てもいーか?」
「はいっ……。どうぞ、来てください」
二人は就寝前の挨拶をすると、とても幸せな気持ちで静かに目を閉じた。
夜の深い闇が少しずつ少しずつ迫っていき、ゆっくりと安らぎの時間が過ぎていくのだった。