【シナリオ】色に触れる、青に歩く
◇第7話『染めきれなかった記憶』
(春海)
染料は時間をかけて、布に浸透していく。
でも、どんなに深く染めても、
いちばん奥に残る“にごり”が、どうしても消えないことがある。
私の心の奥にも、まだ、
――染めきれなかった記憶がある。
◇春海の工房・昼下がり
⚪︎春海が藍をかき混ぜながら、電話を切る。
表情はどこか、驚きと戸惑いが混ざっている。
⚪︎母が声をかける。
母:
『……公募展の推薦、嬉しい話じゃないの?』
春海(小さく):
『うん……そうなんだけど。』
⚪︎手の中の布を、ぎゅっと握る春海。
その手は少し、震えている。
◇カフェ(大学近く)
⚪︎春海は真白に、公募展に推薦されたことを報告する。
春海:
『……全国規模の展覧会なんだって。
通信課程の学生が選ばれるのって、すごく珍しいらしくて……。』
真白(にっこりと):
『すごいよ、春海さん。ちゃんと、あなたの色が届いたってことだね』
⚪︎でも春海の表情は、浮かない。
春海:
『……でも、舞台が“大きすぎる”と、怖いんだ。
人がたくさんいて、自分の作品がいろんな人に“見られる”。
それが怖くて……。』
◇過去フラッシュバック(春海・小学校時代)
⚪︎教室。春海のスケッチブックをのぞき込んだクラスメイトたちが笑っている。
同級生たち:
『なにこれ、変な色!』『暗っ、こわ〜』『美術部のくせにヤバいじゃん』
⚪︎先生さえも、苦笑しながら言う。
先生:
『春海さん、もう少し明るい色を使ってみたら?』
⚪︎春海は、自分の“表現”を笑われる感覚を味わい、
その日から、「見られること」=「責められること」だと感じるようになっていった。
◇現在:カフェ・沈黙のあと
⚪︎春海の話を聞いた真白は、しばらく黙ってから、そっと口を開く。
真白:
『……怖さって、“逃げたくなるほど大事なもの”の近くにしか、出てこないんだって』
春海:
『……大事なもの?』
真白(頷いて):
『うん。たぶん、ゆいかさんは、自分の色が“誰かに届くこと”を、本当は願ってる。
でも同時に、また壊されるんじゃないかって思ってる──違う?』
⚪︎春海は言葉を詰まらせ、目を伏せる。
⚪︎けれど、真白の言葉は、彼女の心の奥にあるものを、まっすぐ見てくれているようだった。
◇春海の工房・夜
⚪︎工房で、春海が小さな布に色を落としていく。
でも、その色は濁っていく。
⚪︎ふと、染め直そうとして、手が止まる。
⚪︎布に落ちた雫。染料じゃない。
自分の涙だった。
◇母との会話(夜)
母:
『……春海、怖いなら、やめてもいいんだよ。
無理することないの。あなたが、あなたでいられる場所なら、どこだっていい』
⚪︎春海は少しだけ笑って、首を横に振る。
春海:
『……真白さんに言われたの。
「怖いのは、それが大事なものだからだ」って』
母(驚いたように):
『……ふふ。大人になったね、春海』
◇朝の工房
⚪︎朝の光が差し込む工房。
春海が一枚の白布を前に、静かに立っている。
⚪︎その顔には、少しの決意と、少しの不安。
でも、迷いは前よりも、少ない。
(春海)
怖くても、私はきっと、また染める。
怖い、けど──それ以上に、
「あなたに見てほしい」と思えるものを、私はやっと持てた気がするから。